プリティッシュ

 平均点が高いこの街のカフェだが、ここは飛び抜けて不味かった。雨と霧の街で不味い紅茶に出会うことはそもそも奇跡のように感じる。

 それでもそれなりに繁盛しているのは、この街の舌が良くないのだろうか。するとこの島のメシマズ伝説を証明することになる。

 そんなことを考えていると奥からカズキが歩いているのが見えた。味は最悪だが、街角にあり古いレンガビルの一階を改装したこの店の見晴らしは最高だ。空襲を生き残ったのだと感じさせるくらいの開放感。

 そのまま店内に入るとアッサムとセイロンのブレンドを注文する。店内の喧噪で目立つ程の美貌はない、がそれが良かった。等身大の相手のほうが恋しやすい、陽芽はそんな観念を持つくらいには大人だった。

 彼の一挙手一投足を観察していると不意に目が合いそうになって、慌てて反らす。その先には街を歩いているカナがいて、目に入る。

 ベーっと小さく舌を出して小さな拒絶をするが、もちろんカナはそんなことを知らない。

 

 いつもの通り店内に入店したカナは何かを注文し、受け取ってからわざわざカズキに挨拶をして隣に来る。

「おっはよ!」肩をドンと叩く、そんな距離感も苦手だった。

「毎朝、毎朝、当てつけのつもり?」気がつくとそんな質問をしていた。「あら、彼と笑って挨拶する権利は、貴女にも保障されていて?」と純粋無垢の表情で、少しイントネーションを際立たせて言うカナ。

 それが陽芽がジェンダー学専攻なのを皮肉ったものだと即座に分かったのは陽芽がもうこの王国に来て二年経つからだった。

 別にカナは私の事が嫌いな訳ではないんだ! カナは自分にそう言い聞かせる。

 少し気に障ると、あるいは隙を見せると出ちゃうものなのだ。そうでなければ、この言語は世界共通語になどなっていないはずなのだから。

 とはいえ歌奈のそれを文化に当てはめて批判する気にはなれなかった。なぜなら、それはカズキへの批判にもなっていまうから。

 

 良き友人として、歌奈としばらく話していると着信音が聞こえた。聞き覚えのある標準音だが陽芽の設定音とは違う。

「ごめんっ」失礼するね、を含意した言葉で挨拶してから電話に出る。

 ――友達と話すより大切な相手なのかな?

 横目にチラリと見るとずいぶん楽しそうに話すではないか、と陽芽は目を細めて考える。

 狭まった視界に侵入したのは他でもないカズキ。電話中は往々にして無防備なものである。一瞬の隙を逃すようでは極東で生き残れなかったのだ、と先祖の努力を、勇気の足しにして陽芽は飲みかけを載せたトレイを持って立ち上がり、カズキの隣に座った。

 なるべく流暢な「失礼していい?」を言う。きっと彼らは星条旗訛りを発見するだろうが。

「もちろん」和<にこ>やかに応じる彼。

 椅子を引きつつ、背後の歌奈を見ると繕いきれない表情を見せている。

 この街には似合わない感情を露呈させたそれに少しにやりとする。言ったりするのが得意だからといって、反対も得意とは限らない。陽芽は自慢げにそんなことを呟いた。

 

「ずっと一緒だったけど、中々話しかけられなくて……」

 なんだか言い訳のようでないか、口を開いた直後から自省が始まる。惜しむべきはそこから生じるフィードバックで軌道修正するだけの交流力を持たないこと。

 それはまさに陽芽の隙だった。

「僕もだ。歌奈に先んじられて話しかけられた時の、悲しげで悔しそうな奥手の様子がいつも綺麗で愉快だったから」さらりと、街並みに目を向けながら言っていた。

 彼もまた生粋の、この街出身の人間なのだな、という感慨に陽芽が浸かっていると「少し言い過ぎたかな」という予想外の言葉が聞こえる。

 母に呼び出された子のような顔をしていた。

――世界にはたくさん言語があって、みんな合わせてあげてるだけと知るがいい。

 その麗らかな瞳と、偉大な悲劇作家に向けて陽芽は日章旗語で呟いた。

「ユニオンジャックの名が泣くわ」

※作者は英国が大好きです。

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