夢。

 来る日も来る日も、私と空ちゃんは研究に身をやつした。

 それでもやっぱり読めない文字はどうやったって読めない。

 文字が読めないという状況に慣れてしまって、その内日本語も読めなくなってしまいそうだ。読めないのが普通、って感じで。

 冗談ではない。

 文字が読めず文面も理解できず、それなのに何を目的として頁を捲るのか。研究に勤しむのか。

 挿し絵、である。

 蒼井宅の書庫に納められた本の多くに共通していることが、ふたつある。

 ひとつ目。文字の解読不可。

 ふたつ目。挿し絵が多い。

 これは不幸中の幸い、とでも言えるだろうか。

 文字だけの本であれば内容の理解はまず望めないが、挿し絵があるとなると話は別である。

 本によっては非常に丁寧な図解が掲載されていることもあり、大変役に立つ。

 私たちは挿し絵を目安に、本の内容を推察している。

 そんなこんなで日は進み、夏休み終了のカウントダウンは20日を切った。残念なことに、現時点では私たちが求めているような本とは出会えていない。

 今日も空ちゃん宅の書庫に引きこもって研究をしていたのだけれど、午後6時には自宅に帰った。

 午前9時からずっと異国語の本ばかりを見て、目も頭も疲労している。寝る時間は意図せず早くなる。まだ9時半だけれど、私は眠い。とても。

 布団の中で目を閉じながら、今日開いた本を思い出すともなしに思い出す。一番記憶に残っているのは、妖精の挿し絵があった本。

 髪を肩の上で切り揃えた女の子の絵が載っていた。しかしその女の子は普通の人間ではないらしいと、すぐにわかった。背中から生えているらしい羽のようなものが、はっきりとした線で描かれていたのだ。更に比較対照とでも言うように、その女の子の隣に一輪の花が存在していた。女の子はその花より少しだけ小さく描かれていた。

 文字が読めないので断言はできないが、私はあの挿し絵は妖精を描いたものだと考える。

 なんてメルヘン。

 他にもたくさんすぎるほどたくさんの本を開いて見てきたのだけれど、他のものはほとんど覚えていない。他にもいろいろとインパクトのある挿し絵があったはずなのに、不思議なことに妖精の挿し絵だけが、私の記憶に焼き付いている。

 そして、私は睡眠欲求にひれ伏した。

 

 光が見える。

 いや、これは光なのだろうか。ただ、視界が眩しい白色で満たされている。

 あらゆる影も形も見えない。ただただ眩しく、白い世界。

 私の足は、この不可思議な状況の中でさえ無意識に歩みを進めていた。前に、前に。

 一体前方には何があるのだろう。そもそもこの世界に白い光以外のものが存在しているのか怪しいが。

 終わらない闇の中をさ迷い続けるというのは考えただけで恐ろしい気がするが、その反対もまた、空恐ろしい。

 いくら光の中にいようと、光以外が存在せず終わりが見えないとなればそれは、暗闇と同じだ。  

 私は今、そのことを知った。

 この恐ろしいまでの輝きが、いつか果てることを願って。そんな風に私は。

 ただ前に進むことしかできない。

 そして突然。 

 光が消滅した。

 しかし世界は暗転しない。

 光が消えた世界もまた、白色なのだった。

 眩しくない、白。

 光のない、白色。

 艶を消した黒色がより深い黒色に感じられるように、輝きを失った白色はそれまでより深い白色に─虚無の色に感じられた。

 その虚無の世界に、しかし1つの存在が現れた。

 1人、いや一匹。それとも一羽だろうか。 

 兎に角だ。

 虚無の世界は虚無ではなくなった。

 虚無を打ち壊した犯人は、とてもとても小さく。その艶やかな金髪は肩の上で綺麗に切り揃えられ、背中からは繊細な羽を生やし…。

 見覚えがある。

 記憶がある。

 妖精。

 顔こそ見えないが、この姿かたちは。

 あの本の、あの妖精。

 妖精は私の前方を、私の目の高さで飛んでいる。

 突然現れ、こちらを気にする様子もなくただ飛んでいる。

 不意に、鈴の音が聞こえた。

 りぃんりぃん、と聞こえたその音はしかし。

 なぜか瞬時に「こんばんは」と私の頭の中で変換された。

 その後も鈴の音が私の耳に届き、私は聞こえた全ての音を無意識のうちに日本語に変換、いや翻訳した。

「あなたは水になりたいのでしょう?」

「良い方法があるの」

「水に願えばきっと」

「水に棲む誰かが答えてくれる」

 最後の鈴の音は「さようなら」と翻訳された。

 そして世界は暗転した。

 真っ暗闇に、切り替わった。

 スイッチをパチンと押したように、それは一瞬の出来事だった。

 妖精の姿はおろか、自分の手足さえも視認できない暗さである。

 

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