散華、乞い、遊園地
「これは人命救助だから浮気じゃない……私の復讐を手伝うとか言っていた奴だな」
唇から一筋血を垂らした陰陽師は眉を寄せて苦笑し、痛みに呻いた。
「人間にしちゃそこそこやっただろ……」
「あぁ、充分だ。私の旦那の仇は私が討つ」
天丸はひしゃげたジェットコースターのレールを睨んだ。
「さぁて、食い出がありそうじゃねえか」
「デケぇ奴を倒すなら脚から順繰りに、だ。達磨落としと行こうぜ」
「張り切りすぎんなよ」
浅緋に手の甲で胸板を叩かれた鬼島が呻いた。視線を交わして口元だけで笑った。
空にそびえる観覧車に巨影が重なる。
地鳴りが響き、怪異の足踏みで震動した地面が並ぶパラソルを跳ね上げた。闇に広がる七色の花の下を浅緋と鬼島が駆ける。
傘を突風が舞い上げ、鬼島の眼前に灰色の壁が急回転しながら迫った。
割り込んだ浅緋のドスが投擲されたヘリコプター型の遊具を両断する。キン、と金属音が響き、切り離されたプロペラが弧を描いて両替機に突き刺さった。
「天丸、目眩し頼んだ!」
億劫そうにレールにもたれかかり、カラフルな装飾のパトカーを掴んだ座敷わらしの手元に赤い隕石が堕ちた。
一瞬で燃え上がった車が溶剤の匂いと黒煙を上げる。
「俺は左脚、お前は右脚だ!」
足首をしならせて反転した浅緋がドスを上段に構える。花壇に深く突き込まれた傷だらけの脚が見えた。裸足の指の爪は鬱血して黒ずんでいる。
鬼島は唇を噛み、大樹の幹のような脚に袈裟斬りに斧を振り下ろした。
鉄塊を叩いたような感触に鬼島が一歩後ずさる。心臓の鈍痛が遅れて響いた。
浅緋が切り込んだドスは脚の半分まで到達してそこで止まっていた。
「やっぱり硬えか……」
咆哮が轟く。上から押さえつけられるような声の質量にふたりの動きが止まった。
上空で燃える車輪がコースターのレールに着地し、天丸が叫ぶ。
「避けろ、蹴散らされるぞ!」
アスファルトが粉塵を上げた。
子どもの癇癪のように踏み鳴らされた脚が無差別に地面を、遊具を囲う柵を、パンダの乗り物を鉄屑に変える。巨大な踵が鬼島も砕こうと迫った寸前、浅緋が脇腹を掴んで跳躍した。
破砕された鉄骨が浅緋と鬼島を追うように跳ぶ。
次々と崩壊する彫刻の施された中二階の柵と非常階段を足場に浅緋が駆け抜け、フェンスを抉り取られた剥き出しのジェットコースター乗り場に飛び込んだ。
抱えた鬼島を下ろした瞬間、すぐ真横を鉄塊が掠め、身長を測るために壁に刻まれた目盛りを貫いた。
「おい、生きてんだろうなあ」
巨大な影を睨みながら問う浅緋の頬から血が流れている。
「大したことねえよ……」
鬼島の胸に痛みが強く走る。血中に無数の針が流れ、心臓を絶えず突かれるような痛みだった。
赤い空に立ちはだかる怪異の前を翻弄するように火車が飛び回っている。
「時間稼ぎにしかならねえな。行けるか?」
鬼島は首肯だけ返し、斧を握った。晩夏の風がひび割れたコンクリートの上を吹き抜け、全身を温く撫でる。
浅緋と鬼島は同時に地を蹴った。
座敷わらしが振り回す拳を避けて、火球が弧を描いて飛ぶ。帽子のつばをなぞって旋回した火車は後頭部めがけて直進した。
白濁した凸レンズのような眼球が炎を捉える。
黒髪を焦がして迫った燃える車輪は怪異の一撃で叩き落とされた。
煌めきを残して急降下した赤い軌道を、二筋の銀の斬撃がなぞる。
高所から重力を乗せた浅緋の刃と鬼島の斧が座敷わらしの腕を切断した。
熱湯のような血が噴き上がり、ふたりの全身を濡らす。落下した腕が蛇のようにのたうってメリーゴーランドの屋根に突き刺さった。
「まずは一本!」
浅緋の声におぞましい悲鳴が重なる。
鬼島を空中で抱えて着地した浅緋に血飛沫が降り注いだ。
次いで、頭上から黒い影が押し迫った。
闇に広がる髪の中で憎悪に燃える巨大なふたつの瞳が見下ろしている。岩のような骨が浮き出した拳が振り下ろされる瞬間だった。
ふたりをすり潰すはずの拳撃は透明な壁に弾かれたように止まった。
引き千切られた電飾を飾る電線とともに、白銀の糸が蜘蛛の巣のように張り巡らされて太い指を阻んでいる。
「痛みますか? これは
黒い手袋に銀糸を絡ませた痩身の青年が立っていた。その脇をすり抜けて、ポルノ雑誌のコラージュを印刷したアロハシャツが風になびいた。
鋼鉄の糸の間を軽業のように駆け上がり、無数の鋭く短い斬撃が怪異の手指を切り裂いて血の花を咲かす。
悲壮な呻きを上げて座敷わらしが仰け反った。
「
鬼島の声に二体の妖怪が小さく笑う。
「結界がだいぶ脆くなりましたので、八尺様の特性か、男性なら潜り込めるようです」
「ひどい、私がおじさんだって言うんですかぁ、とか言ってる場合じゃねえなこれ!」
怪異の隙をついて鬼島たちが隠れた瓦礫の影にも残響が響いていた。
「どうする、このままじゃ決定打がない」
膝をついた天丸の手足から炎が消え、打撲の痕が現れた。
「八坂は入れねえし、あいつはデケぇままだしな」
尖塔のように雲を突く鍔広の帽子の向こうに観覧車が回転していた。
「デカいから、だ……」
鬼島は浅緋に背を押されて立ち上がる。
「策があるのか?」
天丸の片目に映る自分の憔悴した顔を振り払うように鬼島は頷いた。
「天丸、頼みがある」
座敷わらしは巨躯を折り曲げてしらみつぶしに拳を振り下ろした。肘に当たっただけで砕けた円盤型のアトラクションが宙で弾ける。
その破片を死角にして冬瓜と纏依が飛び出した。飛び交う瓦礫を足場に駆ける二体の妖怪が怪異を翻弄する。
焦れたように肉厚な掌が振られた。空中で受け身が取れない纏依に五本の指が豪速で向かう。青年の姿が弾けて目標を失った手が空を掻く。
指の隙間から抜け出した猫が手の甲を滑り、怪異の鼻先まで跳ぶと、現れた青年がナイフを一閃した。
「時間稼ぎなら何とかなりますね」
「本当に鬼島たちに任せていいんだろうな?」
「信じましょう」
冬瓜と纏依は視線を交わして再び跳躍した。
花やしきの前で結界を張る陰陽師は片手を耳元のインカムにやった。
「彼らが突入してから一時間になります。依然、怪異は巨大なままですよ」
「うん、大きくていいんだよ」
応える
問い返そうとした陰陽師は頭上の不穏な羽ばたきに顔を上げた。
「あれは……」
花やしきの上空に暗雲が立ち込めた。大量の鴉と蝙蝠が群れをなして飛んでいる。全ての獣の足首に括りつけられた小瓶までは陰陽師に見えなかった。
「援軍を送ったよ。ようやく結界に穴も開いたし、彼らもそろそろ気づくでしょう。熱い空気は上に行くってね」
冬瓜と纏依を追う座敷わらしは一瞬動きを止め、帽子を深くかぶり直した。ちょうど強い日差しを避けるように。
幼い仕草で帽子を抑えたまま怪異は周囲を見回す。視界がわずかに開けている。目元を覆う長い髪が萎れて乾いていた。
さらに高みを目指すように上げた顎に熱風が吹きつける。巨大な少女が見上げた空は異界の色だけではない、炎の赤が染めていた。
八坂の放った鴉と鳥たちが次々と油の瓶を投げ込み、飛び去っていく。轟々と燃え盛る観覧車が巨大な光球となって回転していた。その軸にふた回り小さい火の車輪が回転している。
「もう子どもの悪戯では済まされないぞ」
天丸の声に押さえつけられたように怪異が両膝をついた。崩壊した遊園地が重量でまた形を崩す。
花やしきを覆う結界の天蓋を伝う黒煙がゆっくりと下方へ這い、座敷わらしに絡みつく。
「お前を何かを奪われたんだろう。でも、お前はもう奪う側だ。私の旦那を殺した。大きくなったらやったことの責任を取らなきゃいけない。死ぬときだ」
怪異が上げたはずの絶叫は火の熱と酸素を失った空気に吸われて霞んだ。こうべを垂れるように座敷わらしの上体が地に堕ちて行く。
「行くぞ、浅緋!」
足場の骨組みが残るだけのジェットコースター乗り場で斧を構えた鬼島が叫ぶ。
向かい合うレールの上で長ドスを構えた浅緋が呼吸を合わせて跳んだ。
剥き出しの白く太い首が落下につれて近づく。
「これで終わりだ」
鬼島が斧を振り上げた瞬間、座敷わらしがぐるりと首を半回転させた。帽子のつばの間から覗く眼球は迷子の少女の瞳だった。
怯みかけた鬼島を咆哮が襲う。咄嗟に身を庇ったせいで振り下ろすはずの斧が逸れる。
闇雲に突き上げられた拳を受けたのは割って入った浅緋だった。
レールごと砕いて壁に叩きつけられた拳がひびとともに血糊を広げる。
「浅緋!」
座敷わらしは押し潰した妖怪をかえりみず熱と煙にのたうつ。浅緋の姿はなく、粘質の液体が糸を引いた。
「ヒダルガミ……」
着地した天丸が呆然と赤黒いしみを見つめた。
「俺のせいだ、俺が怯んだから……」
うわごとのように呟く鬼島の肩を天丸が揺すった。
「今は言ってる場合じゃない! 早く奴を……」
折れたレールから垂れる黒い液が蠢き、暴れ回る怪異の腕を捉えた。液体は帯状に広がり、餓鬼のように痩せ細った無数の腕が湧き出す。
動きを封じられた座敷わらしが震えた。
骨と皮だけの亡者たちが一点に収束し、血濡れのトレンチコートを羽織った妖怪の姿を成した。
「血ぃ流したのは百年ぶりだ……」
纏った餓鬼の大群を払い、浅緋が吠えた。
「俺が死ぬわけねえだろうが! とっとと殺っちまえ!」
鬼島は息を漏らし、一瞬緩めた口元を引き締めた。
斧を握り直して駆け出す。
巨大な怪異の喉首は目の前に放り出されている。
座敷わらしが地に着いた腕を駆け上がり、垂れ下がる髪を斧の柄で払う。
寂しげな少女の顔があった。
「怖がるな、首は切らない」
鬼島は差し出すようにもたげた首に駆け上り、斧を振るった。
八尺様の帽子が両断され、宙に舞った。
鬼島の靴底が地面に触れ、斧と籠手が解けた。
「
巨大な身体が黒い塵となって消えていく。
「お兄ちゃん……」
火の粉と煙の絡んだ風に掠れた声が混じった。
断ち切られた帽子の片側が消えていき、小さな麦わら帽子が浮いた。
帽子はリボンをなびかせながら風に漂い、遊園地の中央の人工の滝まで飛んでいく。赤い橋の欄干にふわりと乗り、水中に落ちた。
「しあわせ橋か……」
天丸が呟いた。燃え落ちた眼帯が隠していた片目は白く白濁していた。
麦わら帽子が水に溶け、残した波紋の下を錦鯉が泳いだ。
水面には星空と、明かりが消えても鮮やかな色彩のアトラクションが映り込んでいた。
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