第3話 例え行く先が地獄でも。

 呆然と、窓から見えるうざったいほどに澄んだ空を見ていた。雲ひとつない。

 晴天ってやつだろうか。ぽかぽかと暖かな日差しが、目の前で眠る少女を照らす。下らない程に、光り輝く陽の日差しが。

 もう目を覚ますことはないだろう、少女を照らす。


「バリアー!」

「うわ、ずるいよケンタ!!」

「へっへー!」


 外にある公園で遊ぶ子どもの楽しげな声が、耳に入り込んだ。本当、馬鹿みたいに楽しそうだ。笑い声だ。笑い声。ああ、本当……良いよな、楽しそうで。笑顔でいられて。幸せで。

 本当……良いよなぁ……。


「ぅっぐ……ぁあああ……」


 声にならない叫びが、どうしようもなく喉から迫り上がる。握りしめたはずの拳は、いつの間にか解けていた。体から、急速に力が抜けていく。かろうじて留まっていた涙が、それを革切りに、とめどなく、とめどなく、溢れ出る。


「なんで……なんでなんだ……」


 漏れ出た声が、誰かに届くことはない。

 そんな事は分かっている。分かっているさ。分かっているとも……。でも、口に出さずには、いられなかった。


 こんな理不尽を。

 見過ごせるはずが、なかった。


「なんで……なんで結花だけなんだ……」


 昨日まで、目の前で楽しそうに笑っていた少女の眠り顔に。

 ずっと、ずっと苦しんでいたくせに。幸せそうに眠っている、少女の可憐な姿に。


 脳内で、医者の言葉が反芻する。

 朝起きて。目覚めて。告げられた、言葉が。


「もう、目は覚まさないかもしれません……。ですが、苦しむことは……ないでしょう」

「そうですか。それなら……」


 ――良かった。


 そう、思っていたはずなのに。

 でも、やっぱ、悔しくて。


 最後に何もしてあげられないことが、悔しくて。

 幸せそうに眠る結花の姿を見るのが、苦しくて。


 僕は、叫ばずにいられなかった。

 叫ばないと……どうにかなってしまいそうだった。


「なんでなんだよ……ッ!! なんで、なんで僕らだけなんだ。なんでなんだよッ!! 幸せになれなくていいから、だから……多くは望まないから……人並みになりたかっただけじゃないか!! なのに、なんでなんだ……。なんで、誰よりも純粋なゆいかが……。ずっと良い子だったゆいかが……」


 体の奥底から溢れ出た感情が、やがて怒りに変わっていく。

 憎しみが、憎悪が。ゆったりと体を蝕んで、僕の体を、突き動かす。


「……死ななくちゃだめなんだ!! うぅぁああ!! ぁああああああああああああ!! いやだいやだ……。返せよ、結花を返せよ!! 焼かせるもんか……僕が、僕がずっと隣りにいるんだッ!! だから……奪われて、たまるかよ……」

 

 膝から床に崩れ落ち、俺は唇を噛み締める。

 分かっている。叫んだって、何も変わらないって。

 

 静寂の中。

 思い出していたのは、昨夜のことだった。


「――やり直せるかもしれません」

 

 ……本当に、全部やり直せるのなら。

 結花を、救ってやれるなら。

 

 僕は……。

 

 立ち上がって、僕は結花の手を握った。


「絶対にお兄ちゃんが……救ってやるから」

 

 告げて、僕は病室をあとにした。

 君を救うためならば。例え行く先が地獄でも、僕は飛び込んでやるさ。

 

 ◇


 家に帰った僕は、学校に行く用意をしていた。


 久しぶりに着る制服はなんだかぎこちなくって、気持ち悪い。

 鏡の前に立ち、一応身なりを整える。きっと今頃、授業が始まった所だろう。


 久しぶりの登校になるから……色々言われると思うけど。


 屋上に行くだけでいいんだ。

 大丈夫。行けるって。


 鏡の前。

 僕は己を奮い立たせるように、パンッと頬を強く叩いた。


 ◇


「あいつ……不登校だったやつじゃね?」

「本当だ。なんで学校来たんだろ……」


 運悪く放課の時間にやって来てしまった僕は、案の定注目を買っている。

 そりゃそうだろう。入学して二ヶ月。ずっと陰キャで、しかもたまに休んでいた僕がとうとう不登校になったかと思ったら、また突然姿を現したんだから。


 驚きもするさ。


 でも、今は気にしている場合じゃない。

 一刻も早く、屋上に行かないと――ガンッ、と鈍い音がなった


 体に衝撃が走る。


「う、うゅ~! す、すみませんんんー!」


 身長180ちょっとの僕の視界、その下の方にちろりと映り込む小柄な少女が、慌てふためき僕に謝罪していた。


 どうやらぶつかってしまったらしい。

 しかも、プリントもぶちまけてる……。


 未だに混乱している少女の傍らで、無言でそれらを掻き集め……。

 まだ「あわあわ」とか言ってる目の前のちびっこに渡してやる。


「僕もごめんね……。はい、これ」

「い、いえ! ありがとうございました!」

「それじゃ」

「あ、あの!!」


 横を通り過ぎ、階段を登り。

 屋上へ出ようとした僕を、少女は引き止めた。


「――その先には……行かないほうがいいですよ?」


「……どうして」


「だってそこ……。この前、生徒が自殺したばかりですし……ま、まあ? 別に、幽霊が怖いとかじゃありませんけどー! で、でも……やっぱ、ほら、色々とさ……? ね?」


 生徒が自殺……か。

 でもって、あの夜に現れた少女は……死神と言ったか……。


 ははっ。

 なんとなくだけど。


 話が、掴めてきたかもな。


 きっと……僕の命と引き換えに、だとか言うんだろう。


 でも、それでも――。


「ありがと。でも、行かなくちゃならないんだ」


「そう……ですか。私は忠告しましたからね! それじゃー!」


 ――僕は、結花のためならば。


 死んでしまっても、構わない。


 息を呑み。

 震える手で。


 僕は、屋上のドアを開けた。


 開ける視界に強い日差しが入り込み、僕は目を細める。


「待っていましたよ……。港夏芽さん……」


 外には、強く風が吹いていた。


 そんな風になびくその白髪は。

 あまりにも、美しい。


「ここに来たということは……取引成立ということでいいですね……?」


「結花を救えるなら……俺はなんだってやってやる」


「それじゃあ、取引成立ということで。早速ゲームを始めましょうか……。やり直すことは出来ませんが。生かすことなら、出来そうです。攻略の報酬は妹さんの延命。失敗の代償は貴方の命。それじゃあ――」


 僕のことなど置いてけぼりで。

 自称死神な少女はそう言うと、にこりと、でも、体が震え上がるほどに、不気味に。


 笑った。


「――頑張って、下さいね」


 いつの間にか、馬鹿で阿呆で愚鈍な僕は。

 意識を、失っていた。


 死んでしまったんだろうか。

 そんなことは……どうでも良かった。


 ◇


≪チュートリアルダンジョンへ転移します≫


≪レベルを習得しました。次に、【職業】選定を行ないます≫

≪――完了。ノービスから職業【回収屋】へと転職しました≫


≪ステータス閲覧条件、及びスキルの選定が行われます≫

≪……完了≫


≪ミナト ナツメの生存確率は――≫

≪――0%です≫ 


≪CLEAR≫

≪転移が、完了致しました≫

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