第59話 マリアナ沖の鴨撃ち
烈風改とF6Fヘルキャット戦闘機との優位争い。
だが、両者の上昇力の差は歴然だった。
烈風改の木星発動機にしろF6Fが搭載するP&W R-2800にしろ、馬力に大きな開きはないから、おそらくは機体重量の差が影響したのだろう。
烈風改は自重で一トン、全備重量で一トン半以上もF6Fより軽い。
そのことで、発見時にはほとんど同じだった彼我の高度は接敵までのわずかな時間の間に決定的に開いた。
烈風改は圧倒的に有利なポジションを獲得したのだ。
この好機を逃すべきではなかった。
「第二中隊続け!」
俺は怒鳴り込むようにして命令すると同時に、前方の敵機の群れに向けて降下する。
敵機のそのフォルムから、すでに機種が何なのかははっきりしている。
南鳥島やウェーク島、そしてトラック島で烈風や強風を散々にうち破ったF6Fだ。
そのF6Fの両翼が光る。
かなり遠めなのにもかかわらず、六丁の機銃を撃ち上げてきたのだ。
劣位であっても正面戦闘には自信があるのだろう。
重力という言葉を知らないかのようにブローニング一二・七ミリ機銃の火箭が真っすぐこちらに向かって吹き伸びてくる。
俺はわずかに機体をスライドさせ最小限の機動で敵の射弾をかわす。
かつて烈風を駆っているときに何度もF4Fと正面から向かい合ったが、それに比べて烈風改とF6Fの相対速度はあまりにも速い。
あるいは、烈風とF4Fのときよりも一〇〇キロ以上速くなっているのではないか。
かつての俺であればその速さについていけず、正確に敵機を狙い撃つことなどまったく望めなかったはずだ。
だが、フィリピン攻撃を皮切りにウェーク島沖海戦やマーシャル沖海戦、さらに二度にわたるハワイ空襲や本土防空戦の経験は開戦時の俺とはまったく別の何かに俺自身を生まれ変わらせていた、と思う。
その時の俺は自分でも不思議なくらいに落ち着いていた。
照準器に映る敵機の鼻先めがけて四丁の二〇ミリ機銃を撃ち込む。
曳光弾がF6Fの巨大な発動機に吸い込まれていく。
堅牢無比、単発艦上戦闘機としては破格の防御力を誇るF6Fも、だがしかし撃ち下しの大口径機銃弾を、しかもカウンターで浴びればひとたまりもない。
文字通り爆散する。
空中に湧き出た火球を躱しつつ、俺はさらに三機のF6Fが撃ち墜とされていくのを視界の片隅で確認する。
二番機の杉田二飛曹、三番機の宮崎一飛曹、そして四番機の杉野二飛曹の仕業だろう。
獲物を好きに選べる一番機の俺とは違い、彼らは俺と目標を重複させないようにしなければならなかったはずだ。
敵機撃墜の難易度は俺よりも遥かに高かったはず。
それにもかかわらず、簡単にF6Fを撃墜している。
「化け物どもめ」
俺は部下たちの技量に苦笑しつつ、降下で得た機速を極力失わないような機動を心掛け烈風改を旋回させる。
そして、周囲に目を配りつつ次の獲物を探す。
俺の二〇ミリ機銃弾は十分すぎるほどに残っていた。
その俺たち一八〇機の烈風改と、そして二七〇機あまりのF6Fの激突は最初の一撃ですでに勝負が決していたのかもしれない。
優位高度から降下してきた烈風改の二〇ミリ機銃弾のスコールを上方からまともに浴びたF6Fはその一瞬で一気に三割近くを撃ち落とされ、数的優位は雲散霧消していたのだ。
後は残敵掃討も同然だった。
烈風改はF6Fに対して性能に勝り、さらに搭乗員は勢いに乗り、そして何よりその気迫が圧倒的に米軍のそれに対して勝っていた。
一方の米戦闘機隊は昨日の航空戦でサイパンならびにテニアン基地航空隊の烈風改との戦いに惨敗し、生き残った搭乗員たちはまだ完全に疲労が抜けきっていない。
そのうえ、今日もいきなり劣位による不利な戦いを強いられ、さらに頼みの数の優位もあっという間に失い、そのことで得意の連携をずたずたに引き裂かれた。
いったん退いて態勢を整えようにも上昇力も加速も、そして最高速度も烈風改より劣っていては逃げ切れるものではなかった。
かろうじて降下速度は烈風改よりも勝っていたものの、その差はわずかであり、急降下によって低空に逃れたF6Fも追いすがってきた烈風改に頭を抑えられ、やがて進退窮まって墜とされていった。
戦闘空域を見渡せば、そこには烈風改の姿しかなかった。
数分前まであれだけたくさんいたはずのF6Fの姿は、すでにどこにも無い。
撃墜されるか、あるいは遁走したのだろう。
一方的な空戦、いや殺戮だった。
「これじゃあ、まるでマリアナ沖の鴨撃ちだ」
不謹慎にも俺はそんな感想を抱いた。
その時だった。
「すぐ先の米機動部隊の上空にまだ若干のF6Fがいるらしい。燃料や銃弾に余裕のある者は続け」
上空から戦場を俯瞰していた戦術指揮機の強風改から指示が入る。
俺の機体はまだ銃弾も燃料も、そして何より俺自身の体力もやる気も十分に残っている。
宮崎や杉野、それに杉田に確認したところ、連中はいずれもあとひと合戦でもふた合戦でも行けますよと元気よく答えを返してくる。
いや、お前らさっきまでF6Fを食いまくっていただろう。
いったいどれだけ墜とせば気が済むんだ。
俺は戦場に似つかわしくないこの日何度目かになる苦笑をこらえ「続け」と命令する。
マリアナ沖の制空権の完全奪取は目前だった。
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