第8話 フィリピン航空戦

 武藤一飛曹が去ったと思ったら、今度は入れ替わりに岩本一飛曹が俺のそばにやってきた。

 どうやら初陣を前に、俺は武藤一飛曹や岩本一飛曹といった百戦錬磨の熟練連中に気を遣われているらしい。


 「小隊長、ご機嫌いかがですか」


 岩本一飛曹が変なことを聞いてくる。

 良いわけがないだろう。

 これから戦争が始まるってのに。

 だがしかし、俺は士官でもありなにより小隊長でもある。

 ただでさえ部下に気を遣わせているのに、その部下に対して弱気なところなんか見せられるわけがない。


 「いつもと変わらんよ」


 そう言って俺はポーカーフェイスを気取った。

 しかし、岩本一飛曹には俺の心の内なんてすべてお見通しだったらしい。


 「そうですな。まだ開戦まで二日もありますから、今から気張っていては体がもちません」


 苦笑をかみ殺した岩本一飛曹はさらっととんでもないことを言った。

 いや、ちょっと待て。

 士官の俺でも開戦日がいつなのかなんてまだ聞いてないぞ。

 まあ、士官って言っても最底辺の少尉だから仕方が無いのかもしれないが。


 「通信の部署に知り合いがいまして、少し前になんとか山登れ一二〇八とかいう暗号が受信されたんだそうです。ですので、開戦日は一二月八日とみて間違いないでしょう」


 俺の問いかけに岩本一飛曹はあっさりとネタばらしをする。


 「なんかえらく杜撰な文言だな。日時の符丁も無しか? 米国が暗号を解読していたら開戦日を知られて待ち伏せを食らうぞ」


 「まあ、海軍上層部は自分らの暗号の強度には自信を持っているんでしょうな。ところで小隊長、例のうわさ聞きましたか」


 「うわさって何だ。俺に惚れた女がまた増えたとかか」


 「小隊長ってモテるんですか? いや、そうじゃなくて一航艦がもともとはハワイ奇襲を企図していたって話ですよ」


 失礼な疑問を枕詞にして岩本一飛曹はうわさの内容を俺に告げた。

 ハワイ奇襲? 何それ?

 そんなの聞いたこともないぞ。


 「実は連合艦隊司令部と軍令部との間でハワイ奇襲をやるやらないで結構もめてたんですよ。ただ、もしハワイ奇襲をやるとなると、今度はフィリピンの米航空軍を叩く戦力がない。で、ハワイ奇襲と南方作戦の重要度を天秤にかけて、結局一航艦はフィリピンに向かうことになったんだそうです」


 確かに、岩本一飛曹の言う通りフィリピンの米航空軍を叩くことができるのは一航艦をおいて他に無い。

 台湾には多数の基地航空隊が展開しているものの、フィリピンの米軍飛行場を叩くにはいずれの機体も航続性能が足りない。

 仮に、一二試陸上攻撃機が開発されていれば、あるいはフィリピンを爆撃できたかもしれないが、それでも烈風や強風といった戦闘機の護衛が付けられないから、やはり現実的ではない。

 ならば一航艦がやるしかない。

 不安なのはその一航艦の戦力で果たしてフィリピンの米航空軍に対抗できるのかということだ。

 そのことを岩本一飛曹に問うと、まず大丈夫でしょうという答えがかえってきた。

 予想されるフィリピンの米航空軍は二〇〇機から三〇〇機程度であり、その中の少なくない機体が旧式機なのだという。


 それに対して一航艦はすべての艦上機を最新型でそろえているうえに、三五〇機近い機体を保有するから質のうえでも数のうえでも一航艦の有利は揺るがないということだった。

 へえー、一航艦って三五〇機なのか。

 俺はそれも知らなかったぞ。

 そう言ったら、岩本一飛曹がそれぞれの空母の搭載機数を教えてくれた。



 「赤城」 烈風二四機(二個中隊) 強風三二機(二個中隊、偵察二個小隊)

 「加賀」 烈風三六機(三個中隊) 強風三二機(二個中隊、偵察二個小隊)

 「蒼龍」 烈風二四機(二個中隊) 強風二四機(二個中隊)

 「飛龍」 烈風二四機(二個中隊) 強風二四機(二個中隊)

 「翔鶴」 烈風三六機(三個中隊) 強風二八機(二個中隊、偵察一個小隊)

 「瑞鶴」 烈風三六機(三個中隊) 強風二八機(二個中隊、偵察一個小隊)



 烈風が一八〇機に強風が一六八機の計三四八機で、これに各空母ともに若干の予備機が加わるという。


 「へえー、『赤城』や『加賀』ってめちゃくちゃ大きいから一〇〇機ぐらいは余裕で積めるものかと思っていたが、意外に少ないんだな」


 岩本一飛曹から説明を受けた俺は身も蓋も無い素直な感想を漏らす。


 「『赤城』や『加賀』は確かに大きいですが、両艦とも元々は戦艦で、その上に空母の設備を乗せているわけですから、艦内スペースの活用があまり効率的ではないのでしょう。それとやはり烈風と強風の影響でしょうね」


 俺のどうでもいい発言に岩本一飛曹は律儀にこたえてくれる。


 「ああ、そうだな。両機とも九六艦戦に比べてずいぶんとでかいからな」


 「そうですね。しかも烈風も強風も複葉機や九七艦攻のように大きく翼を折りたためるわけではありませんからどうしても格納スペースを大きくとってしまいます。『赤城』や『加賀』も九六艦戦や九六艦攻であればあるいは一〇〇機近く搭載できたのかもしれませんが、烈風や強風だとこのくらいの数になってしまうのでしょう」


 「しかし、岩本の話してくれた空母の搭載機数だとどうなんだろう。烈風の三分の一と強風の半分をそれぞれクラーク飛行場とイバ飛行場攻撃にあてて、残った烈風の三分の一が上空直掩でお留守番といったところか」


 俺の言った通りだと、烈風六〇機と強風七二機がクラーク基地に、同じく烈風六〇機と強風七二機がイバ基地の攻撃にあたる。

 残りの烈風六〇機は艦隊上空直掩に、それに偵察隊の強風二四機が周辺警戒と対潜哨戒にあたることになる。

 まあ、我ながら妥当な線だとは思うが。


 「私はたぶん、クラーク飛行場とイバ飛行場には各空母の烈風と強風をそれぞれ一個中隊ずつ割り当て、艦隊上空直掩には『加賀』と『翔鶴』、それに『瑞鶴』の烈風第三中隊をあてるのではないかと思っています」


 「ああ、第三中隊か」


 俺は岩本一飛曹の言わんとしていることを理解する。

 「加賀」と「翔鶴」、それに「瑞鶴」は「赤城」や「蒼龍」、それに「飛龍」に比べて搭載機が多く、それぞれ烈風が一個中隊多い三個中隊編成だ。

 そのうち、第三中隊と呼ばれるものは隊長格に教官や教員をあて、列機は主に練習航空隊を出てまだ間が無い若年搭乗員をあてている。

 それと、「加賀」と「翔鶴」、それに「瑞鶴」の予備搭乗員も若年搭乗員がほとんどだ。

 そして、フィリピンへ向かう間も第三中隊と予備搭乗員らはその隊長の元で訓練に励みながらひたすら練度の向上に努めている。

 本来なら海軍航空隊の精鋭で編成されるべき母艦航空隊も悲しいかなこれが現実であった。

 というか、俺も精鋭じゃないから偉そうなことは言えないのだが。


 「まあ、心配はいらないでしょう。三六機の烈風があれば洋上の艦艇攻撃に不慣れな米陸軍相手なら十分ですし、場合によっては偵察小隊の強風も投入できます。こちらは単機航法にすぐれたベテラン揃いですから、並の搭乗員が駆る烈風よりもよほど強力です」


 あるいは、第三中隊だけに艦隊上空直掩を任せて大丈夫なのかという疑問が表情に出てしまっていたのかもしれない。

 だから、岩本一飛曹はそんな俺を安心させるために強風の話を持ち出しのだろう。


 「ああ、そういえばそうだったな。烈風の教官連中と強風偵察小隊の熟練搭乗員がいれば十分か」


 「はい。それに若年搭乗員も開戦を知ってからはずいぶんと熱心に訓練に励み、また教官の指導にも熱が入っているようです。さっき格納庫で車座になって教官の講義を聞いている若年搭乗員らを見ましたが、みな懸命に耳を傾けていましたよ」


 「そりゃ、そうなるよな。命がかかってるしな。でも気の毒だよな。開戦があと半年遅ければ連中も中堅としてもっと心に余裕を持って戦争に望めたはずなのに」


 「そればかりは仕方がありませんな。我々に出来るのは彼らを死なせないようにできるだけ先に多くの米機を叩き落す。それしかありません」


 まだ、俺の列機の連中のようにスレてなく、何も知らず俺に敬礼してくれる若年搭乗員を死なせるのは本意ではない。

 いつしか、俺と岩本一飛曹は若年搭乗員をどう育て、どう守るかについても割と真剣に意見をぶつけ合った。

 そのことで、俺の中の不安はどんどんと消えていった。

 それは、俺はすでに守られる側ではなく、守る側なのだという当たり前の自覚が芽生えたということだった。

 今までの俺は、あまりにも列機に甘えすぎていたのだ。

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