第23話 無駄死に。
……一体、どのくらい時間が経った?
分からない。もう、神経が摩耗している。思考回路がショートしていて、本能で巨人の攻撃を躱している。
極限。
一歩でもミスったら、体が吹き飛ぶ。
決定打が与えられない。アキレス腱はどれだけ斬っても断てなかった。
それよりも先に、剣がおじゃんになってきている。
……絶体絶命。
集中力を切らした瞬間、終わ――
「――やっ、ば……ッ!?」
言ってるそばから足を滑らせ、体が宙を舞う。
背から、ズドンッ、と地面に倒れた。
息が上がっている。
体に力が入らない。
立たなくちゃ、そう思っているのに、動けない。
なんだ? 限界? 疲労? 違う。……血だらけの己の全身を眺め、苦笑する。
血が、足りてねぇ……。
「クソッ、動け、動けよ……」
必死に体を叱咤するが、びくともしない。
これで終わりだ。そうとでも言うように、ニタリと巨人が僕を見下ろして笑みを浮かべた。
これで、終わり……?
そう思うと、ひどく呆気なく、哀れに思えた。
これで終わり、そう、終わり。
巨人が腕を振り上げて。それで、僕を潰すべく大木のような腕を振りおろ――
「――俺達にも、活躍させろやこんちくしょぉおおおおお!!」
突如として駆け込んできた、大剣を手に持つ黒髪の男。
見知らぬ顔だった。そして彼は、流れるように巨人の足元に思いっきり剣を振り下ろした。
ジャキン。音と共に、拳大の肉片が弾け飛ぶ。
「ウガァアァアッァア!!」
入った。ダメージが、通った。
悲鳴を上げて暴れ狂う巨人を見て、確信する。
僕の頼りないコボルトの剣では一切通らなかったダメージ。
それが、彼の振り回す大剣なら、通る。
だがしかし……。
「アンタは寝てろ。あとは、俺がやってやる……」
格好つけるようにセリフを吐く男。
だがしかし、ひと目見て分かる。弱い。間違いなく弱い。幾度もの戦闘を重ねてきた僕だからこそ、確信できる。纏う覇気のようなものが、あまりにも貧弱で情けない。
「貴方の……レベルは……?」
震える口を動かして、僕は男に問いかけた。
男の歳は僕と同じくらいだろうか。制服を着ているからそうなんだろうが、顔立ちは逞しく、纏っているオーラは到底高校生のようには見えない。ストレートに言ってしまえば……老けている。
男はこちらを見て「へっ」と笑うと、自信一杯に答えた。
「こう見えても7はある……。まあ、アンタはそこで黙ってみてれば――」
「――逃げてください」
男の声を遮って、答える。
確信できる。レベル7では、到底太刀打ち出来やしない。
「おいおい、なんだよ」男は、冷や汗を伝わせて笑ってみせた。「まさか、レベル7じゃあ無理だって……?」
「僕は15を超えている……それでも、勝てなかった。だから、あなたに敵うはずがありません……。だから、どうか逃げて……っ」
「ははっ、まじかよ……そういうの、先に言ってもらわないと困るって……」
男は少し巨人から距離を取ると、「ふぅー」と息を整える。
そして、へっと笑って顔を上げた。
「まあ、いいぜ。最初から死ぬつもりで来たんだ。……最後くらい、格好良く命を散らせてもいいだろ」
ズドン。
巨人が右足を振り上げた。
瞼を半分閉じ、半目で彼の行く末を見守る。
見るからに俊敏のステータスが低い彼だ。躱しきれるはずがない。だとしたら、踏み潰されて一発で――
「――うぉらぁぁあぁ!!」
彼の振り抜いた大剣が、巨人の足裏に一線の赤を描いた。
思わず、僕は目を見開く。……効いて――
「――ぐぁ?」
ズドンッ。
足裏に傷ができた事など気にも留めず、巨人は男を踏み潰した。
逃さぬようにと、ぐりぐりと足裏を地面に擦り付ける。
ぐちゃ、ぐちゃ。
グロテスクな湿っぽい音に、そっと息を呑んだ。
血飛沫も何も上がらなかった。
ただ、次に巨人が足を上げたとき、男の居たはずの場所で、べちゃべちゃの赤黒い物体が地面にこびりついているだけだった。
いわゆる、無駄死に。
ははっ、乾いた笑い声が漏れる。
……なんだ、これ。あまりにも理不尽で、バカバカしい。
本当、馬鹿だ。
馬鹿なやつだ。
僕のことなど放っておいて、逃げれば良かったのに。
また、同じだ。僕だけじゃない。彼も無駄に優しいから、意味もなく死んだ。なんの役にも立たず、死んだ。
巨人に首を向けるのをやめ、創り物の空を見上げた。
鳥が優雅に泳いでいる。あれも、魔物なんだろうか。大樹に塞がれた空の隙間から漏れる日差しが、僕を照らしている。
……これで、死ぬ。
正直、怖い。それに、申し訳ないなって、思う。僕が死ねば、結花も死ぬ。
……僕が天菜を助けたから?
なんて、思うのはやめよう。天菜を助けられた。僕の死には意味がある。そう思えるだけで、まだマシだ。
結花だって、笑ってくれるだろうか。
「流石おにーちゃんだね」って。「やっぱり、ヒーローだよ」なんてさ。
それもいいな。二人で天国で、笑えれば。
ぬるり。見上げる空を塞ぐように、巨人の顔が現れる。これで終わりだ。そう言うように、巨人が笑った。
ああ、これで。
これでようやく、楽に――
「――こっちに、こっちに来なさいよ、このデカブツ!!」
聞こえてきた少女の声に、目を瞠る。ゆっくりと、瞳孔が開かれていく。
……は? 苛立ちが、胸の奥底から込み上げた。
なんで、なんで……お前が……。
視界の隅で揺れる金髪。見覚えのあるギャル顔。
……なんで天菜が、ここにまだいるんだよ。
バラバラと、音を立てて何かが崩れていくのが分かった。
天菜が、巨人に向かって叫ぶ。
「わ、私が狙いなんでしょう!? だったら、こっちに来なさいよ……!!」
何言ってんだよ……。
ぎゅっと、拳を握りしめる。涙が、思わず目から溢れ落ちた。
ふざけんな、ふざけんなよ。
思いが喉からこみ上げて、思わず口から飛び出した。
「なんで、なんで戻ってきた……?」
すると、天菜は自信満々に、格好つけるようにセリフを吐いた。
「アンタが、やっぱ心配で……。助けられてばっかりは、嫌だし」
「そんな……」言いかけて、言葉が詰まって。でもやっぱり、声が溢れた。「……そんな下らないお前のプライドのために、戻ってきたのか?」
――天菜を助けられた。だから、僕の死には意味がある。
じゃあ、もし、天菜が死んだら……?
「あ、アンタ……何言って……っ」
「折角、命を投げ打ってまで助けたのに……? それなら死んでもいいって、思ったのに……。お前が……戻ってきたせいで……」
ギリギリギリ、胸が痛む。
こんな言葉を吐く自分が、憎くて、心底気持ち悪い。けれど、もう、声は止まらなかった。
「これじゃ僕も無駄死に、じゃんか……。これなら、助けなきゃ、良か――」
ぎゅっ、そこで咄嗟に口をつぐんだ。
死ぬ前も、またこうして後悔するのかよ。というか、もう、諦めてんのか?
まだ、まだだろ。
……折角、天菜が来たんだ。
巨人が、ニッと笑って天菜を見据えた。
ひぃ、情けない声を漏らして天菜がへたり込む。何もできないくせに、来やがって。思ったらもう、怒りは止まらなかった。
巨人が、僕から視線を外して歩き出す。
このまま行けば、天菜は食われて、僕も踏み潰されておしまいだろう。
脳裏をちらつく結花の笑顔に、僕はそっと息を吐いた。
「まだ、頑張ってみるよ、結花……」
――頭を回せ。
高速で思考を回す。
この危機的状況を打開する唯一の方法。それを探す。
なんでか分からないけど、巨人は天菜を狙っている。
理由は? 僕とあいつの特異点は? 性別? そんな簡単な話なのか?
この状況を打開する方法は……?
このままじゃ、僕は動けない。いいや、まだ、一つ方法はあるはずだ。
見えた一筋の希望に、僕は体の奥底から声を振り絞った。
怒りを、憎しみを声に乗せて、叫ぶ。
ドヤ顔で助けに来たくせに、へたり込んで泣きべそをかいているギャル女に向かって、叫ぶ。
「お前は……何しに来たんだよッ!!」
すると、天菜は「へ?」と呆けた声を漏らした。
「僕を助けに来たんだろ……? なのに、なんでもうノックアウトしてんだよバカ野郎ッ!!」
「で、でも……」
言い訳をしようとする天菜の声を遮って、僕は立て続けに声を張り上げた。
「そのまま、死んでいいのかよ……。お前は、何しにここに来たんだよッ!!」
自分でも何をムキになってんだ、って思う。
半分はこの状況を打開する方法、なんて言っているくせに、もう半分はただ、想いのままに叫んでいる。
でも。
天菜がきゅっと口を結んでこちらに顔を向けたのを見て、僕は大きく口を開いた。
「叶えたい夢があって、助けたい誰かがいて、ここに来たんだろ……」
天菜が、ゆっくりと拳を握りしめる。
足に力を込めて、立ち上がった。
……もう一押し。
「なのに、いつまで逃げ回ってんだよ。いつまで助けてとか言ってんだよ……」
杖を握って、天菜がゆっくりと口を開く。
……もう一押しッ。
「戦えよ……。もう、逃げんなよ。みんな、同じだ」
ギリッ、うるさい、そうとでも言うように、天菜が僕を睨みつけた。
でも、僕は最後の力を解き放つように、叫んだ。
「――叶えたい夢があって自分からここに飛び込んだなら、もう、逃げんなよ」
「うっさいわね」
天菜の握る杖の先が、淡く光る。
パキパキ、音を立てて、周囲の温度が低下し始めた。
……天菜の心が、動いた。
目を見開いて、それを見ていた。
天菜が、すっと息を吐いて、吐き出す。
「私だって、分かってんのよッ!! 氷結魔法【
パキパキパキ。
巨人の足元が、目に見えて凍り始める。
思わず、笑いがこみ上げた。
なんだ、これ。なんだよ、こいつ。
巨人が雄叫びを上げて、固まる。
足が、止まる。
……想像以上に、強いじゃん。
それに――
巨人の足が完全に凍ったのを見て、僕は思わずほくそ笑んだ。
――これなら、間に合う。
思っていると、すぐに声が現れた。
……間に合った。僕が置いてきていた、少女。僕のいわゆる、
「だ、大丈夫!? ナツメ、死んじゃやだ……。治癒魔法【
駆けつけてきた声の主――ユズハが、すかさず僕にヒールをかける。
みるみる内に、傷が塞がっていく。傷が癒えていく。
ゆっくりと立ち上がって、ほっと息を吐いた。
まだ立ち眩みはあるが……上出来だ。
「よくやったな、天菜。それにユズハも、ありがと」
声をかけると、ふん、と天菜は自慢げに鼻を鳴らした。
「まあね。私も、結構やるんだから」
でもまあ、どうやら持続性は高くないようだが。
凍っていた巨人の足が、少しずつ溶け始めている。すぐに、巨人が「ウガァアァアッァア!!」と雄叫びを上げて足を振り上げた。
天菜目掛けて走り出す巨人。
「ひゃっ!?」
悲鳴を漏らす天菜に向けて、すぐに手をかざした。
「スキル【引き寄せ】」
「わ、わわわ!?」
引き寄せられてきた天菜をそっと抱え、僕はすぐに天菜の耳元に口を近づけた。
巨人が、天菜だけを狙う理由。
僕になくて、天菜にだけあるもの。
性別なんて理不尽な真似をするはずがない。
だとすれば――
「――あの赤い木の実は罠だ。だから、あれは食べんな。分かったら、それでも食え」
そう言って天菜に渡した【はちみつ】。
アナウンスが言っていた言葉がずっと疑問だった。
こんな【はちみつ】だとか【どんぐり】だとかが、なんで攻略の助けになるのか、って。
最初は食料代わりにするのだと思っていたが、多分……違った。
耳元でそっと囁く。
「天菜、はちみつを寄越せ」
「え、なんで……?」
「なんでもいいから、渡してみろ」
天菜が、恐る恐る僕にはちみつを寄越す。
瞬間――巨人のターゲットが、僕に映った。
つまり、違ったんだ。
狙っていたのは天菜じゃなくて……はちみつの方だったんだ。
……ははっ。
思わず声が漏れる。
ビンゴだ。
これなら、行ける。
勝てる。
収納していた【赤い木の実】を取り出して、僕は口角を吊り上げた。
「きっかり30分で殺してやるよ」
吐き捨てて、僕はゆっくりとはちみつを赤い木の実にかけた。
【あとがき】
お久しぶりです。
サボっていた訳ではなく、学生ならではの並々ならぬ事情があり止むを得ず筆を置いていました。
また、来週の終わりまで更新頻度は下がります。申し訳ありせん。
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