第5話 烈風vs二式戦

 烈風と一式戦の戦いは烈風の完勝で終わった。

 というか、ほとんどイジメだったけどね、アレは。

 まあ、本日の仕事も終わったし、陸軍をこてんぱんにしたことで部下たちの機嫌もいい。

 あとは俺よりも階級が上の陸軍の隊長さんに一通りのあいさつをして帰るだけだ。

 そう思っていたら、その隊長さんがニコニコしながら俺の方にやって来た。

 やばい!

 俺は知っている。

 偉いさんのニコニコほど恐いものはないということを。


 あの隊長さん、確か、黒・・・・・・あれ、なんだっけ?

 名前ど忘れしちまった。

 まあ、大尉なのは覚えているから大尉と呼んでごまかそう。


 「本日はお忙しい中、ありがとうございました。おかげで一式戦の良い部分とダメな部分がよく分かりました」


 そう言って大尉は先に俺に礼の言葉を述べてくる。

 その瞬間、「全部ダメじゃないのか」と後ろでぼそりとつぶやいた岩本一飛曹の声が耳に飛び込んできて俺は肝を冷やす。

 大尉には聞こえてないよね?


 「で、ひとつお願いがあるのですが」


 その大尉はそう言って、先程とは少し違った笑顔で俺に向き直る。

 おい岩本一飛曹、大尉、今お前をチラ見してたぞ。

 俺は知らんからな。


 「どういったことでしょうか」


 大尉の言ったことを無視するわけにもいかず、俺は愛想成分が大量に含まれた笑顔を返す。

 岩本一飛曹が欲しいのでしたらどうぞお持ち帰りください、そう心の中でつぶやきながら。


 「実は私は海軍の烈風という戦闘機にたいへん感銘を受けました。

 この戦闘機は強い。そこで烈風にわれわれの二式戦が通用するかどうか試してみたいのです」


 おいおい大尉、今は昭和一六年だぞ。

 二式だと来年の戦闘機だぞ。

 鬼が笑うぞ。

 そう思ったが、口から出たのは「二式戦とは?」という素朴な疑問だった。


 「あの一式戦の横にある頭でっかちの機体です。

 それでですが、部下たちばかりに戦わせるのではなく、ひとつ我々も隊長同士でやりあってみませんか」


 大尉の言葉の意味を俺は一瞬で悟った。

 これは単なる一試合ではない。

 陸軍側はこれまで三連敗だ。

 それも完膚無きまでの。

 だが、ここで大尉と俺が戦い、大尉が勝ったとすればどうなる?

 一式戦は烈風に敗れた。

 一方で、二式戦は烈風に勝った。

 陸軍と海軍の下士官同士の戦いは海軍に軍配があがった。

 しかし、士官同士の戦いは陸軍が勝利した。

 つまり、陸軍側は大尉が勝てば一勝三敗ではなく一気に二勝二敗のイーブンにもっていけるのだ。

 逆に海軍は三勝一敗のはずが、そうではなく二勝二敗になる。

 当然、大尉の申し出を受け入れて、さらに俺が負けた場合の話だが。


 結論。

 やるだけ損だ。

 俺には何のメリットもない。

 それにやったところで、俺なんかが大尉にかなうわけがない。

 あの黒なんとかという大尉は間違いなく凄腕だ。

 そう考えて断ろうとしたら武藤一飛曹が余計なことを口走りやがった。


 「私もちょうどあの飛行機が気になっていたんですよ。

 隊長、頑張ってください!」


 アホ! 空気読め! 武藤!

 あの黒なんとかという大尉、ただ者じゃねえぞ。

 強者のオーラびんびんじゃねえか。

 お前や岩本ならともかく俺なんかじゃ絶対勝てないに決まっているだろう。


 「決まりですな。では我々も準備をしましょう」


 改めて俺が断りの言葉を口にする前に大尉に機先を制されてしまった。

 どうしてくれるんだ!

 って言うか、汚ねえよ! 海軍大尉も陸軍大尉も!


 そして、しぶしぶといった感じで始まった模擬空戦だったが、烈風と二式戦、俺と大尉の戦いは意外にも俺の勝利で決着した。

 運動性能は烈風が上、最高速度は二式戦が上だったものの、戦闘機というのは常に最高速度で戦うものではない。

 それに常に最大出力で飛び続けたら、悲しいかな日本の発動機はあっと言う間に傷んで下手をすればおしゃかになる。

 そうなったら後で整備長にどやされるか、運が悪ければあの世行きだ。


 烈風と二式戦の明暗を分けたのは最高速度差以上に運動性能とそれ以外の何かに開きがあったということだ。

 言葉にはしにくいのだが、トータルバランスの差といってもよかった。

 互いに一長一短があれば、最後にものを言うのは総合性能だ。

 そこが烈風は二式戦に勝っていた。

 それは俺が大尉に勝ったことが何よりの証拠だ。

 同じ性能の機体で戦えば、俺なんか大尉にあっという間にひねられてしまうだろう。

 そして、二式戦はその名が示す通り、昭和一六年の現時点では明らかに練り込み不足、熟成不足だ。

 完成の域にある烈風といまだ未完の二式戦、この差は戦闘機としては決定的だ。

 今後改良が続けられれば二式戦は烈風を上回る戦闘機になる潜在能力があるのかもしれないが、現状では烈風の敵たりえない。

 つまり、俺と大尉の腕の差以上に烈風と今の二式戦には性能の開きがあったということだ。


 そう思って言葉に出したら、武藤も岩本も、それに西沢もきょとんとした顔を向けてくる。

 強面が、しかもそれが三人なら少し気持ち悪い。


 「どうした」


 ぶっきらぼうに尋ねたら武藤が苦笑した。


 「少尉は自分でおっしゃるほど弱くありません。士官搭乗員だけでなく、海軍全体の中でもかなり優秀な部類ですよ」


 ウソだろ?

 空ではいつも俺はお前らに尻を追いかけまわされて悲鳴をあげているぞ!

 お前らが全然俺に尻を差し出さないからいつも俺はイライラしているぞ!

 お前らとの腕の差を痛感する毎日に落ち込むことが日課になっているぞ!

 武藤や岩本、それに西沢のような化物に毎日いじめられて夜ごとしくしく泣いているぞ!

 そんな俺が弱くない? 優秀?


 「ええ、私もそう思いますよ。日々どんどん強くなっていくのがよく分かります」


 決してお世辞を言うようなタイプではない岩本も武藤の言葉に同意する。

 えっ? そうなの?

 お前らにそんなこと言われたら俺天狗になっちゃうよ。


 「あの陸軍の大尉は確かに凄腕でしたね。並の士官搭乗員だったらたぶん烈風でも例の二式戦にやられていたでしょう。

 ですが小隊長は勝利した。下から見ていましたが、見事な機動でしたよ」


 上官へのおべんちゃらとは無縁の西沢までがうれしいことを言ってくれる。

 そうか、俺は武藤や岩本、それに西沢といった化け物を相手に毎日訓練を積むことでいつの間にかその化け物連中を普通だと思うようになっていたのか。

 そのことで化け物連中と自分を比べて劣等感を抱いてしまっていたのだ。

 だが、劣等感を抱きながらも天才にもまれて努力した凡人と、馬鹿に囲まれて増長した凡人が、最初は同じ能力の凡人だったとしても、その過ごし方でずいぶんと違うことになるんだろうな。

 たぶん、そういうことだろう。

 少なくとも俺は化け物を普通と思い込み、そして自分自身に劣等感を抱き、だがしかしそれを克服すべくそれなりの努力をしてきた。

 そして、それが今回実を結んだんだろうな。


 まあ、何にせよ俺は海軍士官搭乗員の名誉を守り、さらに保身にも成功したということだ。

 そう言えば、と俺は懐の現ナマのことを思い出す。

 大尉からもらった「祝勝会」の金だ。

 そのことと、特別に今日は外泊が認められていることを三人に告げるとおおいに盛り上がった。

 その晩、俺たち小隊は陸軍の悪口を肴にして上機嫌で痛飲した。

 平和な時代に口にした最後の旨い酒だった。

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