第50話 市街地上空戦

 無線機から流れる困惑や疑惑、それに猜疑心を含んだ声はあっという間に混乱、惑乱、叫喚のそれへと変わっていった。

 当時、たまたま警戒直だった俺たち「瑞鶴」第三中隊第一小隊は、帝都防衛のために全力出撃した横須賀空の穴を埋めるために横浜から横須賀までの上空警戒の任にあたるよう命令されていた。


 列機の太田一飛曹や西沢一飛曹、それに宮崎二飛曹はさすがだった。

 歴戦の彼らはあっという間に現状を理解し、そのことで平常心を乱されることはなかった。

 油断も無かった。

 帝都と指呼の距離にある横浜に敵機がこない保証はない。

 いや、むしろ日本屈指の大都市の横浜や海軍中枢の横須賀を無視するとは思えなかった。

 小隊の誰もが帝都に殴り込みをかけてきた不逞の輩に天誅を加えんと目を皿のようにしていつも以上に見張りを厳にした。


 そのような中、俺の脳裏に同期の言った言葉がよみがえってくる。

 奴は確信こそなかったものの、それでも帝都奇襲を危惧していた。

 そのときの俺はそんなことはありえないと胸中で同期の言葉を一笑に付したが、今思えばうかつの限りだった。

 米国は手堅く、物量で力押しを繰り返すだけの無能ではなかったのだ。


 戦闘機乗りの性質なのか、誰もが上空を油断なく注視しているなかで、俺は視野の片隅で地上に薄い煙が立ち上るのを認めた。

 そして、ゴマ粒よりも遥かに小さな何かが地べたをはいずるような高度で飛び交っているのも。

 それも一機だけではない。

 五機あるいは六機、いや、もっとか。

 そのとき、俺は一瞬で頭に血がのぼるのを自覚した。

 連中は軍事目標ではなく住宅密集地の民家を銃撃しているのだ。

 俺は無線機にどなり散らした。


 「超低空に敵機、単機空戦を許可! 一機も逃すな!」


 悠長に編隊空戦を仕掛けている場合ではなかった。

 さっさと敵機を排除しなければ民間人の犠牲が増える一方だ。

 それに俺の列機は誰もが一騎当千の強者だ。

 心配はなかった。


 部下に命令しつつ、俺は地上銃撃に夢中になっている敵機の背後から忍び寄る。

 そして、四丁の二〇ミリ機銃で一撃のもとにこれを屠った。

 いや、一撃というのは言い過ぎか。

 敵機がガクリと機首を下げるまでの間、かなりの量の機銃弾を撃ち込んでいたかもしれない。

 だが、このことで俺は眼前の敵機が並外れた防御力を有していることを理解した。

 それと、ここで敵機を撃ち落とせば直下の住宅街に被害が出るというのは、そのときは頭から吹き飛んでいた。

 いや、単に頭に血がのぼっていただけなのかもしれない。

 ただ、幸いなことに敵機は地上に達する前に大爆発を起こしたこと、それに原型をとどめることなくバラバラの破片になって落ちていったからそれほど地上に被害は出ていないはずだった。


 その敵機が大爆発を起こしたのは、それだけ燃料かあるいは爆弾をため込んでいることでもあった。

 そして、敵機が銃撃を繰り返していたということは、爆弾ではなく燃料をたっぷり残していたということなのだろう。

 敵機が持つ航続性能のすさまじさに驚いたものの、悠長にそんな感想を抱いている場合ではなかった。

 眼前の敵機を墜とす間に、今度は俺が後ろ上空から忍び寄った別の敵機に狙われるはめになったからだ。


 状況は最悪に近かった。

 超低空の高度の余裕が無い状態で優位をとられたらまず逆転は不可能だ。

 それでも俺はさほど慌てることもなく烈風改を旋回させる。

 本来であれば、地上ぎりぎりの高さで高度を失うような機動は自殺行為だ。

 だが、烈風改の「木星」発動機の大出力は重力の誘惑を断ち切り、高度の低下を最小限にしつつその旋回を成立させてくれた。


 目標を失いそのまま直進する敵機の背後に今度は俺の烈風改が食らいつく。

 眼前の敵機の回避機動は悪くない。

 日本の首都に殴り込みをかけようって搭乗員なのだから並の腕ではないはずだ。

 だが、烈風改は敵機の機動を無効化するかのごとく俺の機体をその背後、敵からみれば六時の方向にピタリとつけてくれる。

 自動空戦フラップが効果を挙げているかどうかは分からないが、それでも旋回性能はこちらが勝っていることは間違いない。

 俺に背後を取られた敵機がこんどは速度を一段とあげる。

 だが、加速性能でも烈風改が敵機のそれを上回った。

 その時俺は、かつての烈風とF4Fの立場が再現されたような既視感にも似た感慨を覚えていた。

 しかし、それも一瞬、俺は容赦なく機銃弾を叩きこんだ。

 こんどの敵機もタフだった。

 一連射では墜ちず、二連射、三連射と立て続けに銃撃してようやく機首を下へと向け、そして地上に吸い込まれていった。


 二機の敵機を墜とし、いったん高度をとった俺は、ようやくさきほど墜とした機体がF6Fと呼ばれる新型機であることに思い至った。


 「行ける!」


 南鳥島やウェーク島で烈風や強風をうち破ったと言われるF6Fに対して烈風改は圧倒的とはいえないまでも間違いなく優位であることが分かった。

 そのことで心に若干の余裕が出来た俺だったが、だがしかしそんな思いはあっという間に吹き飛んだ。

 前方を右から左へと降下していく敵機を認めたからだ。

 その先には広い敷地とそれに並行して二階建てか三階建ての建物が並んでいる。

 間違いない。

 学校だった。

 その校庭には小さな粒がたくさん並んでいる。

 先生と子どもたちだろう。

 おそらく避難勧告がまだ届いていないのではないか。

 軍でさえ米軍に出し抜かれていまだに混乱の渦中にあるのだ。

 民間に連絡が行き渡っていないのは当たり前と言えば当たり前だった。


 俺は敵機を牽制するためにかなり遠めではあったが、機銃を発射した。

 だが、弾は出なかった。

 先程のやたらにしぶとい敵機を撃墜する際、すべての銃弾を撃ち尽くしていたのだ。

 うかつだった。

 だが、迷っている暇は無かった。

 いや、考えてすらいなかった。

 次の瞬間、俺は敵機に突っ込んでいた。

 凄まじい衝撃が襲いかかってきた。


 そして、意識が吹き飛ぶ前に俺の脳裏に浮かんだもの。

 それは母親でもなく戦友でもなく、なぜか行きつけの店のいつも濃厚サービスをしてくれるなじみのお姉さんの笑顔だった・・・・・・

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