天降りスライダー

 天降り、それは静止軌道四万キロメートルから惑星表面まで一気に降下する惑星メインスの成人通過儀礼。

 友と二人で行い、その友とは義兄弟として死ぬまで共に生きることになるとされていた。

 

 見上げると黄色い星があった。惑星メインスは黄色砂漠と黄色海に覆われた惑星であり、動植物も擬態するために黄色に進化している。

 陽芽の家はメインス静止軌道にあるステーションのメインス側だった。横の見れば無数の家々がステーションの外壁から生えている。


「あんた、まだ降下しないの」


 後ろから声がした。

 陽芽とは明らかに違う髪色。血は繋がっていなくとも陽芽にとっては実の母親同然の家族の一人だった。


「仕方ないじゃん。歌奈が怖いって言うんだから」


 陽芽が口を尖らせる。陽芽にとっても歌奈にとっても、天降りをする友はお互いだった。

 だが、それ故に陽芽は歌奈の高所恐怖症に付き合う羽目になっている。


「そもそも西暦六〇〇〇年にもなって、なんで通過儀礼とか残ってるの。それが謎!」


 陽芽が無重力らしい等速直線運動でクッションにダイブする。近づいたところで人工重力圏に入りスポンと収まった。


「だからこそ、でしょ。伝統は残さなきゃ。それよりあんたはもっと高所を怖がりなさい。それは駄目って何回も言ってるのに」


 流石に歌奈の悪口は言えないらしく、矛先が陽芽に向く。


「いーじゃーん」


 陽芽は端末を取り出して膨大に入る星間通信スパムの削除を始める。若者の伝統的な過ごし方を実践するとばかりに堂々と端末を操るのだった。


「天降りしないと軌道から出られないの知ってるでしょ」


 ポソリした声。直後に扉の開閉音で家族が出て行ったことを知る。空気の強制循環装置の稼働音も小さい展望室はほぼ無音。

 この孤独感は、メインスが大きすぎるからだと陽芽は自分に言い聞かせた。


「降りる・・・・・・降りない・・・・・・降りる・・・・・・降りない」


 歌奈は「黒点占い」をしていた。

 恒星から放出される磁力線生データが更新される度に選びがたい二つの事を相互に言っていく。確定するのは不定期に訪れる通信回線変更による画面切り替えの時。


「・・・・・・降りる、あ」


 まさにそれが今だった。

 歌奈が思わず下を向くとちょうど床に映されていた映像が切り替わり、メンイスが映る。

 心臓が締め付けられるような感覚と、それから冷や汗。思わず両手をぎゅっと握った。


――ずっとこれだ。高所恐怖症。別名を惑星重力恐怖症。軌道内から惑星を見ると落下する強い恐怖を感じる。


 原因は惑星重力圏だけで過ごしてきた人類が、数千年経っても宇宙に適応しきれていないことだった。つまり、どうしようもないのである。

 そろそろ画面更新されたかと、歌奈が薄ら目を開けるとメンイスに向かって一つの光が高速移動しているのが見えた。

 いつか歌奈も降りる羽目になる天降りスライダーは軌道エレベータの名残と言われていた。赤道に設置された地上局とステーションを繋ぐ一本の炭素製ロープに宇宙服を括り付け加速して放ちそのまま体一つで地上まで降りるのである。

 当然断熱圧縮もあるため、宇宙服にはジェルが塗られる。それでも宇宙服は使い捨てることになるのだが。

 歌奈にとって、というかメンイス軌道以外の住人にとって軌道突入は船でする行為だった。

 だが、それをしない限り歌奈は、陽芽も大人にはなれず、メンイス軌道から出ることも叶わない。

 陽芽に取って天降りは絶対にしたくない行為だったが、友である陽芽を思えば絶対にしなくてはならない行為でもあった。

 


 ある日、陽芽が端末を弄っていると見知らぬ人間からの星間通信が入っていた。

 通常、登録外からの星間通信はステーションの情報通信防衛壁が遮断するのだが陽芽はある理由で解放していた。

 そして、それはその理由を満たすようだった。

 陽芽は育ての母ではなく、実の母を探すため、入港した全ての宇宙船に捜索を依頼していたのだ。

 名前と顔をステーションに照会し合致したら諸元と星間通信文を送信するソフトまで自作し、これを実行することだけを依頼する。

 費用としてお菓子づくりまでして、小学生の時から探し続けていた。

 母親らしき人が見つかったのは星系間宇宙船燃料補給ステーションジェクサ四九三七だった。

 周囲数百光年に天体が存在しない究極の無に母親と同じ顔を持つ人間が居る。そう確信した陽芽は貯め続けたお小遣いの額を確認し、母の元まで行く旅券を買おうとした。

 が、表示されるのは権限不足。


「陽芽、それ・・・・・・」


 後ろから、今一番会いたくない人の声がした。


「なんでもない!」


「なんでもなくない!」


 こんな大声をぶつけるのは何時ぶりだろう。ふと考える。

 陽芽にとって歌奈は母親と同じくらい大切だった。歌奈の怖がることを無理強いさせないくらいには。

 歌奈にとって陽芽は自分と同じくらい大切だった。裂け出そうになる恐怖心を覚悟で縫い付けるくらいには。

 


「私のために無理しないで」


 天降りの申請を始めた歌奈に言う。


「軌道の滑り台から惑星に降りるなんて、簡単だよ」


 と弁明するか細い声と作り笑顔。顔面は蒼白に唇は青く両手両足は震えていた。

「どう見たって簡単な人の様子じゃないよ!」

 仮に肉体は無事でも精神が死んでしまうのではないか、そんな漠然とした、しかし確固たる不安を感じていた。


「私の決意を揺るがせないで! 決めたの。行くったら、行く!」


 申請を何とか完了させた歌奈は唇を噛んで恐怖心を押さえ、止める陽芽を引っ張るように天降りの舞台に向かっていく。


「なんでそんなに頑張るの?」


 絶対に降りられないと噂されていた二人の儀礼だけに多くの人が見物に訪れていた。

 その中で聞かれた質問に「友達じゃん。私、陽芽の」と振り返り言う歌奈。

 宇宙服を着るとエアロックが解放されいよいよ宇宙に露出する。

 背中で固定するロボットアームが宇宙服を天下りスライダーの降下装置につなぎ止める。反重力フィールドで摩擦をゼロにする優れものだ。


「歌奈の家族、呼ばなくて良かったの?」


 見上げた所にあるガラスドームに陽芽をもう一人の娘のように育ててくれた人達は居なかった。


「陽芽こそ、ずっと一緒に暮らしてたのに良かったの?」


 手を繋いだ二人は地上局の急減速装置の準備が完了するまで少しの間、会話する。


「良くないけど、歌奈が色々急いで決めちゃうから」


「降りるなら陽芽とが良かったんだ。でも私が今日降りられないなら陽芽には別の人と降りて貰うべきだとも思った。今日降りられないなら友達じゃないと思うから・・・・・・」


「ありがとう」


 その言葉と同時にブザーが鳴り、二人は秒速五キロで放たれる。

 

 ステーションから斜めに伸びるスライダーは太陽の光を浴びて金色に輝いていた。そして惑星メンイスも。

 

 歌奈がその恐怖に耐えるため、目を瞑り舌を噛んでいる間。陽芽はずっと手を握っていた。

 低軌道を回る貨物船の主推進剤の帯は祝福の花束のようだった。

 

 まもなく、足先が断熱圧縮で赤くなり始める。

 大地は近く、薄い大気は藍色だった。

 

 灼熱に変わった内部、冷却用に蒸発する外装材の音。

 陽芽すらも恐怖を感じる。その瞬間、二人が頼れるのは二人だけだった。

 

 気絶していたのかもしれない。

 次に目を開けたとき、二人は惑星メンイスの空に居た。

 ずっとずっと、映像だけで見てきた世界が、今は山々や木々の一つ一つまでしっかりと捉えることが出来た。

 

「・・・・・・歌奈?」


 痛いほど強く握り握られていた手はそのままだった。

「天降りしたら一生の友なんだよね」

 念を押すように聞く歌奈。


「うん、そうだけど・・・・・・」

 


「・・・・・・。・・・・・・私怖くておしっこ漏らしちゃったかも・・・・・・」

 

 やり遂げたという圧倒的な幸福感と満足感、優美で感傷的な景色、母親を見つけられ会いに行くという期待。

 それを台無しにする告白に陽芽は思わず笑みをこぼした。

「大丈夫、黙ってるから」

 陽芽が優しく言った。

 少し開けて「お母さんへの土産話にはするかも」と付け足す。

 

 

 惑星メンイスの空中には大人になった、二人の少女だけがいた。

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