第14章から第17章まで
【第14章 血闘】
長可メインの章にしたのは兄弟の別れが迫っているからというのもありましたが、信長と蘭丸一体何やってんだという時でしたので。
長可の黒の総熊毛の鎧は一応、長可のだったと伝わる物です。
長可の具足で有名なのは、小牧長久手の戦いで着用していたと伝わる、男性ならSサイズ 女性でも良いかもって感じの小柄仕様のが残ってます。
長可が小柄だったかもというのは文書にもありますが、討ち死にして戦場から拾い上げた鎧がどこまで本人の物と信用出来るかと言われると、ちょっぴり困ってしまいます。
家族の男子中唯一畳の上で死ねた仙千代の鎧は信用出来ると思いますが、兄の程小さくないようなので、この時代の男性として仙千代は普通サイズだったと思われます。
一応、仙千代の身長が位牌の大きさから○○(不明) だったかも?という話をゲットしましたが、残された鎧の胴丈、胴囲を計ってみれば、より信憑性は増すかと思われます。
兄弟の中で一番ちっちゃなお兄ちゃんが威張りん坊と考えると笑ってしまいますね。
長可の熊さんの鎧に戻りますが、こちらの鎧のサイズはそこまで小さくないようです。
多分、この時代の中肉中背くらいでしょうか。
はっきりとは分かりませんが、0.1mm単位まで身長が分かっている伊達政宗のと胴丈が変わらないなあと思ったので身長160cm くらいはあったのかもしれません。
熊鎧が本当に本人の物だったとしたらですけど。
人間無骨のサイズも図入りで残っています。
全体的にも長い槍ではないようですね
。
飯田城から逃げ出した武田兵を追いかけ回して討ち取ったという記録も残っています。
馬揃えで揉めた毛利河内守とのいざこざだけでなく、勝手に先走る長可や団平八の行動を信長に報告する河尻秀隆にも怒りを感じていたようです。
勝手に突っ走るなという手紙が信長から発っせられたにも関わらず、止まる気配も言う事も聞く気配もない長可の性格はともかくとして。
私には武田討伐軍の勇み足を止めようとする信長の手紙の方が可笑しいです。
確かに信長が河尻秀隆を通して、先走り過ぎるなと命じているのに進むのは軍規違反でしょうが、何回もその手の手紙が出されてるんですよ。
武田軍は城を捨てて逃げ出しているので、信長が安土でぼやぼやしていなければ先にどんどん進むの当たり前じゃんって思う訳です。
何回も信長から送られる手紙は文面が変わりながらも、付け城を築いて儂の出馬を待っていよ!という進軍の邪魔する内容ばかり。
手紙の日付の時間差も可笑しいし、届いた時には進んでしまっているというか。
まともな戦闘は高遠城くらい。
高遠城という堅城を落として勢いに乗る信忠軍。
よーし!後は大将、武田勝頼だけだってなりますよ 普通。
勿論、信長だって喜びました。
息子の手柄に、喜んで天下の支配権だって信忠に渡したって良いと言っているくらいです。
でも、またもや、これ以上の前進は一才無用!と尚も進軍の邪魔を.....。
長可はキレたでしょう。
こっちが先走っているのではなく、信長の出馬が遅すぎるだけだろうと。
上司の都合に振り回される現場といったところでしょうか。
そして、いよいよ信長が出馬と思ったら、出馬した途端に「もういいよ!物見遊山にしよー!勝頼の討伐はあいつらに任せちゃおーぜ」と、今までさんざん「儂が行けば勝頼など軽く踏み潰してやるから、くれぐれも用心し、付け城を築いて先走らず待っておれ!」と言っていたのと同じ口が吐いています。
本能寺の変後の小牧長久手に挑む前に書いた長可の遺言状は有名ですが、武士に嫁がせるなと書かれた「おこう」が娘なのかどうかは、諸説があるようです。
でも、嫁がせるなとあるので娘のような気はします。
実は長可の娘が堺だかの豪商に嫁いだという話は聞いた事あります。
どこでだったか。
信玄の娘松姫が、勝頼と仁科盛信の娘を連れて逃げたのは本当です。
この時代のパパ達も娘は可愛いかったんでしょうね。
高遠城の仁科盛信の気合いみなぎる返信は伝説として残っています。
耳と鼻を削ぎ落として織田の使者を返したと伝わっています。
高遠城攻めで使われた亀甲車は私の趣味で登場させてみました。
かいだて牛というのが「うし」と呼ばれていたのは本当だと思いますが、きっと亀甲車は「かめ」って呼ばれていたに違いないと勝手に呼ばせています。
長可の家老各務兵庫の長い旗指物の話や、三の丸の屋根を剥がして鉄砲を撃ちまくって城兵を攻撃したという話は、私の創作ではありません。
【第15章 帰郷】
前の章が血生臭かったので、新婚旅行のような甘いテイストになっていますが、兄と弟の醸し出す世界観の違いはきっとこんな感じでしょう。
役割真逆ですからね。
勿論、金山城に信長が一泊して行ったのも本当です。
古関の清水というのは、実際の名水ですが信長よりも、北野の大茶会で忠政がこの水を使って秀吉に誉められたという逸話が残っています。
古関の清水は、登城前に信長も飲んだ事でしょう。
信長の休み石というのが残っていますが、その休み石が旧可成寺の手前にあることから、可成寺にお参りしてから登城したのではと言われているようです。
金山城の発掘調査の様子とか、縄張り図などがネットで検索出来たので助かりました。
気になったのが城には様々な特徴があるのですが、金山城の場合は小天守の地下の穴蔵に設けられた入り口が二ヶ所あるという点です。
はっきり言って、それを追求する事に重要性を感じなかったのですが、面白いので推理してみました。
縄張り図を見ながら推理した結果がこのセリフ。
「攻守における格別な意味はございませぬ。強いて言うなれば、二つあった方が便利であるから、でございましょうか。小天守から見て西の口は隅櫓に行くのに便利で、東の口は出入口として搦手門のすぐ近くでございますから、穴蔵を通れば本丸に早く着きまする。―――――」
単に便利だからというタマホームの注文住宅的解釈になってしまった訳です。
それにしても、可成寺の場所が城の搦め手側とは。
金山城なんて行った事ないですから、どの道登ったとか図面じゃ分かりづらい。
裏側ですから搦め手は。
搦め手側には大堀切という山を分断するでっかい堀が掘られています。
現代では、この堀切を道として整備して使っているようですが、現代じゃない!昔はどうやって搦め手から天守に登ってたんだーと少し苦しみました。
堀切って敵兵が真っ直ぐ山を登ってこれないようにする物だから、昔の人がそこを登る訳ないので。
蘭丸の落書きは創作です。
長可の妻の名前は謎ですが、結婚して金山に住んでるから、金山殿って呼ばれてたんじゃないかと。
ここではいつも化粧崩れしてしまう女性として描いています。
蘭丸がどのように信長を持て成したかは分かりません。
信長が幸若舞の敦盛を好んだのは有名ですが、幸若舞を調べていて見つかったYou tube を見てみました。
何と!眠い!全然動きないじゃん。
どれ見ても一緒じゃん。
早送りしても普通モードでも画面が変わらないじゃーん!
もっと派手なダンスが見たいと思ったんですが、他に目ぼしいのが見つからず、三人で踊るという事で、森家の団子三兄弟に舞わせる事にしました。
幸若舞曲の本は国会図書館のネットサーチで見れたので、その儘のセリフです。
信長が平家と言ってる事で源氏の曲を避けたのは私ですってば。
幸若舞曲は源氏ばかりなんです。
能は平家が多いみたいです。
私が自信ないのは、蘭丸達の衣装、長絹の直垂と式三献の流れ。
直垂も式三献もネット検索すれば、簡単に出てきます。
しかーし、蘭丸達は元服前で、公家の童子の格好は分かりますが、武家の童子は一体?
調べたら長絹の直垂と出てきました。
が、画像検索では能の衣装ばっか。
それよりも、元服前なら烏帽子被らないって事だよね、と細かい事が気になり始め......。
取り合えず色は白らしいというところで妥協しました。
式三献は結婚式での手順ばかりで参考にならず、大勢で行った公家邸での記録を参考にしました。
よりによって左大臣藤原頼長の記録でしたが、左大臣邸に招いた公家達と式三献を行う手順は小説の儘です。
でも、招いた側が客より上の身分の場合と、下の場合では違うような気がしてしまい、蘭丸が一番に呑むで良いのかどうか自信ありません。
細かい事ですが。
金山城で激しくエッチしたかどうかは勿論記録に残っていません。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます