第21話 ヒーロー


「――ごめんね、結花……お兄ちゃん、不甲斐なくって」


 ある日。

 それがいつだったかは、忘れてしまったけど。 


 学校でいじめられて家に帰った日。

 僕は、なんでか、どうしようもないほどに情けなくなって、苦しくって。弱々しく、結花に弱音を吐いた。

 

 けれど。 

 傷口に消毒をして絆創膏を貼ってくれる結花は、「もう」と呆れるように口を膨らませた。


「泣かないで、おにーちゃん……?」

 

 ぐすん。鼻をすする僕の頭を、結花は優しく撫でる。

 妹に慰められるなんて……そう思うと、また涙が込み上げた。ああ、弱いな。そう思った。

 

 結花は微笑むと、僕に言った。


「そんなことないよ?」と。「結花は、おにーちゃんがいるから元気が出るんだもん!」

 

 涙を拭って、顔を上げた。

 結花の優しさが、胸に染みる。でも、それ以上に、胸が痛かった。

 

 妹にすら気を遣わせるお兄ちゃん。その符号が、辛い。

 弱い、弱くて、情けない。

 

「それにね」

 

 落ち込む僕に、結花は更に笑いかけた。


「おにーちゃんは、きっと、どんな怪物だって倒せちゃうくらい、強いつよーいヒーローにだって、なれると思うんだ!」

 

 横にあるテレビに流れる特撮を見ながらシャキーンとポーズを決めてそういう結花に、笑みが漏れた。……やっぱり、結花は世界で一番可愛い、僕だけの妹だ。

 目を細めて、僕は笑った。

  

「なんだそれ」

 

 嘘じゃないよ。そういう結花が、無性に愛しくて。

 守りたいと、そう思った。

 

 それから、一ヶ月後のことだった。

 結花が病気になったのは。

 

 病床で強がるように笑う結花を見て、僕は思ったんだ。

 ヒーローになれなくても、この子だけは守れるくらい、強くなりたいって。結花を守る、そのためだけのヒーローになりたいって。

 

 それから二年。

 現在。


 なあ、阿呆で愚鈍で、情けない僕。

 ――お前は、結局ヒーローになれたのか?

 

 ◇


「今から……なるんだろッ!!」 


 過去を思い出して、僕は駆け出した。

 ぬるりと巨人が足を上げる。縦幅2m程はあるだろうか。僕の頭上に、足裏がある。そのことを、たまらなく不思議に思う。

 

 いや、そうじゃなくって……踏み潰されるッ!?

 横っ飛びで咄嗟に足を躱す。轟音。そして衝撃波。ふっ飛ばされそうになるのを堪え、翻って巨人の足元めがけ駆け出す。

 

 威力はえげつないけど……でも。


「――鈍いッ!!」

 

 ジャキンッ、音を立てて、巨人の足を僕の振りかぶった白刃が切り裂いた。

 でも……浅すぎる……。ダメージ、入ってんのか……これ?

 

 僕の勇気を振り絞った一撃など気にも留めず、巨人はまた足を振り上げる。

 僕のことを狙っている気配など微塵もない。何かを狙って、歩いている……?

 

 でも、一体何を、いや、まさか――。

 

 巨人の視線の先にあるものを理解し、瞠目する。


 ――天菜を、天菜だけを、狙っている……? 


 脳裏をよぎっていたのは、初めてゴブリンを討伐したとき。

 あの時聞いた、アナウンスのこと。


「――だって、阿左美天菜は〝特別〟なんだからさ!」


 ……関係あるのか、分からないけど。

 言ってくれなきゃ、分かんねーよ。天菜がついている嘘。あらゆる僕の揺さぶりに、動揺する理由。裏切り者じゃないなら、なんなんだよ。言ってくれないと、分かんないって。


 ムカつく。けれど、それ以上に。

 どうしようもないほどに彼女を助けようと躍起になっている僕が、もっとムカつく。


「逃げろッ、天菜!!」


 叫ぶ。

 しかし、天菜は「……え?」と困惑するように声を出した。


「なんでか分かんないけど、巨人は天菜を狙っているッ!! だから、死にたくないなら逃げろッ!!」

「え、で、でも……私が逃げたら……」

「お前がいる方がやり難いって言ってんだよッ!! 分かったら、さっさと逃げろってばッ!」


 覚悟を決めるように顔を上げ、天菜は頷いて立ち上がる。


「生きて……生きて帰って、それで、また、私に謝らせて……」

「ああ。お前のついている嘘も、その代わり全部教えてもらうからな」


 走って、天菜が逃げていく。

 遠のいていく背を見つめ、僕はほっと息を吐いた。

 

 これで、誰かを気にかけて戦う必要もない。一人お気楽に戦える……って、思ったのに、なぁ。 

 不意に襲い来る、孤独感。

 

「これ……やばいかも……」 

 

 アドレナリンが、切れる。

 怖い。ただひたすらに、怖い。心臓がバクバク唸っていて、世界が歪んで見える。足が地面に絡め取られる。泥沼に、引きずり込まれそうになる。

 

 じんわりと、目の縁が熱くなった。


「死にたく、な……っ」

「キュキュッ!!」 


 ふいに、フラマが僕の頬を撫でた。

 目を見開く。目が覚める。ぼやけた世界の輪郭が元に戻る。


「俺もいるぜ!」

 

 そうとでも言いたげなフラマに、僕はニッと笑って語りかけた。


「……やれるか?」

「キュキュッ!!」

「そうか、だったら――」

 

 天菜を追いかけようとしてか。

「ウガァアァァ!!」と雄叫びを上げて走り出した巨人めがけて、僕は手をかざした。

 

「――行って来い、フラマ……。スキル【引き寄せ】ッ!!」 


 あんな巨体を、単なるマフラーが引っ張れるはずがない。

 普通ならそうだろう。だがしかし、ここは普通じゃない。

 

 ここは、もう、現実じゃない。

 

 スキル【引き寄せ】の効果。

 それは――半径5メートル圏内にあるモノを1つ〝絶対〟に引き寄せる、だ。

 

 そう、絶対に……だ。


「ウガァアァアッァア!?」


 困惑するように叫びながら、地面を削って引きずられてくる巨人。

 ぶつかったいくつもの大樹が倒れ、もたれ合いながら木々のアーチのようになる。

 

 その間に、天菜はもう見えないほど遠くまで移動していた。 

 ……上出来だ。これでいい。もう、迷いはない。後悔はしない。

 

 脳内をよぎっていたのは、結花の笑顔。

 

「――おにーちゃんは、きっと、どんな怪物だって倒せちゃうくらい、強いつよーいヒーローにだってなれると思うんだ!」

 


 ごめんね、結花。

 きっとお兄ちゃんは、ヒーローになんてなれないよ。

 情けないし、弱いし。

 

 もう、人だって殺した。数え切れないくらいに、人を憎んだ。

 多分もう、こんな僕にヒーローになる権利なんて、ない。 


 結花は今の僕を見たら、なんて言うだろうか。

 僕が人を殺したことを知ったら、なんて思うだろうか。 


 でも、最後の一度だけ、チャンスが欲しいんだ。

 もう、負けたりなんてしないから。誰かを助けたことを、後悔なんてしないから。

 

「おにーちゃんを、見守っていてくれ……結花」

 

 ギュッと、剣を握り締める。

 策はない。決め手もない。希望もない。全てを覆せる力もない。何もない。けれど、大丈夫。

  

 僕は、結花のためならば。 

 いくらだって、強くなれるから……ッ!!

 

 胸の内側で、もう一人の僕が囁く。


「――やっぱりお前は、甘すぎる」と。

 

「これが僕で、お前だよバーカ」

 

 答えて、勢いよく地面を蹴った。

 僕に邪魔をされてキレた巨人が、「ウガァアッァァアァァァァアァアァアア!!」と狂乱しながら腕を振り回す。

 

 ブルドーザーのような腕が辺りの大樹を砕波し、木くずが頭上に降り注いだ。

 木くずとはいえ大樹。ともすればその全てが岩石のような威力を持っていて。 


 僕は咄嗟にスライディングをすると、頭上に向かって手をかざした。


「フラマ、【どんぐりショット】ッ!! 【どんぐりショット】ッ!! 【どんぐりショット】ッ!!」

「きゅきゅーっ!! キュキュ、キュキュ、キュキュ~~!!」

 

 ズガンッ、ズガンッ、僕の周囲を落下する木くずを、どんぐりの弾丸が木っ端微塵に打ち砕いていく。

 そのまま、スライディングの加速で一気の巨人に肉薄。

 

 ……まともに攻撃していたって勝機はない。

 だとしたら狙うべきは――


「うぉらッ!!」

 

 ――歩行能力を奪える、アキレス腱ッ!! 

 

 ジャキンッ、通り過ぎ際にアキレス腱辺りを斬りつける。

 がしかし、手応えはない。浅すぎる……? もしくはアキレス腱じゃなかったか。

 

「って、ヤバッ!?」

 

 超高速で迫りくる巨人の腕。

 宙をなぐそれは地面スレスレを走っており、射線上には僕。

 

 ……これ、ぶつかるッ!?

 

 咄嗟に垂直ジャンプ。

 がしかし、吹き荒ぶ爆風に宙を舞った。 


「ぅ、ぁあ!?」


 空中では体の制御ができない。

 そんでもって、僕を掴もうと手を伸ばしてくる巨人ッ!?

 

 僕を覆い隠すように、巨人の手のひらがトラックの如く猛烈に迫りくる。

 まだ、死ねるか。こんなあっさり……死んでたまるかッ!!


「スキル【どんぐりショット】ッ!!」 


 下方にどんぐりショットを放ち、その反動で体がふんわりと垂直に浮いた。

 ビュンッ、僕の足元すれすれを、巨人の手のひらが通り過ぎていく。そのまま、僕は巨人の腕上に降り立った。 


 ……チャンス。

 

「うぁぁあぁぁああああ!!」 


 恐怖を掻き消すように叫ぶ。

 ここだ。ここで決めろ。やるしかない。行くしかない。ぶっ潰す。……ぶっ潰すッ!!

 

 巨人の腕の上を走る。

 駆け抜ける。

 

 思い出すのは過去の記憶。

 弱い自分。

 

 見てるかよ、昔の僕。

 お前、今すっげーよ。巨人と戦ってるよ。お前はもう、ここまで来たんだよ。ここまで、強くなったんだ。

 

 だからそろそろ、胸を張れ。


「ウガァアッァァアッ!!」

 

 煩わしい。そうとでも言うように、巨人がぶんぶんと腕を振るう。

 このままじゃ、振り落とされ――


「――振り落とされて、たまるかよバカ野郎ッ!!」


 腕に深く剣を刺しこんで、必死にそれにしがみついた。

 ぶぅん、ぶぅん、ぶらぶらと視界が揺れる。やがて冷静になったのか。登らせまいと巨人は挙手のポーズを取った。ぶらん。垂直に僕はぶら下がる。高度17m程だろうか。地面が遥か遠くに見える。

 

 そして。

 

 ――急速に、地面が近づいてくる。

 

 ……叩きつけられるッ!?

 

「っべッ!?」

 

 咄嗟に巨人の腕を蹴って宙を飛んだ。

 でも、この後どうすればいい……? 地面までの距離は10m程。普通の人間よりも強いとはいえど、流石にこの高さは落下したらまずい。

 

 思いながら、急降下。

 顔面から地面に――

 

「――スキル【どんぐりショット】ッ!!」

 

 勢いがかろうじて殺される。

 ズドン。それなりの衝撃が体を包み込んだ。 


 痛い、けれど、耐えられないほどじゃない。

 鼻からつーっと垂れる鼻血を拭って、笑った。


「やっぱ……そう簡単には行かねーよな」

 

 剣は巨人の腕に刺さったまま。

 武器はもうない。腕は地上から7m辺りの場所に浮いている。一方、スキル【引き寄せ】の射程は5m……回収は不能。

 

 絶体絶命。

 けれど、闘志はまだ燃え尽きていない。

 

 諦めない限り……勝機はある。

 巨人もすっかりその気になっているのか、こちらを真っ直ぐに見つめて笑っていた。

 

 そうか、お前もその気かよ。


「だったら、やろう。……もっと」


 狂っているのか、はたまた虚栄か。

 笑みを浮かべたまま、僕はもう一度戦場に身を投げた。

 

 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る