この章の注目は『丁子』ですが、書いた通りです。

 歯磨きの歴史を調べていたら、感動したのが昔から日本人はやはりキレイ好き。

 江戸時代の歯磨き粉の謳い文句が今と変わらず。

 「白くなる」というのがポイントだったようです。


 口臭も昔から気にしていたみたいで、歯磨き粉の成分に丁子が入っていたそうです。


 登場するのは丁子油なのですが、一般的には刀の御手入れに使うものとして記録されているのですが....。

 実際は丁子油は揮発性なので、刀の手入れに向いてないから、椿油に混ぜて使っていたのではないかと言われているようです。

  

 丁子はクローブの事で、刀、髪の油として武士が愛用していたので武士の香りとも言われていたとか。

 

 油ではなく丁子の実を噛んで口臭を予防するのは中国でもあったようで、側近は口臭にも気を使っていたようです。

 大変ですね 側近の人は(^_^)


 初夜の流れは勿論私の想像ですが、実際はもっと信長は優しかったのではないかと思います。

 

 男色が日常的なので男女と同じで良い例も悪い例もありますが、英雄として名を残す人気戦国武将の男の子達の扱いは丁重で対等、凄く愛を注ぎ大事にしている様子が垣間見えます。

 

 まるで愛妻のよう。

 でも、あまり丁重過ぎると小説では前に進まないのでアンナ事に...。


 小ネタとしては、宿直役を代わる飯河宮松君は本能寺で亡くなっています。


 アドバイスくれた方がいて変更した箇所

 伊勢の桑名の湊に行く話しは蘭丸の出仕後ではなく、出仕前にあったようです。

 城を抜け出して桑名湊まで行ってたという話しが言い伝えとして残ってるようです。


 【3章 鷹狩】


 7月に上洛して近衛前久の息子、明丸(後の信基)の元服式を二条邸で行ったのは記録その儘です。

 信基の信は信長の信です。


 この信基君は後の章で面白い役回りで登場しますが、彼のキャラもいじってないです。

 5章を書いていた頃には信基の事は良く知らなかったので特別な役を与えるつもりはなかったのですが、彼の手紙と人生に焦点を絞った『三藐院近衛信尹 残された手紙から』

という本を見つけまして、面白い奴と思い蘭丸と絡ませています。


 蘭丸と信基の親交は、歴史研究的信憑性では6、7割が限度でしょうが、私の中では8割は越えてます それは、また後ほど


 二条の信長邸のサウナ風呂ですが、新聞の記事にも発掘の様子が掲載されていました。

 多分こんな形であっただろうという絵図が書かれていたので、そのように書いています。


 しつこいようですが、信長は風呂好きだったと言われていますが、風呂でするのが好きだったかまでは分かりません。



 秀吉の浮気が酷いと寧々が信長に訴え、信長が直筆で寧々に手紙を書いてあげた話は有名です。


 その手紙の中で信長は寧々を持ち上げ、秀吉を『剥げ鼠』とディスっています。

 猿と呼んでいたというのが、割と定着していたのですが、その元となった史料(忘れてしまいました)の一場面を良く読むと、猿とは秀吉の事を指していないのではないかという話を見た事がありまして。

 私は猿でも鼠でもどっちでも良いですが、信長が剥げ鼠と呼んでいたのは事実です。


 さて、二回目のエッチの場所としてセッティングされた浅小井城主の伊佐志摩守邸ですが、信長が鷹狩りに行った時に立ち寄ったという記録が残っています。


 しつこいようですが、浅小井城主の伊佐志摩守の邸で激しくエッチしたかまでは分かりません。


 細かい事ですが、前の章で信忠が育てた鷹をプレゼントするのは翌年です。


【第4章 不動行光】


 長可は以外と筆マメだったようですが、娘の顔に墨を塗って顔拓を作る趣味はありません。

 蘭丸を筆無精としたのは長可との対比で、実際はそこまで筆無精ではないとは思います。


 ただ何となーくですが、筆跡や手紙の書き方を見ると結構男らしい印象で、マメという感じがしなかったので....。


 妹のうめと木下勝俊(小早川秀秋の兄)の婚姻話が兄弟の話題に上っていますが、木下勝俊の年齢蘭丸より四歳も下なんです。


 しかも木下勝俊は、秀吉の妻ねねの甥です。

 なので婚姻したのは本能寺の変の後ではなかろうかと思ってはいます。

 勝俊の年齢と、秀吉の甥ならまだ分かりますが、ねねの甥では森家にとってはかなり格下かと。

 本能寺の変後、森家は秀吉に臣従しているので、蘭丸の死後の方がしっくりくるかもせれません。


 長可、うめ、仙千代、と母妙向尼のキャラがヤバかったのか、うめは旦那と合わず、自分から離縁状を叩き付けたという逸話が残っています。


 はい、不動行光ですね。

 もちろん実在の刀で蘭丸所有で間違いないと思います。

 因みに蘭丸は他にも相州貞宗と備前友成の二本、信長から下賜されていて空き箱が赤穂大石神社にあります。

 凄まじい信長の愛。


 ただし不動と名前の付く刀がいくつかあるので逸話が混乱し、混ざってしまっていて、どの不動の逸話なのかという事になると怪しいです。

 『不動行光つくも茄子、人には五郎左...』の小唄が行光か国行のどちらの刀のものか分かっていません。


 途中で小笠原という人の所有だったとか訳の分からない話も混ざり込んでくるのですが、不動行光は本能寺で燃えているんです。


 焼け跡から見つかり再刃されているという記録は蘭丸所有の『不動』に間違いないでしょう。

 小笠原さんは本能寺にいないですから。

 





 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る