秘めやかな。

天波匠

アヴァンギャルド

「陽芽ちゃん、援護よろしくっ!」

 部長がスフマート(「煙がかった」という意味の美術技法)で文芸部の追撃を幻惑しながら転進(美術部のエスキース(作品の制作計画を指す美術用語)に撤退の二文字は無いのだ)してくる。

 入れ替わった私は白煙立ちこめる東校舎二階廊下、二-三教室の前で二人の文芸部員と正対する。

「面影や大人びた子の送り盆」一人が押韻(同音を重ねる技法。この句であれば「お」を三回重ねている)でこちらに迫ってくる。部長を一瞬でも追い込んだだけはある技量。

 忘れてはいけないこと。それは私に課せられたのは撤退援護、ということだ。

 技を受け止める必要も、戦闘をする必要もない。それを自分に言い聞かせる。

 軽く握った木炭で彼ら自身を画用紙に書き上げ押韻を逸らす。

 攻撃を相手に転写するデッサン(見た物を平面に落とし込む、素描ともいう美術用語)は初歩でありながら最も有効な攻勢防御術だ。デッサンの効果を確認すると部室を目指してスカートを揺らして降りていく。

 何があろうと廊下を走ってはいけない。

 

 すぐに下校時間を知らせる放送が鳴ったので、私は早足を緩めて部室に戻った。

「陽芽ちゃんありがとう。助かった!」

 快活そうに部長が言う。

「和希先輩に勧められたシナノキの木炭使ったんですけどすごい書きやすかったです」

 話しつつ鞄に諸々を突っ込むと「また明日!」と言い昇降口に向かった。

「待ったよね」

 幼稚園来の親友、歌奈に声を掛ける。部活は宿敵、文芸部。

「ううん。締切ギリギリだから部室で書いてた」

 少しの焦燥を浮かべて遠くを見る歌奈。

「陽芽は明日からなんか予定ある?」

 もちろん学校、と言いかけたところで明日、八月十四日から学校は閉庁期間に入ることを思い出した。

「全然決まってないや。学校だと思ってた」

 少し恥ずかしそうに言うと、歌奈が笑う。少し見上げたところにあるその横顔が私は好きだった。

 

 私が最終日に放った発言が、社畜ならぬ学畜などと部室で弄られたのは八月二五日のことだった。

 文芸部はなにやら締切が佳境らしかった。美術部も秋の展覧会に向けた作品制作の大詰めで、戦いはあの日以来無かった。

 静かな時間が流れている部室に、和希先輩が走って入室する。

「みんな、聞いてくれ。文芸部が究極兵器の滅殺喚体句(主述ではなく体言提示で終わらせる修辞技法)を感性させた(「完成」と言わないしきたりだ)らしい」

 私は嫌な予感がしていた。文芸部の「締切」とはこれでなかったのか。だとすれば歌奈の言っていた「締切」も無関係ではいられない。

 いや、関係しているのだ。

 私が部長の援護のためにデッサンをしたように、歌奈だって攻撃をするし技を使う。

 私も歌奈も互いに攻撃はしたくないと心底思っていたが、相手が部になり捨象されれば究極兵器だってなんだって人は感性させてしまうのだ。

「・・・・・・あれをやるしかないな」

 私の現実逃避的思考で現実を認識している間に話は進んでいた。私と歌奈はどうなるのだろう。手元の油彩筆を持つ手を握りしめても答えは出ない。

 

 結果から言おう。世界は破壊された。

 空間識を置換する文芸部の滅殺喚体句と、多層時間覚に誘う美術部のクロノマチエール(マチエールは油絵表面の質感を指す美術用語)の衝突は文字通り時と空を致命的に破壊したのだ。

 気がつけば私達二人だけがこの世界の生き残りになっていた。

 それは世界破壊後の乱戦で両部員は相打ちしていったが私達だけは刃を交えなかったから。

「歌奈ちゃんはさ、この空どう思う?」

 グリザイユ(単色で描かれた絵を指す、灰色という意味の美術用語)に染まる空を眺めながら私は聞いた。

「なんとも。陽芽はあそこに立ってる倒置法(文の順番を入れ替える文章技法)をどう思うの?」

 世界に固着した倒置法を見ても・・・・・・いや、一つ感情が浮かんできた。

「ちっとも可愛くない」

 歌奈は微笑み、それから寝転がる私のライトブラウン色のボブヘアを指でといて「陽芽らしい」と言った。

 私は嬉しくて目を閉じる。目を閉じてもそこに居ると分かる。それが何より嬉しい。

「少し寝よっか」

 モソモソと歌奈が横たわる。

 目を覚ましたらきっと、世界は皆が知っているものに戻っていることだろう。

「また歌奈と出会え・・・・・・」

 言い終えるより先に柔らかい感触が感じられる。

 それが最後だった。

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