第58話 一陣の風に
夜明け直前、第一次攻撃隊に参加する搭乗員は飛行甲板で「瑞鶴」艦長の訓示を受けていた。
例によって人の話をあまり聞かない俺は、そのとき艦長が何をしゃべっていたのか正直よく覚えていない。
だが、どうやって知り得たのか、艦長は詳し過ぎるほどの敵情を俺たちに話してくれたことは覚えている。
これは後になって知ったことなのだが、第一機動艦隊が戦場に到着した時点ですでにサイパンやテニアン基地所属の銀河隊は米機動部隊を発見、さらにその接触を継続しており、敵夜間戦闘機の攻撃によって被撃墜機を出しながらも敵情の把握に努めていてくれたのだ。
それと、艦長の「皇国の興廃はこの一戦にある。諸君らの奮闘に期待する」という締めの言葉と、灯火管制中の暗い中にもなぜかそのときはよく見えたマストにはためくZ旗だけは俺の脳裏に、その記憶に鮮明に刻み込まれている。
一機艦は敵機動部隊への接触維持任務につく電探搭載型強風改を送り出す一方、夜明けとともに第一次攻撃隊を発進させた。
「翔鶴」と「瑞鶴」から二個中隊、それ以外の一一隻の空母からそれぞれ一個中隊の合わせて一八〇機からなる烈風改は空中集合を終えるとともに米機動部隊に向けて進撃を開始する。
もちろん、俺の「瑞鶴」第二中隊も第一中隊とともにこの攻撃隊に参加している。
米機動部隊との接触を保っている強風改から続々と最新の敵情が入ってくる。
敵空母が戦闘機を発進させていること、そして急降下爆撃機や雷撃機は爆弾や魚雷を搭載せずに飛び上がっているとのことだ。
戦闘機は迎撃に、急降下爆撃機や雷撃機の方は空中退避を図っているものとみられた。
おそらく、これほど早くに一機艦が現れることを予想していなかったのだろう。
理想的な状況だった。
敵は我が艦隊をいまだ発見できず、一方で一機艦はサイパンやテニアンに展開する基地航空隊のおかげもあって敵の位置や戦力を十全に把握できている。
だからこそ、そのアドバンテージを維持し続けるためにも俺たち第一次攻撃隊の使命は極めて重いものだといえた。
一方、マリアナ進攻作戦が開始された時点で大小一六隻の空母を主力とする米機動部隊は夜戦型を含めると五〇〇機を超えるF6Fヘルキャット戦闘機を保有していた。
だが、昨日サイパン基地ならびにテニアン基地を攻撃した際、日本軍戦闘機隊との空戦によって一〇〇機余りを失い、さらにほぼ同数のF6Fが再使用が不可能になるほどのダメージを被った。
また、接触を図る銀河を排除する任務にあたっていた上空直掩隊も着艦ミスなどによって少なくない機体を損耗している。
その結果、米機動部隊は現時点で使えるF6Fが三〇〇機を大きく割り込んでいる状態だった。
そのような中、こちらに二〇〇機ほどの編隊が急速に近づいてくるのを複数の米艦がそのレーダーで捉えはじめる。
そのことで米第三艦隊司令長官は日本艦隊がすでにマリアナ海域に進出していたことを知る。
そのうえ、連中が自分たちの正確な位置をつかんでいることも。
もはや猶予はならなかった。
米第三艦隊司令長官は全力でこれを迎撃するよう指示する一方で、日本艦隊を発見すべく多数の索敵機を発進させるよう命じた。
だが、米第三艦隊司令長官は仮に日本艦隊を発見したとしても攻撃は困難だろうと考えていた。
急降下爆撃機隊や雷撃機隊もまた、戦闘機隊と同様かあるいはそれ以上にサイパンやテニアンに展開する日本の戦闘機隊によってさんざんに痛めつけられていたからだ。
作戦開始時に比べて、米機動部隊の航空戦力は信じられないほどに低下していた。
強風改から送られてくる敵迎撃戦闘機隊の位置情報や高度情報は俺たちにとっては何よりもありがたいものだった。
敵の出現方向が事前に分かるし、高度を上げ過ぎたり下げ過ぎたりすることもなく、なにより奇襲を心配しなくて済む。
敵に相対するまでのストレスや疲労が段違いなのだ。
やがて、「間もなく接敵」という情報が航空無線から流れてくる。
無線越しに友軍搭乗員の緊張が伝わってくる。
中には気合を入れているのか、意味不明の叫声まで耳に入ってきた。
気持ちは分かるが、迷惑千万なので是非やめてほしい。
前方の空にゴマ粒のようなものが見えてくる。
同時に烈風改はその全機が増槽を切り離す。
高度はほぼ同じかこちらがやや上、数は向こうの方が多そうだ。
有利なポジションを獲得すべくすべての烈風改が上昇を開始する。
前方のゴマ粒どもも同じように上昇を始めたようだが、上昇率は明らかにこちらが上だ。
すべての機体が優位の確保に成功。
「全機突撃せよ」
完璧なタイミングでの指揮官機からの声、それと同時に烈風改は前方の大編隊に向かって一斉に降下を開始する。
その編隊機動に一切の乱れはない。
一八〇機の烈風改が一陣の風に、一振りの刃と化してF6Fの群れに斬り掛かかっていく。
俺もまた、宮崎一飛曹や杉野二飛曹、それに杉田二飛曹をはじめとした一一人の部下を従えてその渦中に飛び込んでいく。
後にマリアナ沖海戦の帰趨を決定づけたともいわれる日米艦上戦闘機同士の洋上空中決戦が始まろうとしていた。
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