俺の球はあいつしか受けられない。 

桁くとん

前編  監督名村の思い





 淡いブルーのビジター用ユニフォームの上から青白赤のトリコロールのウインドブレーカーに身を包んだ、でっぷりした体格のいい老齢の男がのっそりと三塁側ベンチから出てくる。


 老齢の男は、のそのそとした歩みで主審に近寄るとボソッと呟くような、だが低音がよく響く声で選手の交代を告げる。

 その声は、両軍の応援団が自軍の士気を鼓舞しようと奏でる応援歌をものともせずに主審に届く。


 主審は老齢の男、東京セネターズ監督の名村勝成なむらかつなりの告げた選手の交代を放送席に伝えに行く。


 「東京セネターズ、選手の交代と、守備位置の変更をお知らせいたします。

 ピッチャー、岩下圭太に替わり、丸山和彦。背番号、52。

 キャッチャー、鎌田俊也に替わり、霜月玲奈しもつきれいな。背番号、53。

 ファースト、ルイスに替わり鎌田がファーストに入ります」


 球場のウグイス嬢のアナウンスが場内に響くと、3塁側のセネターズファンの歓声がドッと沸き、アナウンス終了と同時に丸山和彦と霜月玲奈、二人の応援歌の演奏が始まる。

 セネターズファンは、今シーズン後半から抑えに定着したこのバッテリーに絶対の信頼を寄せている。

 ただ、このシリーズ3度目の登板になるこのバッテリーだが、胴上げの懸かった昨日の第6戦で相手、福岡シャークスの若き4番、梅崎健介に逆転サヨナラ満塁ホームランを食らった事は皆鮮明に覚えている。

 このシリーズ、梅崎は丸山-霜月バッテリーと相性が良く、2打数2安打1HR。結果的に東京セネターズが勝利を飾り、丸山-霜月バッテリーがセーブを記録した第2戦も先頭打者であわやホームランかというフェンス直撃の2塁打を打たれている。

 この9回、福岡シャークスの攻撃は打順よく1番から。

 3人で切って取れば4番の梅崎には回らない。

 緊張するこの場面で、育成枠で入団した若いバッテリーの緊張を闘志に替えられるようにと、セネターズ応援団は精一杯声を上げ、応援歌を歌いあげていた。


 ベンチに戻った監督の名村は、指定席であるノックバット横の席にずしんと陣取ると、腕と足を組み、マウンドに上がり投球練習で投げる丸山と、その球を受ける霜月を眺める。

 ヘッドコーチの端神秀明はしがみひであきが名村の横に座り、名村に話しかける。


 「監督、いよいよ最強の古巣を倒して日本一ですね」


 「古巣言うても、もう経営母体変わっとるしな。ワシも今のオーナーの下で野球やりたかったわ」


 名村はシャークスを支えた名捕手で偉大な打者だった。

 親分と呼ばれた偉大な監督の元でプレーし、名門と呼ばれたシャークスの黄金時代の最後の輝きに多大な貢献をした。親分が惜しまれつつ勇退した後、名村は突然兼任監督に指名されたが、当時のオーナー企業との確執でシャークスを追われ、球団を転々としながら42歳で現役を引退した。

 現役引退後は解説者、野球評論家をしつつ講演活動に精を出し、朴訥とした受け答え一辺倒だった現役時代から、多くの教養を努力で身に付けある程度人に考えを伝える技術をものにしていた。

 その野球理論と人に朴訥と訴えかけるような語り口に興味を持った弱小球団のオーナーから声がかかり監督業をスタートした名村は、弱小球団をある程度強化する手腕に定評があった。

 東京セネターズは、専任監督としては名村にとって3球団目。4年前に就任し、それまで長く低迷していたセネターズを、3年かけてリーグの頂点に導いたのだ。


 対戦相手の福岡シャークスは、名村が兼任監督としてプレーしていた当時は、何とか名村らの力でAクラスは維持していたが、兼任監督時代に名村が日本シリーズに出た経験は1度だけ。

 名村の前任の大監督が晩年の頃からは貧乏球団という悪評が選手間では知られていて、ドラフト指名した選手の入団拒否が相次ぐような有様で、戦力補強はトレード頼み、といった状態だった。

 名村は他球団の燻っていた選手をトレードで獲得し、何とか戦力に仕立て上げ戦っていた。

 名村を解任してからのシャークスは最下位争いを繰り広げるようになり、数年後に現オーナーのIT企業に球団を売却。本拠地を大阪から福岡に移した。

 現オーナーは過去のシャークス色を払拭し、当時黄金時代を築いていた同リーグのチームから首脳陣や選手を積極的に迎え入れ、着実に実力を蓄え続けて、今ではリーグ連覇数こそ3連覇だが、プレーオフの勝ち上がりも含めて5年連続日本一継続中だ。

 今年は6年連続日本一が懸かっている。


 名村は昨年も東京セネターズを率いて日本シリーズで福岡シャークスと激突した。

 結果は1勝4敗で敗退。

 薄い選手層でよく頑張ったと言えるだろうが、監督の名村は内心忸怩じくじたる思いを抱いていた。


 「ワシがおった頃は、貧乏球団で碌に戦力も揃ってなかった。中小企業のオヤジが自転車操業で何とかかんとか回してたようなモンや。今のシャークスは豊富な資金で有望な戦力を潤沢に調達しとる、まさに巨大企業や。中小企業のオヤジが太刀打ちできるようなモンやない」


 「ウチセネターズは中小企業ですか」


 「そらそうや。オーナーはええ人やが、だからと言って球団経営に本業の金ジャブジャブ注ぎ込む、なんてことは出来ん。言っちゃ悪いが業界シェア№1と言っても所詮健康食品の会社やからな」


 ヘッドコーチの端神はしがみは、選手時代も含めて名村とは長い付き合いだ。名村の性格はよく分かっている。

 実は、名村ほどシャークスを愛した人物は、存命している中にはいない。

 海の物とも山の物とも判らない日本海の寒村生まれの名村を、曲がりなりにも名を残す選手に厳しくも優しく育て上げてくれた監督、コーチ、先輩の選手。そして兼任監督時代に部下として接したクセの強いくすぶっていた選手たち。名村は彼らに反発されつつも慕われ、何とか戦う集団として形にした。

 名村も彼らを愛していた。

 半面、名村が兼任監督に就任してからは、オーナー企業の経営陣は急速に球団経営に興味を失っていった。

 彼らにとっては親分と言われた前監督がシャークスの全てだった。親分だからこそ、例え貧乏球団と言われようとなけなしの親会社の資金を投入し支えていた。

 親分を引き留められず失った彼ら首脳陣にとって身売りは半ば必然であったし、シャークス愛の強い選手は彼等にとって邪魔以外の何者でもなかった。

 名村はその大元締めと目された。

 オーナー企業の首脳陣にとってはとっくに終わった道楽を、いたずらに引き延ばそうとする名村は、足の裏に出来た魚の目のようなものだった。

 唯一名村にとっての味方だった球団社長が突然の勇退。

 そして名村は当然のように監督を解任された。

 選手としても当時は複数年契約などはどんな大選手でも結んでおらず、名村も単年契約だった。

 名村は監督解任と同時に自由契約選手となった。それを名村本人に通告するよりも先に親会社は新聞にリークした。

 名村は自身の解任と自由契約を新聞辞令で知らされたのだ。

 曲がりなりにもシャークスの功労者だと自身に誇りを持っていた名村。

 この親会社の仕打ちは、まだ寒村生まれで人の良い部分を残していた名村にとって、味わった事のない辛酸だったのだ。

 深く愛していたが故に、憎しみも深い。

 経営母体が代わり、選手や首脳陣、本拠地もユニフォームも替わったとはいえ、名村にとってシャークスは愛憎半ばする、そんな相手だったし、この名村と言う素直に言葉を紡がない老将の内心を端神は誰よりも理解していた。


 「ウチは怪我人が何人も出た中で、ようやくヨレヨレでもシャークスを追い詰めて、あと一歩というところまで来れた。どうせなら、このワシが最強を謳歌しとる古巣を倒したろやないか」


 名村はボソリとそう言うと改めてスコアボードを睨んだ。


 9回表を終わってスコアは8-7。

 日本シリーズ最終戦らしからぬ荒れた展開。

 ホーム福岡シャークスの1点ビハインド。

 残す9回裏、ランナーにホームベースを陥れられる前に3つのアウトを重ねられればセネターズを率いる名村にとって念願の日本一だ。

 しかも5年連続日本一の古巣を倒して。

 名村にとっては、これ以上の達成感はこれまでもこれからも無いだろう。


 「しかし、最後に切ったカードがどう出るやら。昨日みたいなことになったら敵わんで」


 韜晦とうかいするように名村が言う。 


 「ブルペンの伴野も太鼓判の出来です。今日こそ絶対に監督を胴上げしてくれますよ」


 端神は、ピッチングコーチの伴野とものひとしの言葉を引き合いに出す。


 「いうても昨日も伴野、太鼓判押してあかんかったやないか」


 「昨日は相手の梅崎が一枚上だった、仕方ありません。アウトローギリギリをあれだけ踏み込んでセンター右のスタンドまで運ばれたらお手上げでしょう」


 「鎌田やったら、梅崎の狙いのウラかけたやろうな」


 「そのかわり、球がどこ行くかわかったもんじゃありませんよ。マルは霜月以外のキャッチャーだと全然ストライク入らないの、散々見てるじゃないですか」


 端神の言葉に、名村は憮然ぶぜんとした表情で返答する。


 「ホンマ、丸山はどんな奴やねん。霜月相手だと早よメジャー行けってピッチングするのに、他のキャッチャーやとアホみたいなコントロールって。曲りなりにもプロ入るピッチャーが、いきなり地面にボール叩きつけてバッターにぶつけるとか見た事ないで」


 しかし、言葉を終える時には、ニヤリとした笑みを浮かべている。

 名村は、こうした一筋縄ではいかない選手の手綱を操るのは好きなのだ。


 「バッターの裏通すとか、何球もありましたしね」


 「ホンマ霜月をプロにするために、わざとやってんのと違うかって思ったわ」


 「そんなプロ舐めた奴要らん! って監督おカンムリでしたね」


 「そらそうやろ。こっちは生活の為に必死にやってんのやで。本来プロ野球選手は個人事業主や。人のこと気にして手ぇ抜いてる奴なんざ生きてける程甘い世界やない」


 「けど、監督ご自身がマルの球受けてみて、わかったんでしょう?」


 「ああ、丸山は霜月以外の奴が受けるとフォームがバラバラや。類稀なる体の柔らかさと手首の使い方で普通に球速は出るけどな。あんなん、わざとやったらおかしなるで」


 「マルも野球経験年数自体、そんな長くないですからね。きちんとした指導受けたのって独立リーグに入って、監督やってた伴野に出会ってからみたいですから」


 「昔から丸山は霜月と組んでたらしいからな。霜月相手に投げてりゃ普通に投げれるもんやから、気づかれなかったんやろ」


 「……しかし、監督も丸くなられましたね」


 「何や端神、何が言いたいんや」


 「霜月に対しては、随分と柔らかくなったようで。鎌田が目ぇ丸くしてましたよ。鎌田は打たれた後監督にネチネチ言われてリード覚えてたのに、霜月は昨日だって打たれたボールの根拠を聞いたら仕方ないって、済ませてたでしょ」


 「女子じょし相手にネチネチなんてやれるかい! 言うても霜月はやる気もセンスもあるし、聞かん気強く見えるけど素直や。そういう若人は教えがいがある。鎌田は若い頃自分のセンスに自信持ちすぎて天狗になっとったからな。人によって教え方は変わるもんや。

 惜しむらくは、やっぱり霜月は女子ってところやなぁ」


 名村は心底惜しそうにそう言った。


 霜月玲奈は、野球センスは抜群のものを持っていて、そのセンスで技術をどんどん吸収している。

 ただ、やはり単純な身体能力の点では男性に劣ってしまう。

 捉えた打球を男性ほど遠くに飛ばせない。

 ベースランニングも男性の俊足選手に比べると僅かに遅い。

 女性としては強肩と言っていいだろうスローイングも、プロのキャッチャーとしては弱肩の部類になる。


 本人のやる気とセンスだけではどうしようもない部分が、野球選手としては本来致命的なのだ。


 「負けん気の強さで食らいついとるけどな。なまじ丸山が霜月と組まないとドヘボっちゅうのは、か弱い女子の霜月を過酷な世界プロに引きずり込んでもうたってことなんとちゃうか」


 「まあ丸山本人は至って大人しい、間違っても闘志を出すタイプじゃありませんけどね」


 「ああ。投げる球のエゲツなさが嘘みたいに素直っちゅうか、ホンマにワシもあんなタイプは見たことないで。大抵ピッチャーちゅうのは我の塊やからな。

 せやから逆に霜月の方が気ぃ強いんかな。けど強気一辺倒ではなあ。キャッチャーには腹黒さが必要なんや。昨日の梅崎に食らった一発も、霜月の単調になったリードを狙い打たれたもんやからな」


 「マルの球威なら、並みのバッターならコースの出し入れだけでも抑えられますからね」


 「初見の第2戦は先頭の梅崎以外には上手くいったけどな」


 「昨日は7回ランナー貯めての場面からでしたから、球威と変化球のキレだけではシャークス打線は抑え切れなかったんでしょうかね」


 「アウトロー低め一杯、見逃し三振! みたいなこと考えて勝負に逸ったんとちゃうか。言うても今更ワシが言わんでも、霜月自身わかっとったみたいやしな。

 まあ、2点リードしたから7回でも守り切ろうって投入を早まったワシが浅はかやったんや。絶対王者の古巣を倒せるって目の前にぶら下がったエサに飛びついてしもうた。ワシらはチャレンジャーやから、攻めの姿勢崩したらアカンかった。ワシのそんなところが選手にも移ったんやろう。経験少ない奴らに勝利のかかった終盤3回はキツかったな。ヘボ監督のせいや」


 「赤津の怪我さえなければ赤津で良かったんですが。シャークスの苦手なタイプですし」


 赤津はここ数年のセネターズの抑えを務めていたピッチャー。アンダースローから繰り出すキレのある球と遅く落差のあるシンカーをコントロール良く投げるのが武器のピッチャーだ。

 赤津は今シーズン途中から不調になっていたが、徐々に復調しつつあり、経験を買われて登板したポストシーズン初戦で打球を利き手の右手に受けてしまい骨折。

 公表はされていないが、日本シリーズには登板できる状態ではない。


 「おらんモン考えてもしゃーないやろ。今うちが切れる最高のカードが丸山。丸山を最高のカードにする女房役が霜月。もうやれることはやったわ。

 それにこうやって駄弁ってられるのも、アイツらがやってくれてるおかげやろ」


 「……確かにそうですね」


 名村と端神の会話の間に、マウンド上の丸山はシャークス2番の高梨をサードのファールフライに打ち取っていた。


 名村と端神が丸山と霜月の話題に移った頃に、シャークス1番の太田は待球するも強気の霜月に見透かされていた。

 遊び球なくストライクを厳しいコースに決められ、最後は現役時代最高のスライダー投手と言われた伴野ピッチングコーチ直伝の高速スライダーで三振に切って取られていた。


 「今日の丸山の球威なら高めでフライ打たせるっちゅーのはアリやな」


 「霜月のリード、及第点ですか」


 「まあな。言うてもワシらはもうまな板の上のコイや。何だかんだ言って監督のやれることなんて試合中、そうはないで。選手たちの能力と判断にお任せや」


 「なら監督、そろそろ」


 そう言って端神は、名村のウインドブレーカーを受け取る仕草をする。


 「アホ! お前現役の頃のプレーオフ忘れたんか!」


 端神は名村が監督をしていた他球団に所属していた頃、3位で進出したプレーオフで、あと一人抑えればセカンドステージ進出、という場面で同点にされ、結果敗退したことを思い出しハッとする。


 名村は端神を払い除ける仕草をすると、キャッチャーの霜月玲奈をジッと見つめた。


 「頼むで霜月……男でも一生出れん選手もおる日本一を決める舞台。相手は最強のシャークスや。ここで勝つか負けるかで、人生変わって来るで。お前の後に続こうって言う奇特な女子もおるかもわからん、その子らのためにも、ここや。

 あと一人っちゅうここ。ここが勝負の大一番や。何としても乗り越えてくれい、頼んだで」


 老将は、隣のヘッドコーチにも聞こえない程の、心からの呟きを漏らした。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る