術式、胎動、開戦
「花やしきに怪異出現確認、異界発生してます!」
女が赤い髪に隠したインカムに叫ぶ。
遊園地を囲う城壁を模した塀に赤黒い雲が垂れ込めていた。
「おい、八尺つったら二メートル半程度だよな?」
「どう考えても倍はあるだろ……」
どす黒い雨が園内に降り注ぎ、スワンの乗り物に何条もの線を引いて水を濁らせた。
「座敷わらし……」
沈鬱に呟いた
振り下ろされた拳が風を巻き込んで炸裂し、電飾を纏った屋根ごとメリーゴーランドを粉砕した。
「駄目だ、結界が破れない!」
黒袴の男が上ずった声をあげる。
「退がってください」
ふたりの陰陽師を押し退けて
「すねこすりに何ができる」
「すねこすりだからですよ。猫が走り回っていても警戒する者など誰もいない。お陰で仕込みに一日使えました」
纏依がベストの内側からジッポライターを取り出した。銀の蓋が跳ね、冷たいガスの匂いが漏れる。
「結界は結界で上書きしてしまえばいい。
花やしきの一面に張り巡らされた糸が弾性で跳ねた。
放り投げられたライターの火が虚空に絡め取られ、線状に広がる。陽炎が泡立つように揺らぎ、透明な壁が爆ぜた。
清廉な白い炎の光が赤一色に塗り潰された園内に差した。
入場口に注意を向けながら、鬼島は振り下ろされる拳を回避する。
「座敷わらし、俺は死んでない。お前はまだ人間を害した妖怪じゃないだろ。今なら間に合う!」
砕けた柵と両断された白い木馬の上半身が宙を舞い、装飾を施した花壇をえぐるように突き刺さった。
「くそっ……」
「怪異発見、突入するぞ!」
入場口からの怒号に鬼島が弾かれたように顔を上げた。
巨体がゆっくりと振り返る。帽子の奥から赤い眼光が漏れ、日除けから黒い雨を零す。
「デカいな……」
赤毛の女が低く身を屈め、両手の指を影絵を作るように組み合わせた。
「出ろ。式神、
指の間から滲み出した光が輪郭を帯びて飛翔した。
光球が羽を広げ、燃え盛る一羽の鳥になった。
火炎が闇夜を輝かせ、巨躯の女の周りを旋回する。
羽の間から溢れる火の雨に、座敷わらしが顔を庇うように手をかざした。肉厚な指を燃える嘴が啄ばみ、黒い血が溢れる。
「朱雀、そのまま喉を抉れ!」
女の声に火の鳥が速度を上げた。放たれた矢のように飛ぶ朱雀が怪異の喉元に迫る。
その嘴が鋭く突き立てられる前に、巨大な手の平が宙を薙いだ。
横面に殴り飛ばされた朱雀が炎の輝きを零して急旋回し、地に落ちる前に燃え尽きる。
赤毛の女が構え直す前に拳が振り下ろされた。
女の姿が衝撃波に消え、窮屈にひしめくアトラクションの案内板と券売機が紙細工のように潰れる。
瓦礫と木材が突き刺さった手が億劫そうに開かれ、粘ついた赤黒い液体が地面に糸を引いた。
「
黒袴の男が奥歯を噛み締め、日本刀を抜く。鬼島は一瞬瞑目して懐から銃を取り出した。
発砲とともに列車が駆け抜けたような豪速の風が通り、鬼島の放った弾丸が怪異の腕に弾かれる。
目の前に一層濃い闇が広がった。夜空に待った黒髪が視界を塗りつぶし、石臼のような歯が迫る。
鬼島は素早く数歩後退し、続けざまに銃を撃った。
弾は髪の幕に穴を開けただけですり抜け、遊具の鉄に当たった跳弾の音が響く。
怪異は帽子のつばで風を切り、再び頭を突き込んだ。
黒袴の男が振り上げた刀は顎門だけで受け止められた。重量に耐える草履の脚が地面にめり込む。
男の上半身が帽子に呑まれた。
座敷わらしが身を引き、おびただしい血の染みを残した袴がずるりと崩れ落ちた。
「やっぱり違う……あなたじゃない……」
帽子の奥底の赤光が歪む。
鬼島は唇を噛み、銃を構えた。
「始まってやがる」
轟音が響く園内を門の向こうから眺めて
「お前たちは突入しないのか」
「一度は結界を破れましたがまた復活しました。第二軍が送れません」
「奴は防御に重きを置いて非常に強固な壁を作っている。陰陽師は何とか入れたが妖怪たちは弾かれた」
「おれらじゃ太刀打ちできねえよ。あとひと押し、あんたならできるんじゃねえか」
地べたに座り込んだ冬瓜が視線を上げる。
「結界は花やしきを覆ってんだろ。外界に触れてるとこならやれねえこともねえか……」
浅緋は赤く沈む空の色彩と天を衝く白い帽子に目を細めた。
「
「今度は無賃乗車か」
天丸は薄く笑みを浮かべた。
「手と服が焦げるぞ。耐えろ」
彼女の足元から細い煙がたなびき、サンダル履きの足元を伝うように炎が這い上がる。
膨れ上がった火が全身を包み、天丸が燃える水車に似た車輪に姿を変えた。
「旦那以外の男に手を触れるのは不本意だがこれくらいは浮気じゃないな?」
放射線に伸びた車輪の輻が傾く。
「知るか。どこが手かもわかんねえよ」
浅緋は躊躇いもせず燃える車軸を握った。
銃弾が赤い空にそびえる帽子をかすめた。
鬼島は振り返りながらもう一発発砲して駆け出す。
巨大な怪異がそれを追った。
狭い園内の通路を抜け、背後で他に衝撃が走ったのを感じる。休憩スペースのパラソルが次々と折れ、進路を塞いだ。
方向を変えてトンネルのような屋根のある空間に滑り込む。
待機していたスーツ姿の若い陰陽師が目配せを交わして鬼島の代わりに進み出た。
垂れ込める黒髪が檻のように陰を落とす。
怪異は屋根から伸びる電飾を指三本で引きちぎり、割れた電球の破片が煌めいてパラパラと落下した。
その衝撃で花やしきを取り囲む遊具のレールがひしゃげた。
「馬鹿みてえなサイズだ」
男は作り笑いを浮かべて、麻雀牌を模した耳飾りに触れた。
「
光の円盤が飛び上がり、巨大な拳の軌道を逸らして爆発する。怯んだ怪異を円盤から放たれた熱線が追撃した。
漏れた光の眩しさに鬼島が目を瞑る。
「新しい怪異だか何かだっけ? 俺も新しい陰陽師だからさ。
出現した白い壁が巨体に激突する。
「
男の声に合わせて複雑な文様が空に浮かび上がる。刻印が杭のような光の矢を放ち、怪異の全身に突き刺さった。嫌がる子どものように帽子を両手で掴み、深く被る座敷わらしの間合いに光球が飛び込む。
「
爆風が空を焼いた。剥がれた肉片が黒く焦げて剥離する。
怪異が苦痛と怒りの咆哮を上げた。音の質量だけで花やしきを取り囲むレールがたわみ、砕けた鉄骨が降る。
つんざくような音響に鬼島と陰陽師は耳を塞いだ。
「まだ死なねえのかよ!」
視界が急に晴れ、真っ赤な空が頭上に広がる。
呆然とする鬼島の上を焦げついた指が蠢き、コンクリートの天井を砕いてめくり上げた。
「嘘だろ……」
薄紙を剥がすように死角が取り払われ、巨大な女が覗き込む。歯の隙間から硝煙に似た匂いの煙が漏れていた。
「あなたは違う……」
鬼島が銃を構えるより早く、開いた手が陰陽師を掴み宙に吊り上げた。
足をばたつかせる男の身体をぎりぎりと締め付ける指の隙間から軋むような音がした。
「あなたはそう……? 迎えに来てくれたの……?」
銃弾が陰陽師を捉える手を叩いた。
怪異は鬼島に赤い双眸で睥睨し、掴んだ陰陽師を盾にするようにこちらに向けた。
「離せ……」
引金にかける指が震える。手の中の男が呻きを上げる。
鬼島が片手で銃を構えながら、もう片方の手で胸ポケットに隠した針を探ったときだった。
一条の流星が弧を描いて門を超えた直後、鋼鉄の階段を踏みしだくようなけたたましい音が響いた。
飛び込んだ火球が園内を取り囲むジェットコースターのレールに乗り、高速で周遊する。
赤い軌道が幾重にも円を描いた。
怪異が拳の中に男を捉えたまま注意を向ける。
炎の車輪に追突されたコースターが弾かれて発車した。
レールの途中で止まった炎を置き去りに、燃え移ったコースターは火を纏って加速する。
先頭車両から黒い影が跳躍した。
影が滞空し、トレンチコートの裾と長ドスの閃きが翻る。
落下の速度と合わせて振り抜かれた刃は巨大な四本の指を切り裂き、血を空に塗り広げた。
離れた手から落下した陰陽師を空中で天丸が受け止めて着地する。
一拍遅れて擦り切れた革靴が地面を叩いた。
「情けねえな、ガキに振られたのかよ」
「浅緋……」
鬼島は指先の針から手を離し、わずかに目を伏せてから顔を上げた。
「ああ、しくじった。悪いが手伝ってくれ」
空気を振動させる慟哭とともに、赤い背景に巨体の影が再び伸びる。
長ドスを背負った浅緋が獰猛な笑みを浮かべた。
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