花、恋、遊園地

「子どものお遊びだね」

 窓いっぱいに反射する夕陽で背を染めた八坂やさかが机に並んだサンダルとゴム毬の残骸を見下ろした。



「今回の敵の拠点は浅草花やしきかと推測します。お化け屋敷に本物の幽霊が出るとの怪談もありますし、置いてけぼりの本所とも近い。噂を媒介にするには格好の場かと」

 纏依まといが後ろ手に手を組んで言う。

 鬼島きじま浅緋あさひはその後ろに立ち、静まり返った東京人妖協会の事務室を射抜く赤い陽光を見ていた。


「もう調査を送ったけど駄目だったんだ。結界は目に見えないのに足を踏み入れることもできなかったって」

 八坂は可笑しげに笑う。

「でも、協会の陰陽師のひとりが今有給でね、偶然花やしきに子どもを連れて行ってたんだって。何の問題もなく入場できて一日遊んできたそうだよ」

 纏依は肩を竦めた。

「今度の敵は相当臆病みたい。敵意がある者や正体を暴こうとする者だけが近づけない結界かな……」


 八坂は手を打ってから鬼島に視線を向けた。

「鬼島くん、最近働きづめだったでしょう。協会のお金で一日遊ぶ気はない?」

 鬼島は溜息交じりに返す。

「そういう任務、ですよね」

「鋭いね、長生きするよ」



 ***



 浅草寺の裏を抜け、鉄筋のビルと古風な土産物屋が並ぶ奇妙な通りの奥に浅草花やしきがある。

 漆喰塗りの城を模した門の上から、黄色の尖塔のような絶叫マシンの影と子どもの嬌声が地上まで届いていた。



「すごい、店長、レールの上を船みたいなのが走ってますよ! ヘリコプターも! 一時間は見てられますね!」

 青と白のギンガムチェックのワンピースの裾を揺らして氷下魚こまいが跳ねる。

「本題忘れてねえだろうな……」

「任務ですよね、任務!」

 鬼島の苦い表情も意に介さず氷下魚は子どものように入場口の周りを駆け回った。


「そのくらいでいいんだよ。今日の仕事は楽しむことが前提だから」

 静かな声に顔を上げると、影を切り取ったような長髪を下ろし、肩から袖までが透ける黒いブラウスとスカートを纏った八坂が佇んでいた。


 氷下魚が駆け寄って恥ずかしそうに俯く。

「髪下ろしてるの初めて見ました。その、綺麗ですね」

「ありがとう。氷下魚ちゃんも可愛いね。鬼島くんの私服を見たのは初めて」

 鬼島はカーキ色のシャツで汗を拭って曖昧に会釈した。


「問題はヒダルガミだけれど……」

 八坂の視線から鬼島は顔を背ける。

「一応、俺の服を貸しました」

「大丈夫そう?」

「前科十犯に見えるところから五犯くらいにはなったと思います」

「四捨五入したら一緒だね。で、彼は?」

「後ろにいます」


「いつもコートとドスで見分けてんのか」

 黒いTシャツにスキニージーンズ姿の浅緋が車止めにもたれて不機嫌そうに言った。

「服がデケえよ、ずり落ちそうだ」

「我慢しろ、それで一番小さい」

 鬼島は浅緋の背を叩いて姿勢を正させる。


「じゃあ、行こうか」

 八坂は微笑んで四枚のチケットを出した。先に門をくぐったふたりの背を見つめて、氷下魚が浅緋に小さく呟いた。

「八坂さんっていくつでしょう。やっぱり大人の女のひとのほうがいいのかな……」

「人間の男は若い方がいいんじゃねえのか」

「店長はそういうひとじゃないと思います……」

「何で毎回俺に聞くんだよ」

 浅緋が門をくぐると一瞬静電気のようなものが走った。無意識に帯刀していない腰に手をやったが、宙を掻いただけだった。



 狭い園内にレトロな遊具がひしめく様はおもちゃ箱をひっくり返したようだった。


 白鳥型の乗り物が温く湯気の立つ水の中を周回し、メリーゴーランドから軽薄な電子音が流れる。

 家族連れやカップルの間をパンダの機械が緩慢に歩んでいた。


「店長、何に乗りますか? 私、お化け屋敷以外なら何でもいいです」

「妖怪のくせに」

「妖怪と幽霊は違います!」

「わかったから引っ張るなよ」

 鬼島は氷下魚に袖を掴まれて人混みの方へ引きずられていった。


 園内をぐるりと囲むレールから垂れる海賊船型の乗り物から身を乗り出した子どもと目が合って、浅緋は舌打ちした。

「ジャリばっかだ」

 昭和の木造家屋のような乗り場から覗く、真っ赤なジェットコースターの最前列で手を振る氷下魚と全てを諦めた表情をした鬼島が見えた。


 けたたましく駆け抜けるジェットコースターの音が頭蓋を揺らす。

 八坂は正午の陽光が眩しい空に目を細めた。

「お前は乗らねえのか」

「私まで仕事を忘れたら困るでしょ」

 ポケットに手を突っ込んだ浅緋を八坂がじっと見つめる。

「人間みたいだね」

「仕事に集中しな」

 浅緋は目を逸らした。


 賑やかな園内に不穏な影はない。だが、言いようのない違和感が漂っている。

 もう一度空を見上げると、千切れた雲を攪拌するようにカラフルな観覧車が回っていた。



 汗で貼りついた前髪を払いながら笑う氷下魚と疲れ果てた鬼島が降りてくる。

「死人みてえな面だな」

 浅緋の声にもくたびれた表情しか返ってこない。

「お疲れ様、少し休憩する?」

 八坂は両手にふたつずつクレープを握っていた。熱気で生クリームが垂れ落ち、鬼島は慌てて受け取った。



 四人が喧騒から逃げるように園の奥に足を進めると、日陰に日本庭園に似た一角があった。朱塗りの橋と灯籠を覆い隠す木々の向こうに滝が流れる人工の池が見える。


「しあわせ橋っていうんだって。振り返らずに渡り切ると願いが叶うって、よくある話だね」

 はしゃいで辺りを見回していた氷下魚は「もう駄目ですね」と肩を落とす。八坂が苦笑した。


 鬼島と氷下魚は花やしきの歴史を記す立て看板の前で足を止めていた。

 ふたりを置いて歩む八坂の影を浅緋が踏む。

「陰陽師が迷信か?」

「たまにはね」

「願いっての当ててやろうか。悪しき妖怪の根絶、だろ」

 八坂の背が揺れ、微笑したのがわかった。

「お前の人生ってもんはねえのかよ」


 橋を渡りきった八坂が振り返った。

「溶けてるよ」

 浅緋はクレープを見下ろす。薄い生地の中でカラースプレーをまぶした赤いシロップが血のように光を弛ませた。

「ガキの玩具みてえな食いモンだな」

 八坂が浅緋の手を掴み、そっと唇を近づけて生クリームのついた指ごと齧った。

「……俺みてえなことしやがる」

「ヒダルガミから奪えるのは私だけ」

 浅緋は薬でも飲むように一息で残りのクレープを食い尽くした。



 子どもたちの声は遠くぼやけて滝の音しか聞こえない。木々の隙間から赤と橙の観覧車が地上へ降りていくのが見える。


 クレープの包み紙を畳みながら氷下魚は看板の文字を読む鬼島を盗み見た。

「私、人生で遊園地に来たのこれで二度目です。お母さんがいた頃一度だけ連れて行ってもらって」

「俺もそうだな」

「そういえば店長の子どもの頃の話聞いたことないです」

「うちがここと同じくらいデカかった」

 氷下魚が小さく目を開く。


「鬼の家系って言っただろ。昔はろくでもねえことで稼いでたらしいが今じゃ名家気取りだ。ほとんど自由はなかったな。やっと友だちができて遊べるようになって……それからすぐ除霊隊に入った。子ども時代なんて呼べるのは少しのもんだ」

「そうだったんですか……」

 水中の鯉が跳ね、飛沫が頰を叩く。


「……これからですよ、楽しいこといっぱいしましょう! 私でよければ、今度は、仕事じゃなく」

 氷下魚の手に冷たい指先が絡んだ。彼女は息を呑み、目を瞑る。

「あの、そういうのじゃなく、そういうのなんですが、もっと段階というか」


「何だ?」

 目を開けると、鬼島の両手は下ろしてある。

「え……じゃあ……」

 右手を見知らぬ少女が握っていた。

 氷下魚は絶叫した。



 麦わら帽子と白いワンピースの少女が後ろに倒れた氷下魚を見下ろしていた。

「どうした……迷子か?」

 氷下魚と少女を見比べながら困惑気味に鬼島が歩み寄る。

「出られないの」

「出られない?」

 鬼島は少女に視線を合わせて屈む。帽子のひさしの下で影を作った長い睫毛が瞬いた。


「怖いひとがいっぱい来て……隠れようと思ったの」

「不審者がいたってことでしょうか?」

 立ち上がった氷下魚がスカートの埃を払う。


「お父さんかお母さんは? 係のひとのところに行くか?」

 少女は鬼島が差し出した手を握った。汗ばんでいたが冷たい小さな手だった。鬼島の指の感触を確かめるように何度か握り、手を離した。

「いい、迎えに来てくれるって言ってたから」

 麦わら帽子に結んだ白いリボンが風に揺れた。



「お前ら、ずっとそこにいるつもりか」

 浅緋が地面の砂利を蹴り飛ばしながら近づいてくる。

「ああ、今子どもが……」

 鬼島が振り返ったとき、少女は跡形もなく消えていた。氷下魚の方を見たが知らないと首を振る。

「花やしきの幽霊、か……」

 鬼島は呟いて立ち上がった。頭と首筋をじりじりと焼く日差しに目眩がする。


 遊具の回る音と楽しげな声の中を黄色の風船が揺蕩い、ちょうど頂上へ登った紫の観覧車と重なった。



 日が落ちて喫茶「瑞祥」に戻った鬼島たちを留守番の妖怪たちが出迎える。


「楽しんできた?」

 椿希つばきに土産の袋を押し付け、鬼島は疲れ果てたように肩を回した。

「はい! ジェットコースターに乗ってクレープ食べて、あと星型の乗り物が子ども向けかと思ったら意外と怖くて!」


 まだはしゃいでいる氷下魚の脇をすり抜けた冬瓜とうりが大げさに声を上げた。

「誰かとも思ったらヒダルガミかよ」

「お前らマジで服で見分けてんのか。それより手前はどこに行ったんだよ」

「女の子の予定が気になるんですか?嫌だあ」

 しなを作る冬瓜の膝を蹴り、浅緋は店に置いてあった長ドスを手に取る。


「メリーゴーランドは点検中で乗れなくて……あと、次は観覧車にも乗りたいです!」

 氷下魚の言葉に背を丸めて酒を飲んでいた天丸てんまるが眉をひそめた。

「お前たち、本当に浅草に行ったのか?」

「はい、行きましたけど……」

 天丸の片目が細くなる。

「花やしきに観覧車はないぞ」


 鬼島が小さく息を呑んだ。門の外からあれほど高さのある観覧車が見えないはずがない。


「八坂に知らせろ。あそこ全部がとっくに異界だったってことだ。敵の巣穴で一日遊んでたってことだぜ」

 浅緋が鞘から刃を抜き、輝きを確かめる。


 青ざめた氷下魚の横で、鬼島は少女の指の冷たさが残る手を見下ろした。

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