炎と満月の歌

 朝。陽芽は赤色の腕章を隠すようにして電車に揺られていた。

 背負った箒は満員電車の中では相当な存在感を放つ。全方向から差し向けられる嫌悪の視線を感じて陽芽は背を丸めて耐えていた。

 

 

 魔法、それはこの世界における適性であり、適正だ。

 職業や人生を規定する強固な軌道である魔法は多くの者に幸福を約束する一方で、適性と願望の乖離とそれへの納得と諦めの強要を生んでいた。

 

 

「おはよう我らがお陽芽」


 紺色の腕章を付け、背中に巨大なケースを背負った歌奈が校門を通ったばかりの陽芽に話しかける。

 

「もう、それは恥ずかしいからやめてって言ったじゃん」


 見渡せば様々な色の腕章があった。それは魔法適性を示す。例えば陽芽の赤であれば火系炎、歌奈のものであれば天体系月。こんな具合である。

 

「猫背で歩くのをやめてって言ったんだけどな」


 じとっと歌奈を一瞥した陽芽は仕方なさそうに、少しだけ背を伸ばして歩き始めた。

 昇降口に近づくに従って生徒は急速に減っていた。学年毎に校舎が違うのもそうだが、皆朝練があるのだ。

 

「仕方ないじゃん。炎系じゃ入れる部活も、将来の進路もろくな奴が無いんだから」


 下駄箱にロウファーを投げ入れた陽芽は、屋内用の革靴を放り投げて履きながら歩き出す。

 

「本当に陽芽は自分の適性が嫌いだよね。受け入れちゃえば良いのに。案外楽しいもんだよ、天文部も。そりゃ暦法魔法使いが就ける仕事なんて知れてるけどさ・・・・・・」


 丁寧に履き終えた歌奈が先を行く陽芽を走って追いかける。

 背負ったケースが揺れるが仕方ない。制服の上に纏った薄紫のローブが風ではためく。

 

「けどさ、電気系の人みたいに朝から晩まで働いて、高給ってのが幸せとも思えないんだ」


 陽芽は一回も立ち止まらず、耳を傾けるそぶりも見せず教室に向かい続ける。

 それは美術室から漂う絵の具の匂いや、職員室から聞こえてくる朝会議の音、廊下に差し込む薄い光。

 そんな一切を感じないかのような清々しい歩きっぷりだった。

 階段を上った先に二人の所属する二年一二組の教室があった。

 

「それでも、私は、人の役に立つ仕事に就きたいの!!」


 教室の扉の前で回れ右した陽芽は歌奈に向かって両手を広げて主張した。

 

「受け入れるとか簡単に言うけどさ、受け入れられるくらいの願望しか持ってないからそう言えるんだよ・・・・・・」


 傍から聞いたら棘のある発言。だが陽芽のその発言は諦めきれない自分への苛立ちに由来するものだと理解していた。

 

「とりあえず入ろっか」


 扉に近づいてくる足音を感じた歌奈は陽芽にそう言って、再び回れ右をさせる。

 教室と廊下を隔てるガラスが全て磨りガラスなのを良いことに、毎朝のように繰り広げられる会話。歌奈は未だ、陽芽のその願望を知れずにいた。

 

「うん」


 扉が開いた次の瞬間、陽芽はすっかり何時もの明るい陽芽に戻っていた。

 背負っていた箒を教室後ろの固定具に引っかける。体育の実技テストが近いので家で練習している生徒も多い。固定具は半分以上が空いていた。

 歌奈も背負っていたケースを後ろに置いた。中にあるのは天体系魔法使い専用の暦法魔法支援型天体望遠鏡だった。

 

 

 陽芽と歌奈は放課後、進路室に立ち寄っていた。二人が同じクラスであることからも分かるように、通常は適性をかき混ぜて編成されるため教室には様々な色の腕章が並ぶことになる。

 しかし進路室の項目は適性毎。陽芽の周りには赤色、歌奈の周りには紺色の腕章を付けた生徒が何人も居た。

 皆一様に、真剣な表情でパンフレットを読み込んでいる。

 とはいえラインナップは貧相なものだった。陸海空の軍隊か、警察か、という程度。希に料理人やボイラー技士といったものもあるが、次々に機械魔法化されていく分野にわざわざ就こうとする者も居なかった。

 これが、炎系魔法使いの宿命だった。

 進路室の天体系魔法は更に貧相だった。手を伸ばしても届かないような大学に進学して研究者になるか、公営天文台の職員になるか、くらいしか紹介するパンフレットは無い。その隣には非魔法適正者向けのコーナーがあり、実質そこと一体化している。

 背後にある風系魔法コーナーから聞こえてくるはしゃぎ声が赤色や紺色の腕章を付けた少女達を苦しめる。

 こぼれ落ちそうになるほど詰め込まれた大量のパンフレットに緑の腕章が、バーゲンセールのように群がっていた。

 歌奈はその中でそっと地元の町営天文台の採用パンフレットを閉じ、非魔法適性者向けの就職案内を開く。

 これが、歌奈なりの受け入れ、であった。

 

「ありがと歌奈。もういいや行こ」


 夕日を背にして肩を叩く。気がつけば周りには誰も居なくなっていた。

 ただ、冷たい進路室と、そこから伸びる人気の無い廊下だけがあった。

 

「ごめんね、待った?」


 慌てて机の上に置いたリュックサックを背負いながら言う。

 

「うーんまぁ。でも適性外のパンフレット眺めるのも楽しいし全然大丈夫。やっぱり歌奈は非魔法適性者として就職するの?」


 どこからか聞こえてくる吹奏楽部の練習音と、運動部のかけ声を背景に陽芽の優しい声が響く。

 

「うん。それしか道ないし。それに、機械魔法化が進んでるとはいえ純非魔法適性者と比べたら私達みたいな適性外魔法使いの方が操作に長けてるしね」


 帰り道。乾いた落ち葉を踏みしめる度に秋が深まるように感じられた。

 冬には三年生の進路活動が本格化する。それに伴って陽芽達二年生の進路も大まかに決定されていく。

 風系といった大学進学率が高い適性は専門教育が、陽芽のような就職組には各分野に応じた試験対策が、歌奈のような非魔法適性者としての進路を取る者には資格取得を目指した活動が用意されている。

 歌奈は一直線に伸びる銀杏並木に、残酷なまでの軌道を幻視した。

 

 

 駅前を歩いていると歌声が聞こえた。

 

「ねぇ、あれって!!」


 歌曲系魔法使いによるストリートライブと思われるそれは陽芽の興味を引くには十分だった。

 

「うん、すごいすてk・・・・・・」


 歌奈が言い終わるのを待たず陽芽が走り出す。

 ジョギングのような調子だが歌奈の全力疾走に勝る速度で音色を目掛けて一直線。

 歌奈も追いかけるが追いつこうとはしない。

 聞き入る群衆に陽芽が飛び込む直前。歌奈は走りつつ息を整えて、大きく冷えた大気を吸い込む。

 

「陽芽! あんまり走ると危ないっ」


 せめてとばかりに声で陽芽を捕まえようとする。

 騒音に満ちた駅前とはいえ演奏を邪魔するのは気が引けたが仕方ないと自分を納得させる。

 だが、その呼び声は。

 確実に報道に飾られる数字を一つ減らした。

 何が起こったか、理解出来なかった。

 言い終えた瞬間、群衆の中で爆発が起こった。最初に訪れるのは静寂だった。

 例えるならば学校で稀に発生する突然発生する沈黙。

 辺りを見回す者、己の怪我を認識できずに虚空を見つめる者。ある種、最も平和な時間が終わると悲鳴、鳴き声、叫び声・・・・・・混沌が訪れる。

 

「陽芽!」


 歌奈は爆風の煽りでつまずいた陽芽に駆け寄った。外傷の無いこと、意識のあることを確認すると歌奈は状況確認をする。

 周りを見渡せば救命活動や消火活動、避難が進められていた。

 

「歌奈は怪我無いの?」


 歌奈に抱えられた陽芽が聞く。

 

「爆発に近かった陽芽に怪我が無くて、なんで私が怪我してなきゃならないのさ」


 変な口調になってしまったのは周辺の観察をしながら話すためだった。

 

「見てみて、陽芽」


 この場所で、何が出来るだろうか、一瞬考えるが、すぐに思考を捨てる。

 何もしないことが、何かをすることより価値を持つこともある。どこかで見た危機対策マニュアルの一文をを思い出す。

 

「今、この場所で救命や、消化や、避難をしている人達は皆、魔法を使っていない。中には魔法使いもいるだろう、非魔法適性者ももちろん居るだろう。それぞれが別々の職業で生きている人達だよ」


 二人は人混みを避けつつ移動を始める。けが人に場所を譲る為だった。

「陽芽は今朝、人に役立つ仕事がしたいって言ったよね。でも、人に役立たない仕事なんて無いと思うんだ」


 陽芽が一度、辺りを見回した。

 

「あっ・・・・・・」


 例えば人々を魅了してた歌曲系魔法使いの一団は増幅装置(スピーカー)を使って様々なアナウンスを続ける一方、治癒効果のある音色を必死に響かせ続けていた。

 駅前に面したドラッグストアの店員、コンビニエンスストアの店員も飛び出てきて様々な資源を供出している。もちろん、生命系や動植系の魔法使いは己の適性を生かして治癒を行っている。

 

 それぞれが事件への対処、そして人命救助へ向けて「役立って」いたのだ。

「陽芽が、魔法の適性を生かして人に役立ちたい。他の魔法適性で生きていきたいって悩むなら分かるんだ。私だって全力で陽芽の悩みと向き合う。そのどうしようも無い苦しみを分かち合えるように。でも、陽芽は役立ちたいの一つだけだったよね」


 やっと遠くから緊急車両のサイレンが聞こえてきた。ここから先は職業魔法使い達の活躍の場だ。

 活動していた名も無き人々は役目を終えた者から日常に復帰しつつあった。怪我が無いとは言え陽芽もつまずく影響を受けている。きちんと検査してもらった方が良いだろう。歌奈はそう判断していた。

 二人がゆっくりと話せる時間は僅かだ。

 

「だから、もう一回言うね。人の役に立たない仕事なんて無い。人の役に立つから仕事として存在しているんだ」


 毎晩、鏡越しの自分に言い聞かせるように歌奈は陽芽に言った。

 

「歌奈の言うとおりだね。それと・・・・・・。もしかして歌奈は他の魔法適性で役に立って生きていきたいと思っているの?」


 車両から降りた様々な専門職の魔法使いがこちらに駆け寄ってきていた。

 

「どうして、それを・・・・・・」


 陽芽は笑うだけだった。

 

「私は、歌奈が天文台の職員さんとして子供達と星空観測会を開く姿が想像できるけどなー」

 

 これは幸福な結末を語る物語ではない。

 結末を幸福と自分が思えるよう。

 必死に抗った少女のある一日の物語。

 

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