マーシャル沖海戦

第21話 窮状

 話は少しさかのぼる。


 ウェーク島沖での激闘を経て本土へと戻った俺は書類仕事に忙殺されていた。

 一応、これでも士官なので部下の管理教育とともにペーパーワークからは逃れることが出来ないのだ。

 だが、その残務処理も一段落着き、ようやくのことで休暇を頂くことが出来た。

 それでも、やはり戦時中ということもあって旅行や遠出など望めるはずもない。

 だから、せいぜい酒を飲みにいくことくらいしか思いつくことは無かった。

 ならばと、俺は事情通で有名な同期の一人を誘った。

 その同期は、どこでどうやって情報を仕入れてくるのかは分からないが、とにかく何でもよく知っている。

 そして、そいつは無類の酒好きだから、都合がつく限り飲みの誘いは決して断らない男でもあった。

 先の海戦による航海手当や飛行手当その他諸々で結構な金が入る予定だから「驕るぞ」と言ったら、予想通り二つ返事でOKしやがった。

 そして今、俺の前でうまそうに杯をあおっている。

 本音を言えば、むさい男ではなくかわいい女の子に酌をしてもらいながら飲みたかったのだが、貧乏少尉にそんな贅沢は許されない。

 だから、愚痴が口から出る前に「この酒が今日の情報料だ」と言って、いろいろと仕込んで置きたいことを同期に問いかけた。

 「安い情報料だな」と笑いながらも同期は俺にいろいろなことを教えてくれた。


 最初は海軍戦備のこれからについてだった。

 同期によれば、ウェーク島沖海戦での空母や戦艦をはじめとした大量の艦艇の喪失は帝国海軍上層部に多大なる衝撃を与えたらしい。

 それまでは、南方作戦が順調に推移していたことやあるいは英国の最新鋭戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」ならびに巡洋戦艦「レパルス」の撃沈などもあって、危険なまでに敵をあなどる風潮が醸成されていたのだという。


 だが、ウェーク島沖海戦がすべてを変えた。

 帝国海軍最強と言われた空母「赤城」ならびに「加賀」を擁する一航戦が全滅したこと、それと必勝を信じていた戦艦同士による砲撃戦で日本の戦艦が撃ち負けたこと、さらに戦艦「陸奥」が撃沈されたときに同艦に襲撃をかけてきた敵潜水艦に対して帝国海軍の駆逐艦がほとんど何も出来なかったこと。

 それら一連の痛手を食らったことで、今ではその空気も一変しているのだという。


 これまでは「米英恐れるに足らず」だったのが、今では「米英侮るべからず」となり、特に手も足も出なかった敵潜水艦に対してはそれが顕著だとのことだ。

 そのことで、これまではさほど熱心とは言えなかった対潜装備の開発や対潜戦術の考案に金や人材をふんだんに投入するのだそうだ。

 俺の関係する航空関連で言えば、沈没した「赤城」や「加賀」の穴を埋めるべく、おもに改造空母の工事をこれまで以上に急がせるのだという。

 「橿原丸」や「出雲丸」、それに潜水母艦「大鯨」の改造は特急指定となり、そのいずれもが二四時間態勢の突貫工事によって工期を可能な限り繰り上げる。

 さらに水上機母艦の「千歳」と「千代田」もまた空母への改造が決定し、両艦ともに年内の工事完了を目指すという。


 戦艦も現状では「大和」のほかは旧式の「金剛」と「榛名」、それに先の海戦で手ひどいダメージを負った「長門」の四隻しかなく、このため現在建造中の「武蔵」は司令部施設拡充工事をとりやめ、一日でも早くその竣工を目指すことになったらしい。

 さらに、「一一〇号艦」は戦艦としての工事を促進し、当初昭和二〇年春頃と見込まれていた竣工時期を大幅に繰り上げて昭和一九年半ばの完成を目指すのだという。


 それと、先のウェーク島沖海戦では多数の空母や戦艦を失ったが、同じように深刻なのが高級軍人の喪失とその不足だった。

 同海戦では一航艦司令部のほかに第二戦隊と第三戦隊、それに第六戦隊の司令部が壊滅、艦長の殉職も相次いだ。

 一度の海戦で海軍は数人の将官と数十人の佐官を一挙に失ったのだ。

 帝国海軍が被った人的ダメージはあまりにも大きい。

 それと、現在は基地航空隊の急速な拡充が進んでいるが、そこで司令が務まる大佐クラスの人材もまた払底しているらしい。

 それに加え、潜水艦や駆逐艦、それに海防艦の大量建造によってその艦長が務まる中佐や少佐、あるいは大尉クラスの人材が同様に大量に必要になってくるがこちらも不足しているのだという。

 もちろん、予備役の士官を現役復帰させるなどの手は打ってはいるが、それでも供給が需要に全然追いついていない。

 人材難なのは何も搭乗員に限った話ではなかったのだ。

 このことで海軍省の人事担当者はたいそう頭を痛めているらしい。


 そんな同期の話を聞いているうちに俺は酔いが醒めていくのが分かった。

 人も弾薬もないない尽くしなのは開戦前から知っていたつもりだった。

 ウェーク島沖海戦では比較的搭乗員の損耗が少なかった「瑞鶴」でさえ、二割あまりの搭乗員を失っている。

 もし、米軍が帝国海軍の窮状に気づけば、多少の無理をしてでもすぐに仕掛けてくるのではないか。


 不安になった俺は同期にそのことを尋ねた。

 同期は米軍がすぐに仕掛けてくるかどうかは相手の考え方次第なので何とも言えないが、帝国海軍の窮状には間違いなく気がついているはずだと即答した。

 そのことを聞いて、俺は悪い予感しかしなかった。


 そして今、俺は「瑞鶴」とともにマーシャルにいる。

 ほんとうに悪い予感というのはよく当たるのだと今更ながらにそのことを噛み締めている。

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