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いくつかの『不動』に誰から誰に渡ったという系列の違いと混乱があるのは、不動違いによるものらしいです。
『集古十種』に不動行光の記録があるのですが、長さにも混乱が生じています。
腰刀なのか、短刀なのか?
小説に書いた不動行光の刻み鞘数当てクイズが本当なら、腰刀サイズが正しいと思います。
でも所有者が変わり刀を短くサイズ変更する事は良くあったので、短刀というのも本当なのかも分かりません。
刀の拵え(外側の装飾)は私の想像です。
拵えも所有者によって変わります。(変えない人もいます)
不動行光の外観の記録では黒漆塗り鞘、柄は白鮫革となっています。
マニアックな説明になりますが、戦国時代は黒鮫革がほとんどだそうです。
黒漆で塗った方が防水(血も含む)効果が高いからです。
江戸時代に白鮫革が好まれたのは、ファッション性が高いからだとか。
信長の好みを考え、朱塗り金着せのヤンキー仕様にしてみました。
不動行光の蘭丸の逸話はいくつかありますが、数える場所がいくつか違うだけで内容は大差ないです。
蘭丸の数ある逸話の中で、この逸話を取り上げたのは、中々リアルだと思ったからです。
逸話は信憑性に欠けたものが多いですが不動行光が蘭丸の手に渡った事は確かですから。
こんな茶番はやらず、ストレートに「可愛いいから」あげちゃったのかもしれません。
蘭丸の父可成と前田利家のエピソードは本当と思われます。
この二人は仲が良かったのか、他にも仲良しエピソードがあります。
こういうエピソードを見ると、蘭丸の父はまともな人間で、母が普通じゃなかったように思いますので、長可の性格は多分母譲りなのでしょう。
織部焼の創始者古田織部の登場です。
蘭丸の弟仙千代(忠正)の正室が中川清秀の妹、古田織部の妻も中川清秀の妹なので、仙と織部は後に義理の叔父と甥になります。
織部と蘭丸の個人的交流は創作でございます。
何故、絡ませたかというと、蘭丸の趣味が珍しい焼き物の収集と伝わっているからです。
蘭丸の邸があった事は確かでしょう。
実は安土城には、誰それの邸跡と伝わっている場所があるのですが……
数名の邸跡は胡散臭いです。
まず徳川家康と前田利家、羽柴秀吉の邸跡辺りは胡散臭さぷんぷんです。
絶対なかっただろうと思われるのは徳川家康。
18章で家康が安土に招待された時、寺に泊まっていますから。
そんなに安土に来る機会のなかった武将の邸があったというのは怪しいです。
でも側近は安土に常勤なので、彼等の邸があった事は信長公記などの記録に残っています。
光秀と仲が良かった吉田兼和の日記に蘭丸の元を訪れたという記述がありますが、都にいた時なので邸ではないです。
邸跡はここら辺とか、あの辺とか、多少間違いはあっても、有力な側近の邸が天守から近いところに与えられるのは当たり前なので、そんなに大きな間違いはないと思います。
いつ邸を賜ったかまでは分かりません。
恐らく、最初は一室を与えられ、15歳手前くらいで邸を貰ったのではないかと。
長谷川と蘭丸が仲が悪かったとか、長谷川の性格が歪んでいたというのは創作なので、本当は良い人だったかも?
でも、あとがきにも書きましたが、荒木村重に小便を引っ掻けたという下品なエピソードが残ってるというのは、他の優秀な側近の方々と比べていかがでしょうか。
堀秀政、万見、菅屋長頼の素晴らしい仕事振り。
ちなみに本能寺の変は、信長と光秀が蘭丸を取り合ったからという逸話があり、蘭丸は生け捕りにされ、光秀に自分のものになれ!と説得されてしまうという大爆笑の展開になっています。
どっちもふざけていますが、何故長谷川は小便をひっかけたというエピソードなのか。
何故長谷川を取り合わないのかって事です。
勿論、史実ではまともに戦ってますけど。
男気溢れる人柄だったというのも、どこかで見ましたが。
小便エピソードが十代の頃の話しならば、後で改心して、まっとうな男になったとも考えられます。
でも、長谷川は私から見ると色々運の悪い人。
蘭丸には完全に追い抜かれ、本能寺の変後の行動を怪しまれ、謀反に加担していたと黒い噂はありますし、朝鮮出兵で病死。
跡継ぎなくて断絶。
何か色々ホントに……
森家以上の有力家臣の出身なんですけどね。
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