「私じゃダメかな」
私は初めて彼と唇を交わした。
唇と唇が触れた瞬間、彼の匂いが私の鼻の奥を通り抜け、脳内が彼の匂いでいっぱいになる。
その余韻に浸る前にまた2回、3回と唇が触れる。
あぁ、なぜこんなことになってしまったのだろうか…。
彼は少し背が高くて、演劇部の副部長をしている。顔は普通くらいで頭が良く、優しい、そんなどこにでもいる男の人、そんな人だった。
3ヶ月前、文化祭の準備期間、彼と私は演劇の道具作りに勤しんでいた。
それまで彼とは接点があまりなくただの同じ部活の男子と女子でしか無かった。
彼とは別々のクラスだったし、元々私は役者で、彼は裏方だったのもあり、接点は全くと言っていいほどなかった。
私が裏方に回った理由は言うと、1週間前の演劇の練習の時の話になる。
私は脇役を演じていた脇役と言っても3年生なので結構なセリフがあった、自ら進んで脇役を選んだわけじゃない。
私は、主演のオーディションで最後の2人というところまで進んだ。
だけど私は主演を取り逃した。
その時はショックで、文化祭を休もうかとも思った。
でも最後の文化祭に出ないのは後で自分が後悔する。
そう思い自分の役に全力を尽くすことにした。そこまでは良かった。
だけど私のやる気は空回りしてしまったらしい。
私は自分の役で、セリフを言いながらステージの手前に移動するシーンがあった。
そこで私はステージの外に足を踏み外した 。
そして私は足の靭帯を怪我してしまったのだ。
骨には問題がなかったので手術とはいかなかったが、靭帯が伸びてしまい私は1ヶ月は歩けないとお医者さんに言われた。
悔しくてしかたなかった、なぜ本番の前に怪我をしてしまったのか、なぜあの時足を踏み外してしまったのか。
その答えを探し続けても、文化祭は2週間後まで差し迫っていた。
怪我をして、歩けなくても、私はステージに立ちたかった。
先生からは見学していなさいと言われたが諦めることが出来なかった。
諦めきれなかった私は部長の元を訪ね、どうしても演劇に出たいということを伝えた。
無理なことはわかっていた、それでもイエスかノーのどちらかの答えを部長から聞くしか納得出来なかったんだと思う。
私の予想通り、彼は首を横に振った、分かりきっていた、分かりきっていたからこそ私は納得できた、できていなかったけど何とか飲み込もうとした。
私がそこから帰ろうとした、その時、部長は
「副部長と同じ班で裏方をやってくれないか。」
私はびっくりした、裏方の手伝いをすることになるとは思っていなかったからだ。
彼は私が何もしないで見ているのは辛いだろうと、私に気を使ってくれたんだと思う。
副部長の雄也くんは優しくて頭がいいのでとても頼りになる、だけど私の中にはどうしても後悔と不安が残っていた。
だけどその不安とは裏腹に彼との過ごす2週間は一瞬で通り過ぎていった。
彼はその不安をかき消してくれるほど優しく、そして丁寧に作業を教えてくれた。
そして作業を教えてくれるだけでなく私の苦しみに気付き、寄り添ってくれた。
彼は私の全てを受け入れてくれた。
本当は主演をしたかったこと、今でも役を演じたいこと。
本当に裏方をやりたいのか分からないこと。
時には泣いてしまった日もあった。
でもそんな時は
「うんうん」「大丈夫だよ、辛かったよね」
と背中を擦りながら私の話を聞いてくれた。
私はそんな優しい彼のことを好きに”なってしまった”。
そう、”なってしまった”のだ。
彼には彼女が居た。
雄也くんの彼女は、テストの成績は学年1位、クラス委員長をしていて明るくて、クラスのみんなに好かれている、そんな完璧な人だった。
でも、好きになったのは私だ、私だけが我慢すればいいのだ。
そう思っていた。
私の気持ちを伝えないまま3ヶ月が経った、雪が降り始め、演劇部の活動も終わり、皆は受験の勉強に明け暮れている、私の怪我は治っていた、色んなことが変わっていた、変わったけど、変わっていなかったことは私が雄也くんを好きな事と、雄也くんが彼女と付き合っているということだ。
それでも私はそんな事を知りながら雄也くんとはずっとLINEを続けていた。
もうそろそろ私は受験も控えている。
雄也くんは地方の銀行に就職するということを言っていた。
このまま何も無く卒業し、もう会うことも無くなるんだな、とそう思っていた。
そんな今日、雄也くんから
「今から、2人で遊ばない?」
という趣旨のLINEが届いた。
私はびっくりした。
今まで、雄也くんとは部活の人も含めて何人かで遊んだことはあった。
だけど、2人で遊んだことは無かった。そんな彼から遊ぼうと連絡が来るなんて思ってもいなかった。
私は直ぐに「いいよ」と送った、一瞬で後悔し、送信を取り消そうとした。
けど遅かったみたいだ、既読が着いてしまった。
久しぶりのおしゃれだ、髪を巻くのも久しぶりで上手く出来なかったけど、
うん、大丈夫、今日の私は可愛い。
そう信じて私は家の扉を開いた。
私は緊張していて、待ち合わせの場所に20分も早く着いてしまった。
けれど彼は5分もしないで現れた。
彼はもう私が居ることにびっくりしていた。
2人で「早すぎたね」なんて笑いながら歩きはじめた。巻いた髪には気付いてくれなかった。
少し悲しかったけど、悲しんでる顔を彼には見せたくなかったので、私は気にしない振りをして1つ目の目的地に向かった。
1件目に来たのはカフェだった、そこは私のお気に入りの場所で、部活の帰りに来て、いつも同じパンケーキを食べていた、そんな場所だった。
彼はこのカフェに初めて来たのだろう、メニューをじっくり見たあと、ガトーショコラを頼んでだ。
私はいつも通りパンケーキを頼んだ。
私の元に来たパンケーキはいつものパンケーキとは違った。
いや、正確に言えば同じだった、いつもと違うのはパンケーキではなくて私の方だ。
雄也くんが居る、その事実だけで緊張して味がわからなかった。
ふわふわとした食感だけが口に残る。私はこのパンケーキが美味しいのかはわからなかった。
彼は
「このガトーショコラめっちゃ美味いよ!食べてみて!」
と彼のガトーショコラを分けてくれることになった、彼のフォークで。
とても甘かった。
パンケーキの味はわからなかったけど、彼がくれたガトーショコラは今まで食べたガトーショコラの中で1番甘かった。
私は自分の鼓動を抑えきれなかった。多分彼に聞こえていたと思う。
それくらい私はドキドキしていたし、幸せだった。
2件目に来たのはカラオケだった、私はあんまり上手くないから乗り気じゃなかったけど、彼が譲ってくれなかったから仕方なくカラオケに来ることにした。
なんで彼がそんなに譲らなかったのか、理由はすぐわかった。
彼は歌が上手かった、上手いなんてレベルじゃなかった。彼の声が私の耳元に届くとさっきまでバクバク言っていた心臓の鼓動が治まり、今すぐ眠ってしまいそうになるほど彼の声に聞き惚れてしまった。
いつもよりかっこよく見えた。いや、かっこよかった。
しばらく聞き惚れていると私の番が来た、不思議と緊張はしていなかった。
いつもより自然に歌えたと思う。
彼といるといい意味でいつもと違う気がする。
歌い終わった後、彼は
「めっちゃ上手いじゃん!陽菜の声って可愛くて曲に合ってるよ!」
と言って、私の歌を彼は褒めてくれた。
素直に嬉しかった。
その後、流れで彼の家に行くことになった。
彼の家までは2人で恋人繋ぎで歩いていった。
彼の家に両親は2人とも居なかった、そして私は彼の部屋にお邪魔した。
あんまり広くなかった。そのせいか、さっきまで隣を歩いていた彼が少し大きく見える。
「陽菜」
私の名前が呼ばれた。
その瞬間、目の前が真っ暗になった。
彼がの匂いが、彼の鼓動が私を包む。
一瞬何が起こったのか分からなかった。でも私は彼に抱きしめられているらしい。
彼の着ていた紺色のニットが目の前にあった。彼と目が合う。
いつも柔らかい彼の表情がいつもよりとろんとしている。
私も多分同じ顔をしていた。
言葉を交わすことはなく彼と私の唇の距離が無くなっていた。
彼には彼女がいるのに。
好きになってはいけないのに。
彼の1番にはなれないと知っていたのに。
ダメだとわかっていた。
それでも、
私たちは身体を重ねた。
彼は頭も良くて。
優しくて。
歌も上手くて。
私にとって特別にかっこいい。
愛おしくてしかたない。
そんな彼の1番は、
「私じゃダメかな」
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