第18章から第19章まで


 盃臺はいのうと調べると、盃台と呼ばれる工芸品が出てきます。

 この、盃臺についての話は多門院日記に出てくるのですが、盃臺が興福寺の二つの院から献上され、片方気に入らず信長が返品したというような流れになっています。


 多門院日記は、日にちが他の日記や史料と少しずれていて18日の記述に能の上演について書かれているのですが、多門院さんは、その上演内容に対して信長が機嫌を損ねたような記述をしており、理由は鞍馬天狗が平家を貶める内容だったからではと記しています。


 ただ、安土の総見寺で能が上演されたのは、19日で、鞍馬天狗は入っていません。


 家康上洛後の清水寺での上演に腹を立てたのではないかと推測されている方もいたのですが、自分が平家を名乗っているからと、自分の前で上演されてもいない能の曲目にケチ付けてたらきりがないじゃんとも思った訳です。


 そして盃臺ですが、大きなあやつり人形の事では?と分析されてる方もネットで見かけまして、それはそれで説得力はあったのですが、盃と付いている物をあやつり人形と解釈すると面倒な事になるなという訳で盃台としました。


 あやつり人形であれ、盃台であれ、一刀彫りで造られた人形は中々見事で、この時代には贈答用として人形が喜ばれたようではあります。


 この、盃臺は能や幸若舞の演目を題材にした物が多いようなので、上演された能の演目ではなく、盃臺自体が鞍馬天狗であったという解釈にしてみました。


 こんなマニアックなネタは、はっきりいって本能寺や光秀に関係あるかというと、別に関係ないじゃんとは思います。


 第一、興福寺から献上されたのは事実でも光秀が手配させたかまでははっきりしません。


 ただ、小説にも書いたように持て成しと言えば酒と料理です。

 そして、この時代の美酒は寺で造られた物で、興福寺の酒も有名でした。


 実際酒も贈られていて、饗応役の光秀が興福寺に酒の手配を頼むのは自然な流れと思います。


 そして、酒宴を盛り上げる装飾付きの盃台は光秀から依頼したのか、興福寺側からか分かりませんが家康を持て成す為の品として献上されたのだとは思います。


 光秀のプライドを傷付けるアイテムとなったかは分かりませんので私の創作です。


 蘭丸の鎌十字の槍が長可からのプレゼントというのが、そもそも嘘なので、若狭守氏房作も勿論嘘です。


 若狭守氏房が織田家お抱え刀工だったのは本当で、何故この人に打たせた事にしたかというと、結構腕の良い刀工は引っこ抜かれてまして。

 

 刀工は何代目、兼定とか名前を継いでゆくので長可の人間無骨が二代目なら、三代目四代目に、それっぽいのがいないかと探してみたら、会津の蘆名に引っこ抜かれていたので若狭守氏房で手を打ちました。


 そういえば前章の話ですが、三職推任問題と暦問題は、私にとってマジどうでも良かったんで超軽く書きます。


 問題とあるので説がある訳です。

 簡単に言うと、左大臣、将軍、太政大臣 どの官職でも好きな官職あげちゃうよという勅使が安土にやってきたんです。


 蘭丸と楠さんが、勧修寺さんのとこにいって用件聞いたり、信長の意向を伝えたりするんですが、信長は中々会おうとしません。


 この安土に行く前に、勧修寺さんは京都所司代の村井さんと信長の官職任官について話をしています。


 それを日記に勧修寺さんが書いてます。


 わざわざ問題となっているのは三職のうちどれに信長がなるつもりだったか、もしくはどの官職にも付くつもりがなかったかと、信長と朝廷とどちらから、この三職の話が出たかというところです。


 信長が会いたがってないのと、勧修寺さんの日記にどちらから言い出したかと言う主語が抜けているから、私は朝廷から言い出し、信長は望んでないように見えます。


 日記って主語必要ないですから。

 本人が言った事なら。


 官職に今後一切就く気がなかったかは死んでしまったので分かりませんが、少なくともノリノリに見えないので、そのような解釈で書いてます。


 家康饗応料理の献立や飾り付けは、大体あってる筈です。

 細かく四回分記されてまして、松平家忠さんが記録してくれたようです。


 現代でも、信長のおちつき膳と言われる再現料理が食べられるようで、ネットで詳しく見れたりします。


 なのでマナガツオ出たのも本当です。


 マナガツオは鮮度が落ちやすいのに、この時代ではさぞかし大変だっただろうと書いている方がいたので、光秀の苦労を想像して書いてみました。


 ただ、実際暑い時期にどうやって鮮度を保ったかは記録されていません。


 ぎりぎりに捕獲したのか、生かして運んできたかのどちらかしか考えつかなかったので、そのように書いてます。


 信長手作り菓子の話も本当です。


 斎藤利三が自刃を命じられた話が稲葉家譜という史料に載っているという話は前にも書きました。


 那波直治に関しては堀秀政の書状が残っているので、稲葉家に返せという裁決が下ったというのは本当かと思われます。


 実は本能寺の変の要因となったとされるもう1つの事件が稲葉家譜に載っているそうです。


 それは、光秀アデランス事件。

 光秀はハゲを気にして付け毛を付けていたらしいのですが、信長が怒って頭を叩いた時、付け毛がふっ飛んだと記されています。


 周りに人がいたので恥辱と感じ、本能寺に繋がったとまでは書いてないですが、殺意は感じますよね 確かに。


 私がこの分かりやすいネタを採用しなかった理由は勿論、コントになってしまうからです。


 アデランスネタと自刃の話にどこまで信憑性があるかは疑問です。


 それよりも、この時代に付け毛があったという点が目から鱗でした。


 やはり、時代を越えた男性の永遠の課題なんでしょうか。

 那波直治の話程の信憑性は期待出来なくても、何しろ『稲葉家譜』ですから、ふざけて書いてる訳じゃない事だけは確かです。


 所謂、今時の小説みたいな虚構もありの軍記物ではないので嘘を書くつもりはないと思うんです。


 なので、自刃の話が本当だったら、何故斎藤利三だけが自刃という流れになってしまったのかという流れで書いてみました。


 だって、唐突過ぎますからね いくらなんでも自刃って。


 本能寺の変を小説で、光秀単独犯として書く場合、黒幕説使っても大変ですけど、変後に皆が関与を疑われる事を恐れて光秀に関わる史料が破棄されてしまったので詳細が分からないというのが困ります。


 人の心は複雑で、光秀の心を分かりやすく短時間で本能寺の変に向かわせる為には長宗我部問題だけでは説得力に欠けると思いました。



 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る