【第16章 別離】


 団平八の旗の紋について書き忘れていました。

 団ではなく、梶原景久なる名前で記されている場合もあり、どこまで本当かこの時代の場合分かりませんが、梶原氏の末裔を名乗っていたようです。


 なので梶原の紋を調べ矢筈紋とあったので、それでええじゃろと済ませました。

 どれにしよーかなと悩みました。


 梶原一族もいくつか分かれていて、矢筈紋の形にも色々あるみたいで

 あ、ただ文章ならバレないですね。


 武田勝頼の逃避行の経路はあんな感じですが、ひょっとして小田原を目指したのか、という部分を削除するべきか悩むところです。


 理由は、私が近所でも迷う程の方向音痴だから。

 小田原を目指したとは思えない。

 いくら奥さんの兄の領地でも敵だし


 辿った道順と方角的にも小田原が選択肢に入るのか全く分かりません。

 やはり、この部分削除するかも。


 完全な負け戦と分かっていながら最後まで従う武士40名程の中に男色の恋人土屋惣蔵が入っているのは分かりやすいです。


 主である前に恋人ですから最後まで見捨てない訳です。

 やはり絆が強いのは、血縁関係と肉体関係って事ですね。


 長可の名馬百段がいますって名前だけ使われて、信玄の弟を騙し討ちにしたという逸話が残っています。

 

 武田信玄の隠し湯と伝わる温泉が、信長が駐留していた法花寺のすぐ近くにありました。

 信長が入ったという話は聞いた事があります。


 武田討伐の論功行賞は記録に残っていますが、肝心の主人公蘭丸の領地が金山城か岩村城なのか史料によって分かれます。

 

 兄が信濃に転封となり、本領である金山城を弟が引き継ぐ方が筋が通っている気はします。


 従軍しただけの蘭丸が城を貰うだけでも突拍子もないのに、いきなり岩村城主というのもしっくりきませんから。


 信長公記では金山になってます。

 史料によって記述の間違いは良くある事で、信長は右大臣だったのに左大臣になってたりとか。

 右と左を間違えるところが面白いですね。


 長可が蘭丸に鎌十字の槍をプレゼントしたのは創作です。

 関で刀鍛冶が盛んだったのは本当です。


 でも、あの長可ですら本能寺で弟三人失った事に打撃を受けている様子は遺言状や人質仙千代を助け出すエピソードからも伝わってくるので仲悪くはなかったと思います。


 本能寺では鎌十字の槍で戦ったとは伝わっています。


 信濃での一向一揆には教如がしつこく絡んでいたようです。

 長可が信濃を制圧する為に国衆から人質を取っていたので、本能寺の変後、信濃の国衆が長可に叛いて殺そうとした時、人質を盾にして金山城に逃げ帰る事が出来たのです。


 大河ドラマの真田丸でイケメン長可が出浦盛清に刀を下賜するシーンがあったのですが、何故出浦に下賜したかというと彼だけが裏切らなかったから。


 この出浦は忍者の頭領だったと伝わる人で甲州透破を統率したとwiki にもあるのですが、出浦だけが長可を裏切らなかったのは、森家と甲賀忍びの伴家との親しい関係があったからとも言われています。


 ですが、単純に忍者同士で出浦と伴が仲良かったから、長可を裏切らなかったって随分ざっくりしてますよね。


 忍者同士でも仲悪いとかあるでしょう(^^;

 軽く調べたんですけど出浦と伴家の関係は分かりません。

 

 ただ、それで長可が救われたのならば、本当に森家にとっては伴家様様ですね。


 蘭丸が城を貰っておきながら、死ぬまで城代置いて本人は一度も城に入らなかったのは本当です。


 ただ、この城代の名前が厳密に調べると、各務兵庫ではないらしいのです。

 まあ、どっちでもいいですよね。


【第17章 弟よ】


 信長が甲斐から安土に帰るまでの道々の様子やどこを観光したとかは細かく記述されています。


 那波直治と斎藤利三が元稲葉家の家臣で正統な手続きなく明智に仕えたので稲葉家が訴訟を起こしたというのは一部本当です。


 稲葉家譜という史料に載っていて本能寺関連の本では大体取り上げられているのですが、堀秀政からの裁決を知らせる書状には那波の事しか書いていないようなのです。


 ただ稲葉家譜には斎藤利三についても記されていて、斎藤利三に下された処分は自刃で信長側近の猪子兵介が取り成して事なきを得たとなっています。


 蘭丸はもちろん沢山の資料に容姿端麗だったと記述あるんですが、他の兄弟も一応美形って事になってるらしいんですよ。

 

 でも全員美形設定にしたらつまらないと思って仙千代だけ長可似という設定にしてみました。


 ところが、忠政(仙千代)の木像と石像があるんですが、結構以前から木像はイケメンだと思っていて、石像は随分不細工だから、どっちだよと思っていたんです。


 像や肖像画が残ってても、結構本人見て描かれたのではないもの沢山ありますから、どちらも信憑性期待してなかったんです。

 

 そしたら、何とイケメン木像は忠正の生前60代の時に造られたからかなり本人の姿に近いと伝わっているらしく。


 じゃあ、不細工な石像は?というと、何と、イケメン木像を元に彫られた後作だそうなんです。ぜんっぜんっ違うだろー 土偶かって感じで首無いですし


 仙千代が中々すっきりとしたイケメンだったかもしれないと判明したところで、設定を変える気は起きず、金太郎似という設定の儘にしておきました。


 前にも書きましたが長谷川秀一が小姓の梁田某を焚き付けたのは私の創作ですが、梁田が仙千代の頬を撫で回したから、怒った仙千代が梁田を扇子で殴ったという逸話は残っています。


 不細工だったら頬撫でないだろうなとは確かに思ってました。

 可愛いいから撫でたんだろうと。


 蘭丸母の肖像画も中々の美人ですから、長可だけが失敗作だったのかもしれません。


 もしかして、蘭丸や森兄弟に対する嫌がらせとも思いましたが、理由については、仙千代のウブな様子が可愛いかったから頬を撫でてしまったと書かれています。


 何だ!やっぱり可愛いかったからか。

 因みに仙千代の長男は瑠璃や玉を欺く程の美形だったそうです。


 


 

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