第56話 マリアナ航空戦
一九四四年六月時点でマリアナ諸島の空を守る主力はサイパンの第二六一航空隊とテニアンの第二六三航空隊、それにグアムに展開する第二六五航空隊の三つの部隊で、そのいずれもが最新型の烈風改を装備する精鋭部隊だった。
各隊はともに定数が一〇八機で、米第三艦隊が来襲した時点での稼働機はそれぞれ二六一空が九二機、二六三空が九四機、二六五空が九一機だった。
また、サイパンとテニアン、それにグアムには複数の電探が配備され、米第三艦隊の蠢動を察知して以降は電探搭載の銀河や二式大艇を使って周辺海域の哨戒を密に行っていた。
油断による隙を突かれ、奇襲攻撃を受けて多数の航空機を地上撃破されたトラック航空隊の二の舞を演じるつもりはなかった。
米第三艦隊の艦上機が来襲した時、マリアナの各島に展開する戦闘機隊の搭乗員は、その誰もが航空管制による戦い方をすでに習熟していた。
電探が探知した敵編隊の情報が基地の司令所から随時送られてくるとともに、戦術指揮機として先行している電探搭載の銀河からもまた敵の高度ならびにおおまかな構成といったデータが送られてくる。
情報というものが、航空戦を行うにあたって最大の武器であるということは帝国海軍ではもはや常識となっていた。
その銀河に乗る二六一空飛行長の声が航空無線から流れてくる。
「敵は四群。そのうち三群が先行、一群がやや遅れている。いずれも一〇〇から一五〇機程度。鴛淵隊は右翼、菅野隊は左翼、笹井隊は中央の敵を撃滅せよ。遅れてくる一群は陸さんに任せる」
二六一空飛行長の命令を受けた九〇機余りの烈風改が三群に分かれる。
真っ先に敵編隊に飛びかかっていったのは中央の笹井隊だった。
笹井隊は三個中隊三一機から成り、特に第一中隊は第一小隊長を兼ねる笹井大尉とその二番機に西沢飛曹長、第二小隊長には坂井飛曹長、そして第三小隊長には太田飛曹長という当時としては最強すぎるメンバーをそろえていた。
先行する銀河によって最新の敵の高度情報を得た笹井隊の三一機の烈風改は一気に高度を上げて優位を確保、そして一糸乱れることなく敵の上方からかぶさるようにして攻撃を仕掛けた。
一方、五割以上も優勢だったはずの四八機のF6Fヘルキャット戦闘機は機先を制されたうえに一二四条の太い火箭を頭上から突き込まれる。
いかに防御力に優れたF6Fといえども、烈風改が装備する長銃身の二号機銃から放たれる二〇ミリ弾を、しかも撃ち下ろしで食らってはたまったものではなかった。
この攻撃で一挙に三分の一以上を撃墜されたF6Fはあっという間にその数的優位を失い混乱の渦に突き落とされていく。
乱戦は烈風改の、なにより帝国海軍搭乗員たちの望むところだ。
新装備の自動空戦フラップを十全に生かし、烈風改はあっさりとF6Fのバックをとる。
開戦以来その研鑽を怠ることの無かった搭乗員、進化する射撃照準装置、そして一号機銃とは比較にならないくらい弾道が安定する二号機銃。
それらが相まってF6Fに向けて吐き出される二〇ミリ弾にその無駄弾はほとんど無い。
かつて台南空や三空で名を馳せたエース搭乗員らの技量は米空母搭乗員のそれとは明らかに次元が違う。
さらに、F6Fと烈風改の旋回格闘性能の差もそれに拍車をかける。
だがしかし、短時間のうちにF6Fを撃滅した笹井隊の搭乗員らには油断も慢心も無かった。
サイパンの飛行場や軍事施設にとって何が一番脅威なのかは誰もが知悉している。
その脅威に彼らは烈風改という矛先を向ける。
護衛のF6Fを失ったSB2Cヘルダイバー急降下爆撃機ならびにTBFアベンジャー雷撃機に逃れる術は無い。
彼らの運命は決まったも同然だった。
笹井隊が奮闘しているのと同じ頃、鴛淵隊と菅野隊もまた米艦上機群を攻撃、烈風改を操る熟練搭乗員らは優勢に戦いを進めていた。
一方、三つある烈風改の部隊から見逃された形になった米第三艦隊空母第四群のF6F四八機とSB2C三六機、それにTBF四二機は烈風改によく似た、だが微妙にシルエットの異なる四〇機近い戦闘機の襲撃を受けていた。
「大東亜決戦機」の名を戴く、帝国陸軍期待の最新鋭機でありかつ最高の腕利き搭乗員らが駆る三六機の四式戦闘機「疾風」だった。
彼らもまた、絶対国防圏死守のために本土から送られてきた精鋭部隊だった。
烈風改の「木星」発動機よりも排気量が小さい「誉」発動機を装備する疾風は、加速の鋭さこそ烈風改にわずかに及ばないものの、一方で上昇力と旋回性能は互角、最高速度は二〇キロ以上も優越していた。
その疾風には戦技嚮導隊のメンバーも含まれていた。
彼らはかつて、一式戦ならびに三式戦を使用した帝国海軍との二度にわたる模擬空戦において、いずれも烈風によってコテンパンにされた搭乗員たちだった。
ある意味において、彼らにとって帝国海軍という組織は米軍以上に負けられない相手だった。
その帝国海軍の烈風改が洋上で敵の艦上機群を食いまくっているという情報を受けて戦技嚮導隊のメンバーたちはその闘志を燃やしていた。
帝国海軍が迎撃戦に成功しつつある今、自分たちだけが仕損じる訳にはいかない。
日本の未来をかけて、そして帝国陸軍の面子をかけて疾風を駆る「風の戦闘機隊」が機体を白刃のごとくきらめかせ米艦上機群に斬り掛かっていった。
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