おふとんだいばーす
扉を開けるとベビーパウダーのような甘い匂いがあった。
「あ、お帰り」ピンクの毛布に包まった小動物が目をこすりながら言う。
「陽芽はもう寝る時間でしょ?」
大きな隈を浮かべた歌奈が柔らかにたしなめる。
「でも歌奈が心配で・・・・・・」
弱々しく発せらた優しさが歌奈の矛を緩めさせた。服を乱雑に脱ぎ捨て、ベッドに飛び込むと、陽芽と抱き合う。
そこは十二畳の部屋一杯にベッドが敷き詰められた秘密の花園。無数のぬいぐるみとタオル地の布団で満ちた場所だった。
その真ん中で背を曲げ猫のように眠る二人の少女。乱れた濡羽色の髪は歌奈の心理を、揺りかごの子のような微笑と肌は陽芽の純潔を表す。
外がどれだけ脅威に満ちていても、今、この布団だけは安全であるということ。明日に向かって飛び続ける二羽の小鳥は深い眠りに落ちていった。
朝が来れば歌奈は仕事に、陽芽は家事をしなければならない。それが二人にとっての現状選られうる最大の幸せだった。
その日、歌奈は折りたたみ傘も差さず、予報外の雨に打たれて帰ってきた。化粧でぐしゃぐしゃになった表情で玄関に立ち尽くしていた。
陽芽はただ、いつも歌奈が使っているクレンジングシートを使い見よう見まねでメイクを落とし服を脱がせる。そしておふとんに手を引いていった。
「なにか食べたいものはある?」
陽芽の初の一声。
「いらない」
子供のような口調。
「おふ・・・・・・」
「いらない」
「したいことは?」
「ねたい・・・・・」
いくつかのぬいぐるみを横たわる歌奈の周りに配置し魔法陣のようにする。それからクリーム色のパジャマを脱ぐと、空けておいた小さな空間に自分が収まった。
冷たく冷えた歌奈の身体を温めようと陽芽は必死にくっついた。吐息が感じられる距離。
右手は歌奈の頭を撫で、左手では落ち着けるようにトントンと叩き続ける。
子供をあやすような仕草に歌奈は満足げな表情を浮かべ静かに目を閉じた。
「ゆっくりお休み、歌奈」
陽芽はそう呟くと常夜灯を消し、自らも目を閉じた。歌奈が一生夢の世界に居られますようにと願いながら。
その日、歌奈は初めて会社を欠勤した。否、させられた。
陽芽が会社に連絡したのだった。それを知った動揺は書くに及ばない。
「今日はさ、一緒に遊んで過ごそうよ!」
朝ご飯にアイスを持ってきた陽芽が悪戯っぽく微笑んだ。
一瞬躊躇う様子を見せた歌奈にアイスを渡すと陽芽は一口、自分のを食べてから「貰いっ!」と声を上げて歌奈のミカン味を食べた。
大好きな味を奪われた歌奈は陽芽のイチゴを奪おうと襲いかかる。
じゃれ合いながら朝食を終えると、布団の中でくすぐり、じゃれあった。ぬいぐるみを巡る宝探しを終えたあるとき、歌奈が仰向けに天井を見上げながら呟いた。
「私、仕事なんもできないんだ」
しかし陽芽はじっと聞いていた。
「みんな私が今日休んで喜んでる。怒らなくて済むって」
そんなことない、と軽々しい言葉を陽芽は持たない。
「辛かったんだね」
意味のある過去形。力なく頷く、その動作だけで十分だった。
「そっか。じゃあ、引きこもっちゃおう!」
するのは受容、出来ることは抱擁、大切なのは優しさだ。
そんな発想無かった、というテンプレートの表情に陽芽はもう一度悪戯っぽく笑う。
辛いならば逃げれば良い、それは三年前に歌奈が言ってくれた言葉だった。
「歌奈は引きこもろうとしたんじゃなくて、社会に引きこもらされたんだよ」
これもその一つ。
「歌奈が疲れたなら、今度は代わりに私がゆくよ」
陽芽が四つん這いになり歌奈に覆い被さる。
「だって・・・・・・」
「何とかなるし、何とかするし、何とかさせる、大丈夫。こう見えて私、お仕事には自信あるんだから!」
不安で押しつぶされそうだ、という心の声。
だがいつか乗り越えたいと思っていた壁だろう、と言い聞かせる。
今度は歌奈を助ける番。それだけで理由は十分だろう、と不安をねじ伏せる。
仕事も学校も人生の本質ではなかった。それはおふとん、潜り込んだその先にある。
おふとんだいばーす。社会を戦う全ての人を優しく包む、天国の守護者。
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