第20話 路地裏


 晴天、だった。それもうざったいほどの。

 雲ひとつない、晴れやかな青く澄んだ空だ。

 

 たくさんの希望を乗せて空を泳ぐ飛行機が、真っ青に塗り潰されたキャンバスに一線の白を描く。

 それを見上げて、金髪の少女はお気に入りの飴を口内でガリッと噛み砕いた。

 

 思い出していたのは、過去のこと。

 

「――いつかね、あの空を埋め尽くしちゃうくらい大きな絵を描くの! それで、海外の人をめろめろにしちゃうんだから! 待っててね、おねーちゃん!」

 

 ガリ、ガリ。

 ぽつぽつと、飴を噛み砕く音が薄暗い部屋で鳴っては消える。

 

 ゔ~ん。

 毛先が逆立つ不快な羽音を鳴らしながら、小蝿が部屋の中を飛んでいた。

 無数に飛ぶ小蝿は、やがて一つの場所に集結する。

 

 部屋の中央。

 可愛らしい顔をだらしなく爛れさせる、首を吊って宙ぶらりんに揺れる黒髪の少女の死体に、集る。

 

 それを見上げて、虚ろな目をした金髪の少女は、にへらと歪んだ笑みをたたえた。

 

「大丈夫だよ。……おねーちゃんが……絶対に助けてあげるから……」

 

 ガリ、ガリ。

 また、飴を噛み砕く音が鳴った。 

 

 ◇

 

「ユズハ、頼むッ!!」

「うん! 支援魔法【俊敏補正】!」

「僕はこのまま先に行く……ユズハは遅れて来てくれ!」

「うん、分かった!」 


 聳え立つ木々を潜り抜け、僕は走る。

 向かう先は【大樹の森】。天菜と再開したエリアだ。そして現在、その場所には『要注意エリアボス』がいる。その強さは計り知れない。もしかしたら、相手にさえならないかもしれない。


 うかつに挑んで良い相手じゃない。

 そんなことは分かっている。分かっているなら、じゃあ……。

 

 じゃあ……なんで僕は走ってんだ?

 意味不明だ。そう思った。危険に飛び込む必要はない。もっと段階を踏んで、ゆっくりと戦えばそれでいい。なのに、なんで焦る必要がある?

 

「――家に、帰りたいよ……。パパ……ママ……。死にたくないよ……」

 

 脳裏をちらつく、今にも泣き出しそうな金髪の少女の姿に、チッ、と強く舌を打った。

 

 本当、心底僕は馬鹿だ。

 助ける義理なんてないのに。だって、あいつは、僕を裏切った。あの日、僕の話もろくに聞かずパーティーから追い出した。

 

 それだけじゃない。

 路地裏でも。天菜のことも。あの七三分けの男だってそうだ。 


 僕のこの愚図で滑稽な優しさが、いつだって僕を苦しめた。

 なのにまた、同じことを繰り返そうとしている。きっとこのまま行けば、僕は後悔することになる。それを理解した上で、天菜を助けようって、走り続けている。

 

「──お前も、いつか変われたらいいな」

 偉そうに言ったくせに、変われていないのはやっぱり僕も同じだった。


「あー、ははっ……」

 諦めるように、僕は笑っていた。

  

 呪いのようだ、そう思った。

 このどうしようもないほどに愚かな優しさは、多分、僕に一生ついて回る呪いなんだろう。

 

「だったら……」

 

 走りながら。

 僕は、己の運命を睨みつけるように前を見据え、どれに言うでもなく呟いた。


「だったら、今度こそは、最後まで完璧に救いきってやるよ……」

 

  ――ズドン。

 

 突拍子もなく大地が揺れて、木々に止まっていた鳥たちが一斉にバサッと羽ばたいた。

 もう、近い。きっと、すぐそこにいる。

 

 森がざわめく。まるで何かから逃げるように、向こう側から沢山の魔物が逃げてくる。

 ドクドクドクと胸が弾む。脳内で、しきりに警笛が鳴っていた。この先に行くな。行ったら、死ぬ。

 

 けれど、足はもう止まらない。

 止まるつもりもない。 


 これは、多分、僕に与えられた試練だ。

 そう思った。

 

 いつだって、状況は同じだった。

 助けを求める誰かがいて。それを襲う強大な相手がいる。

 そして、僕はそれでも、誰かを救って……そして、何もかも失って後悔するんだ。

 

 今回も、同じだ。

 助けるべき人天菜がいて、それを襲う強大な相手巨人がいる。

 

「――今回こそは、乗り越えてみせろよ」

 

 そう、神様が僕を嘲笑ったような気がした。

 

「やってやるよ……」

 

 己を高ぶらせるように、ニッと口角を吊り上げる。

 瞬間、ピコンと音を立てて、視界に黒い板が浮かび上がった。



Info───────────────────

【!】エリア《狩人の加護無き大樹の森》に迷い込みました

【!】エリアボス《巨人族の末裔》と遭遇しました

──────────────────―――



エリアボス情報───────────

巨人族の末裔 レベル:25

〇討伐難易度:★★★★★〈※危険〉

〇情報:引き返せ

─────────────────


 

 黒い板から視線を外して。

 視界に飛び込んだ光景に、僕はただただ笑うしかなかった。


「まじで……化物じゃん……」

 

 まず目に入り込んだのは、大きな斧だった。

 5m程もある大きな凶器。けれどそれを、軽々とそいつは振るっていた。

 

 毛むくじゃらの体。

 禿げ上がった人間の頭、そして不気味な笑みを浮かべる顔。 


 全長12m程の、理不尽なほどに巨大な体躯を持つ魔物。

 ……これが、難易度星5のエリアボス、【巨人族の末裔】。

 

 そしてそんな圧倒的存在のすぐ前で、尻餅をついてへにゃへにゃと後ずさる金髪の少女が一人。

 ――天菜だ。

 

 全ての始まりの日、あの瞬間に見た光景。

 路地裏の惨劇と、目の前の光景が重なる。


「助けて……」

 

 少女は、縋るように僕にそう言った。


 そして、僕は自分に言い聞かせるんだ。

 逃げろよ、と。助ける必要なんてない。だから、逃げればいい。助けるなんて馬鹿なこと――

 

「お願い……まだ、死にたく、ないよ……」


 ――考えなくっても、良かった。


 いつだってそうだった。そして、いつだって僕は誰かを助けようと奮起した。

 今回も、そうだ。


 巨人が斧を振り上げる。

 風が頬を撫でた。少女が虚ろな目で、己の死を待つように巨人を見上げる。


「いや、だ……誰か……助けて……」


 そして、斧が振り下ろされる瞬間──

 

「──呼んだかよ」

 

「……ふぇ?」

 

 涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにする天菜は、こちらに顔を向けて呆けた顔を浮かべた。

 そのみっともない姿に、僕は思わず鼻で笑う。 

 

「なんで――」

 

 天菜が口を開くと同時。

 

「グァァアァアアァアァァアア!!」

 

 空気を読まない巨人が、咆哮とともに斧を振り下ろした。

 咄嗟に天菜を抱き上げて、地面を蹴る。転がるようにして前方に飛び込んだ。

 

 ズゴォン、すぐ背後で鳴る轟音と共に、衝撃波が僕の体を吹き飛ばす。

 ずさーっと、地面を転がった。たった一瞬で、体中に無数の傷ができる。

 

 思わず笑い声が漏れた。


「ははっ……まじ、強すぎんだろ、こいつ……」

 

 笑う僕に、怒るように少女が声を張り上げた。


「なんで!」と。

 訳が分からないとでも言うように、天菜は叫ぶ。


「私は……アンタにいっぱい酷いことをした。いっぱい嘘もついてる……。きっとそれを知ったら、私をもっと嫌いになるくらいの嘘だってある……。なのに……」

 

 それを、冷めた目つきで僕は見ていた。


「なのになんで……アンタはずっと優しいままでいられるのよッ!!」

 

「だって」あっけらかんと、僕は天菜に言ってみせた。「約束しただろ」

 

「……え?」

 困惑するように、天菜が声を漏らす。


 まだ分からないのかよ。

 思いながら、僕はため息をはぁとついた。


「――怖いなら僕が守ってやる。そう、言っただろ」

 

 天菜が、目を潤ませて目を見開いた。

 そんな感極まっちゃっている天菜には悪いけれど。僕は、続けるように口を開いた。


「いいや、今のは嘘だ」と。

 

 ゆっくりと振り返り、僕は巨人の顔面を真っ直ぐに見据える。

 圧倒的格上の相手。対峙するだけで、人の勇気を打ち砕く難易度星5の魔物。

 

 それ前に、僕は一歩足を踏み出した。

 振り返らずに、背を向けたまま僕は天菜に告げる。

 

「――僕はただ、乗り越えたかっただけだよ」

 

 きっと、天菜からすれば意味不明だろう。

 それでも、僕は声を続けた。 


 思い出していたのは、過去のこと。

 路地裏でのこと。

 

 あの時、みっともなく負けて、すべて失って。

 僕は、己の弱さを嘆いた。もっと強くなりたいと、みっともなく空に願った。 


 相手は違うけれど、全くもって同じ状況。

 リベンジの、瞬間。

 

 あの日の僕は、弱いくせに傲慢な情けない男だった。

 けれど、今の僕は違う。 


 ゆっくりと、息を吸った。


「見てろよ、天菜」

 

 さらに、僕は一歩足を踏み出す。

 ぎゅっと剣を握り締めて、吐き出す息に音を乗せた。

 

「僕は、ここで変わってみせる」


 あの日の弱い自分を、変えよう。

 変わったって、証明しよう。


 そっと、そよ風が体を包み込んだ。

 そんな風に背を押されるように、僕はもう一歩足を踏み出した。

 

 そして、全ては始まった。


 

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