額縁持って街に出て

「寒い……」

背中に大きなリュックを背負った少女が呟いた。

「重い……」

青色のもこもこの服を着た少女が後に続けた。

「額縁、やっぱりいらなかったな」

二人はとぼとぼと東京の夜を歩いていた。

何のアテもなく、風の向くまま、気の向くまま。

目的地の無い旅、そう言えば格好は付くけれど、帰る場所の無い旅、そう言えば寂しさが漂う。

しかし、その旅は孤独では無かった。隣からリズミカルに響く足音は、不安で包み込もうとする冷たい夜の街を少しだけ温めてくれる気がした。

「額縁があるから旅になってるんだもん、必要だよ」

陽芽、と呼ばれる少女が呟いた。

「なら持ってよー!」

歌奈、と名付けられた少女が答える。額縁は木製、特に装飾があるわけでもない。大きさは縦百センチほど。額縁には何も飾られていないので、正真正銘、只の枠である。

故に歌奈は肩を通してそれを持っている訳だが、その空白性こそ二人がわざわざ持ち運んでいる理由だった。

「あ、ここ、凄く良いかも」

立ち止まった陽芽に歌奈は無言で額縁を差し出した。

東京の空を埋める明かりの消えない高層ビルは温もりはないのに何故か安心をくれる気がする。立ち止まったのは単純に美しいと感じたからだった。けれど、額縁を向けて切り取った景色は、足を止めて構図を吟味する時間は、何故への回答を二人が考えるように仕向けるかのようだった。

「もうこんな時間なのに、まだ消えないんだね。光」

それだけではない。

近くのコンビニにも光は宿り、耳を澄ませば絶え間ない緊急車両のサイレン、首都高の夜通しの工事、物流を支えるトラックの群れ。

全て、”こんな時間”に輝く光なのだ。

苦痛と共にあって、だが確かに守りたいものや叶えたいことの為に輝かんとする光。

額縁はそうした光の一粒一粒を丁寧に集めた。

道ばたを照らす前照灯、風景にすらならない存在も、二人が額縁を向ければたちまち絵画に変わるのである。

「もっと、こう、端っこに主役を寄せたほうがいいんじゃない?」

二人の興味はビルから高層ビルの足下をひっそりと照らすローソンの看板に移っていた。

主役、二人がそう呼ぶのは何の変哲もない看板だった。特に変わったことと言えば少し色あせているくらい。

「うーん、これじゃあ寄せすぎかな・・・・・・」

歌奈がじっくりと考えている間にも陽芽はどんどん動かしてしまう。

「ちょっとっ!」

そう言って陽芽の腕を掴む。

「人がせっかく構図を吟味してるのに、そんなにドンドン動かしたらわかんなくなっちゃうじゃん!」

考えてから動かすより、実際に動かしてみて見つける方が絶対早いし楽しいよ、と言わんばかりの顔で「じゃあその、吟味した最高の構図を見せてよ」と言って歌奈に額縁を渡した。

手ぶらになった陽芽は雑居ビルの前に設けられた小さな花壇の淵に腰掛ける。

こうして旅、正しくは家出、より正しい表現をするなら失踪するまで、東京には高層ビルと商業施設くらいしかないのだと思っていた。しかし、こうしてやってきて分かるのは普通に暮らしている人が居る、ということなのだ。

高層ビルの足下にはこうして雑居ビルや一軒家があり、スーパーがある。もちろんコンビニも。

広い視界の中ではどうしても高層ビルが主役になってしまう。それは仕方ないこと。特に二人のような、東京には修学旅行ぐらいでしか縁の無い人にとってはそうなのだ。東北の殆どは田んぼ、と思っている東京の人と同じくらいにはそうだろう、と陽芽は自己擁護した。

しかし、ひとたび額縁を向ければ、視界は限定され、好きなものを主役に出来る。それは気がつける、という事である。

『カメラは残す道具ではなく、視る道具だ』というのは誰のセリフだか忘れてしまったが、額縁はまさにそれだと思う。

もちろん、カメラとも異なる特徴だって額縁は持っている。

「おし、これで完璧!」

歌奈がそう言うと、慎重に陽芽の方を向いた。

完璧に固めた構図を崩すまいと額縁を一ミリでも動かさないつもりのようだった。

それなりの重さがある額縁をそうして持って居るのは大変なはずだ、と無意識に推論すると悪戯に見に行くのを先延ばしにして、明日の歌奈を筋肉痛で苦しめてみたい、という悪魔の囁きが聞こえる気がした。

「ちょっと早くしてよ! この体勢結構きついんだから!」

その言葉を支えに天使が競り勝ち、陽芽はすんなりとのぞき込んだ。

「うーん、素敵・・・・・・だけど”なんか見たことある”みたいな感じはしちゃうな」

それは良くも悪くも、等と枕詞を付ければ「良くも、はともかく悪くも、ってどういうこと!?」と歌奈が騒ぐことを知っている陽芽は穏当な表現に留める。

その甲斐あってか、歌奈は陽芽の感想に無言を貫く。

しばらく経って頭を上下左右に少しずらしてみる。たったそれだけの動きで、印象がガラリと変わる様に陽芽は、何かを思い出したかのようなうなずきを見せた。

「あーでもごめん、私が見た景色が歌奈の見つけた景色だっていう保障は無いんだよね」

それが写真と額縁の異なる点の一つだった。

額縁は枠でしか無いため、見る角度によって見える物が変わってしまうのである。

よくある哲学の話に、私の見る赤とあなたの見る赤が同じだとは決して証明できない。というものがあるが、額縁を通した景色も似たようなものだった。

二人の目の位置は、普通にしているだけでは決して同じにはならない。どうしても数センチ、数ミリ、ズレる。それが二人の見る景色を変えさせるのだ。

「でも、陽芽は陽芽なりにちゃんと見えたんだよね」

歌奈はいそいそと額縁に腕を通し、肩に掛ける。

「もちろん!」

陽芽も地面に置いていたリュックサックを背負い直す。

「確かに同じものを見ていたんだから、多少違うように見えたって大丈夫!」

どうしてか、励ますように聞こえる歌奈の発言に陽芽は微笑みで返して歩き始めた。

夜の街は未成年の少女に残酷だ。

こと、家出をした少女には特に。

夜風は冷たく、行く場所は無い。

危ない目に遭うことはなくても、

孤独。それだけで心が蝕まれる。

二人は、二人のまま孤独だった。

「これを買ったのってさ、旅を始めてから直ぐの時だったよね」

これとはもちろん額縁のことである。

「陽芽が突然ハードオフで額縁を買ってきた時は、あ、気が狂ったんだなって思ったよ」

思うだけじゃ無くて言ってたけどね、と若干の記憶の齟齬を感じつつ陽芽は空を仰いだ。

都市から漏れた光が曇天を明るく照らしていた。

「買わない方が良かった?」

すれ違う人々に怪訝な目で見られる度に、ここが居場所では無いのだという事を痛感し、ここが居場所と思ったら最後だとも考える。

「もちろん買って良かったと思う・・・・・・たぶん」

家出、二人がそれを決行したのは少し前のことだった。

「たぶん、って何さ」

理由なんてどうでも良かった。ただ、なんとなく、逃げ出したい。

「いや、高かったし、半分私のお金だし、腹は膨れないし・・・・・・」

二人揃ってそんな気分だったので実行されてしまった、というだけなのだ。

「あー、えーと、その節はなんかごめん」

しかし、理由なき行動によってもたらされた感情はとても意味ある物だった。

「冗談だよ!」

少なくとも、二人はそう考えている。

「なら良かった。私達ってさ、きっと型にはめられるのが嫌でこうしてるんだよね」

二人はネットカフェに向かっていた。

「自分の人生は自分で決めたい。自分を自分で操っているっていう感覚が欲しくてこうしてるのかなって私は思ってたけど。陽芽の考え方も合ってる気がする」

セルフ入店かつ店員がワンオペな穴場の店。近場ならいくらでもあるが、未成年だったり一つの部屋を二人で使ったり。そうした融通を効かせられる場所となると相当に限られてくる。

「でもさ、型があるから見える世界がある、って最近気がついたんだ」

「そのせいで、見えるはずの世界が見えなくなっても?」

歌奈が直ぐに言い返した。

二人の歩みが若干遅くなる。まるで、この議論は何かに遮られる訳にはいかない、とでも言うかのように。

「その二つはきっと、両立しない」

「うん」

「なら、せめて、どちらを選ぶか、それくらいは決めたいじゃん」

「だね」

「だから、私達は額縁を持ってるし。今、こうしている」

陽芽が大きく一歩を踏み出し、歌奈と正対して言った。

凜とした表情に歌奈は思わず息を飲む。

「そっか。結局はどの額縁にはめられるか、って事なんだよね。私達は変わらない、世界も変わらない。それでいて変わるってなればそれは額縁が違うって事になる」

あと10時間ほどで喧噪に満ちる繁華街は静謐そのものだった。

「分かってくれてありがとう。私達は絵じゃない。どの額縁を通して世界と触れるか選ぶことが出来る」

私達の生き方はまだ、変わらない。

けど、この”旅”の意味は少しずつ変わっている。

そして、終わりに一歩一歩近づいている。そう感じる。

数秒、あるいは数十秒。見つめ合う時が終わったのは冷たい風が吹いたとき。

少女が、額縁の外というどうしようもないことを認め、諦める。その勇気を得るのは桜が咲く頃になる。

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秘めやかな。 天波匠 @amanami_takumi

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