第2話 一二試艦上戦闘機

 昭和一二年頃、海軍航空関係者は頭を抱えていた。

 会心作だと自負していた最新鋭の九六艦戦がその配備と同時にすでに二線級の機体に堕していたからだ。


 事の発端は欧州からの情報だった。

 それによると、九六艦戦よりわずかに遅れて生産と配備の始まった英国やドイツの最新鋭戦闘機は軒並み五〇〇キロ台半ばの最高速度を叩きだすというのだ。

 九六艦戦は艦上機、英国とドイツのそれは陸上機だから単純比較はフェアではないとはいえ、一〇〇キロの速度差はあまりにも大きい。

 日進月歩の航空機だから、戦闘機は六〇〇キロ台、七〇〇キロ台が当たり前の時代がすぐにやって来るはずだった。

 高速化の趨勢に後れをとらないためにも、次期艦上戦闘機の一二試艦戦は旋回性能や翼面荷重にこだわっている場合ではなかった。


 それでも、小型軽量で高出力の発動機があれば問題のそのほとんどは解決されるのだが、あいにくと航空後進国の日本にそんなものは無い。

 ならば、多少の機体の大型化や運動性能の低下は甘受してでも大出力の発動機を採用して高速化を目指すべきだった。

 当時は金星発動機があったが、大きいと言われたこの発動機でさえ出力不足は明らかだった。

 そこで、海軍はこの実績のある金星発動機を一八気筒化、あるいは大排気量化することで出力不足を解消することとし、メーカーにその開発を要請、多少の肥大化は許容することで一二試艦戦の開発を急がせた。




 一二試艦戦は機体と発動機の開発を同時に行うという、一種の博打のような態勢での開発だったが、機体と発動機が同一メーカーであったこと、さらに旋回性能や翼面荷重、それに航続距離の要件を大幅に緩和したこともあり、昭和一四年には試作一号機の完成にこぎつけることが出来た。

 そして、不具合個所の改修や改善に一年近くを費やし、昭和一五年四月に零式艦上戦闘攻撃機一一型として正式採用される。

 さらに空母の昇降機で運用が可能なように翼端を折りたためるようにした二一型が完成するに至り、本格的な量産が始まった。


 一方で、このあおりをモロに受けたのが一二試陸上攻撃機だった。

 爆弾の搭載量が一人乗りの一二試艦戦とさほど変わらず、そのうえ七人乃至八人の搭乗員が必要な一二試陸上攻撃機は海軍航空の上層部からすれば贅沢極まりない飛行機に見えた。

 それに一機墜ちただけで七人も八人も失うというのは、搭乗員の層が薄い海軍にとって決して看過できることではない。

 そのうえ一機あたりの調達費や維持費も一二試艦戦とは比較にならないくらい高額だ。

 数が重要な飛行機だからこそ、コストにもシビアになる。

 結局、一二試陸上攻撃機は不採用となった。

 そのことで、同じ発動機を搭載する一二試艦戦、つまり烈風は発動機の不足に悩まされることもなく量産計画も順調に進んだ。


 「と、まあ、こんなところだ」


 俺はまだ経験の浅い小隊四番機の西沢宏義二飛曹に烈風の成り立ちについて講釈を垂れていた。

 俺の列機の武藤金良一飛曹も、三番機の岩本徹蔵一飛曹も大陸で暴れまくった実績十分の戦闘機乗りで、もちろん俺なんか足元にも及ばない。

 だから、彼らに講釈なんて畏れ多くてやれたもんじゃないが、練習航空隊を出てさほど間がない西沢二飛曹にはたとえ実戦経験が無い俺でも偉そうな顔をしてレクチャーが出来る。

 部下への知識の伝授や情報の伝達も上官の大事な仕事だ。

 ただし、肝心の腕の方はとっくに抜かれてしまってはいるが。


 その西沢二飛曹は、練習航空隊で武藤一飛曹から操縦を学んでおり、その武藤一飛曹が言うにはたいそう筋がよく、将来は日本海軍のトップエースになること間違い無しという太鼓判をもらっている若者だ。

 うらやましい。

 ところで、日本海軍は烈風の採用に伴って、それまでの一個小隊三機編成だったものを四機のそれへと変更している。

 烈風は九六艦戦と違い、その高速と強烈なトルクでもって搭乗員を振り回してくれるじゃじゃ馬だった。

 端的に言えば編隊の維持、ポジション取りが烈風はとっても大変なのだ。

 我が身を振り返れば分かる。

 もし俺が武藤一飛曹と立場を逆転して、俺が武藤一飛曹の二番機になったとしたらどうなるか。

 あの武藤一飛曹の常人離れした機動についていくだけで精いっぱいだろう。

 もし仮に三機小隊の三番機だったら間違いなくそのポジションを維持できない。

 このことは自信を持って言える。

 ほとほと情けない自信ではあるのだが。


 それでもまだ機体が軽く、低速で運動性能が高い九六艦戦なら俺の腕でも三機編隊の三番機が務まるかもしれない。

 だが、烈風では絶対に無理だ。

 俺でさえダメなんだから、もっとダメな奴はお話にもならないだろう。

 残念ながら、こんな俺でも士官搭乗員の中ではまだマシな部類なのだ。

 ほんと、日本の士官搭乗員ってダメなやつが多い。

 もちろん、腕の立つのも中にはいるが。


 帝国海軍の戦闘機搭乗員に限って言えばそれは下士官の独壇場だ。

 腕の立つ連中の八割は下士官だと思って間違いない。

 だからというわけではないが、俺は下士官を大事にする。

 もともと俺はあまり人に威張ったり偉そうにしたりするようなマネはしない。

 謙虚だとか慎み深いとかいったことではなく、そんなことをしたところで相手の軽蔑や反感を買うだけで、何の得にもならないからだ。

 そんな俺の態度を見て威厳が無いなどといって文句をつけてくるバカも少なからずいる。

 そう言ってくるような連中はたいてい傲慢と威厳の区別がつかないだけの愚か者だ。


 それと少し考えてみればいい。

 ふだん優しく接してくれる上官と威張り散らす上官。

 どちらが部下の好感度が高い?

 それに陸軍では部下に対して理不尽なマネをする士官が流れ弾を装った下士官兵の名人芸によって二階級特進もしくは永遠の予備役入りを余儀なくされるケースが少なからずあるんだぞ。

 まあ、あくまでも噂だが、十中八九真実だろう。

 いや、十割だと断言しておこう。


 要するにだ、他人には親切にしておかないとあとで自分が地獄を見るということだ。

 その当たり前のことをわきまえていない士官が我が帝国海軍にいかに多い事か。

 今から言っておくぞ。

 戦争が始まったらそんな連中は長くは生きられないぞ、と。

 だから、俺は下士官、特に列機の連中にはとっても優しい。

 うまく行けば絶体絶命のときに肉壁になってくれるかもしれない。

 日本人ってやつは人の為に死ぬことを誇りに思っている者が多いからな。

 特に搭乗員という生き物は歩く浪花節だ。

 ま、中には岩本一飛曹のようにクールでシニカルな奴もいるが、敬愛する上官のためなら自らの命を投げ出すことをいとわない連中もことのほか多いはずだ。


 これからどれくらい後になるか分からないが、米国との戦争はもはや避けえないだろう。

 だからこそ俺は布石を打っておく。

 人は石垣、人は防弾鋼板というやつだ。


 「頼んだぞ、肉壁たちよ」

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