おかあさんとわたし

@tannpopopo

第1話 めろんソーダ


ある夏の日、


夜空を見上げて思い出したことがあった。



それは、幼いわたしの夏の記憶だ。





うちは母と兄2人の母子家庭で、


六畳二間のアパートに4人暮らしだった。



ど田舎出身の母は、


相当苦労したと思われるが、


小柄ながらもその持ち前の根性で


わたしたち3人を育ててくれた。





当時のわたしはわたしで


多感な毎日を懸命に過ごしていた。


(子どもの世界もなかなか大変なのだ)


もちろん奮闘する母を見てはいたが、


何分、子どもである。


お小遣い目当てで内職を手伝うくらいで、


母のためにこれといって


何かしたような覚えはなかった。





そんな我が家だが、


夏休みも終わり頃、


母が毎年、


わたしたち兄弟を連れて


あるところに行くのだった。





それは夜の公園だ。


アパートから徒歩5分もしない、


近所の公園に行くのだ。


途中にある自動販売機で


ジュースを買ってもらうのも恒例で、


わたしは、そう、


めろんソーダをいつも選んでいた。


兄たちは確か、


コーラとかファンタとか選んでいたと思うけれど、


(どうやらわたしたち兄弟は炭酸が好きなようだ)


大きくなるにつれ、


兄たちが一緒に来ることはなくなっていた。



だから、


アパートから別のところへ引っ越すまでの間、


わたしと母、


2人だけの時間がそこにはあった。




ひっそり静まり返った公園では、


街灯の明かりに虫たちがブンブン集まってくる。


昼間に何度も遊びに来ている砂利の広場には、


端にベンチがいくつか設けられていて、


昼間によくそこで


少し不気味なおじさんが、


酒を片手に新聞を読んでいるのを思い出し、


夜に出掛けているワクワク感が


一気に冷めてしまうのも


いつものことだった。




母とお決まりのベンチに腰掛ける。


そこでようやくプルトップを引いて、


渇いた喉を潤す。


(外で飲む炭酸て何でこんなに美味しいのだろうか)


そんなこと考えていたかどうかは定かではないが、


そうこうしているうちに


ヒュー…という音が聞こえ始める。



「あ、始まった」



横にいる母が嬉しそうに言った。


わたしも母の視線の先を見上げる。


大輪の花が夜空に咲いていた。


19時開始のそれは、


数キロ先の浜辺で打ち上げられているものだった。



どーんどーん、パチパチパチ…


ヒュー、どーん、パチパチパチパチ……



お世辞にも大きく見える場所ではなく、


木々の上の遠くに見える小さな花火だったけれど、


音はしっかりお腹に響いていた。


何より母が


「おーあがった、あがった」


と言いながら目を輝かせていたので、


ついつい花火と同じくらい、


母の横顔を興味深く見ていた気がする。



そしてある時ふと、


気づいたことがあった。


母がこうしていつも


この公園に花火を見に来るのは、


わたしたちのためだと思っていたけれど、


どうやら違うようだ。



母は自分のために


この花火を見に来ているのだ。



それがわかったとき、


なんだか少し嬉しくて恥ずかしくて、


わたしは残っていためろんソーダを


一気に飲み干したのを覚えている。



どうやら、


知らず知らずのうちに


親孝行していたみたいで、


わたしはちょこっとだけ


お姉さんになったような気がしたのだ。



きっと母は、


誰もついて来なければここには来ないだろう。


子どものためという理由がなければ、


時間もお金も使わない、


そんな人だ。


だからわたしはそのとき、


『わたしが来年もおかあさんをここに連れてくるんだ』


と漫画の主人公のような使命感を持ったのだった。








そしてそのあと、


母と2人だけの花火鑑賞会は


何度か行われたわけだが、


記憶がもう曖昧で


ぼんやりしている。




母が花火を見上げて、


何を思い、何を考えていたかは


わからないけれど、


少し気を緩められる瞬間だったのだろうと思う。



確かに最初は、


夏休みにどこにも連れていけない、


母なりのわたしたちへの愛情だったのかもしれない。


でもいつしかそれは、


母のささやかな夏の楽しみになっていたのだろう。





生ぬるい風が頬をつたう。


まだ今年も残暑が続いている。


耳をすますと、


自動販売機のおつりの音が聞こえた気がした。


あのめろんソーダの味が口いっぱいによみがえった。












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