第6話2.6 領都へは、簡単にはいけないようです
翌朝早くから俺達は車上の人となっていた。馬車の周りには父さん母さんたちに街道警備隊十騎を含めた騎馬が並走している。
「へっへー。アル君の横」
一昨日は御者をしていたラスティ先生が、今日は俺の隣に座っていた。森人族の集落から一人追加となった恐らく女性の人が、御者を引き受けてくれたおかげだ。
その先生が嬉しそうに俺の腕を抱きしめてくる。さらには頭まで俺の肩に置いてきた。
なんというか行動に一切の躊躇がない。10歳を超えてからは恥ずかしがる俺に配慮したのか、あまりこういう行為をしなくなっていたのに。
――中身がいい大人だと思って遠慮するのを止めた?
先生の綺麗な金髪から漂う甘い香りが鼻をくすぐる中で、どうやって止めようかと思い悩んでいると、反対側の腕を掴む手があった。
「あたしも隣です」
一昨日に引き続き隣に座るサーヤだった。
そのサーヤが、ずいっと俺との間にあった隙間を詰めて腕を抱きしめてきた。さらにラスティ先生と同じように頭を俺の肩に置く。
サーヤの狐耳が頬をくすぐる中、俺は思いっきり困惑していた。
「えっと、サーヤ、どうしたの?」
サーヤもサーヤでここ数年、体の成長と共に恥ずかしくなったのかベタベタしなくなっていたから。
「理由がないと、駄目です?」
ラスティ先生を余裕で超える膨らみで俺の腕を完全に包み込んだサーヤから寂しそうな声が聞こえる。
俺がなんと返そうか悩んでいると、向かいの席から声が届いた。
「両手に花で、鼻の下伸ばして、いい御身分ね。アル兄さん」
目を細め不機嫌を隠そうともしないシェールだった。
「え! いや、ほら、二人とも離れて、離れて! 本読んでるのにうるさいってシェールが怒ってるから」
「仕方ないわね~」
「うーです~」
不承不承と言った感じで頭を上げてを離してくれる二人。だが座った位置は変えない。
馬車が揺れるたびに巨乳と爆乳が俺の腕に当たっていた。
――余計に気になる……
たまに目を上げるシェールに引きつらせながらも笑みを返しているところで、馬車のスピードが落ちて止まりかけている事に気が付いた。
「皆さま、申し訳ございません。少し先に魔獣が出ているそうです。しばらく止まりますが、決して外に出てはいけません」
御者をしてくれているマリーゴールドさんから声が掛かる。しばらくして馬車は止まった。
停車後、しばらくはバタバタしていた。だが段々と、それも落ち着き物音ひとつしなくなった頃――
『ぎゃおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ』
大気を劈くような鳴き声が響き渡った。
「なんだ⁉」
俺の声に反応するようにラスティ先生が馬車の扉を開ける。
「浅い森では聞かない鳴き声ね。少し危ないかもしれないから、私も行くわ。マリーには周りを警戒するように言っとくから、皆は大人しくしていてね。特にアル君。絶対に、ぜったいに! 来ちゃだめよ」
前半は周りを見て、そして後半は俺の顔をじっと見て物凄く含みのある言葉を告げてラスティ先生は馬車から出て行った。
外に出たラスティ先生がマリーゴールドさんと少し話をして離れてく。その足音が聞こえなくなった頃、シェールが本から目を上げた。
「アル兄さん、行くの」
「ああ、行ってくるよ」
そりゃあ、行くでしょ。ラスティ先生のあの言い方。はっきり言って、来て、と言っているようなものだ。
「ふぅ~ん、気を付けてね」
シェールは、なんだかんだ言って優しい子だ。心配してくれているらしい。遅れて。
「任せた!」
「ガンバです!」
「ん!」
という、応援の声も聞こえてくる。
「うん、任された」
短く答えた俺は外のマリーゴールドさんの気配を探り動向を確かめた。
マリーゴールドさんはラスティ先生の言いつけ通り馬車の前方を警戒していた。その隙に、そっと茂みに駆け込む。
そして、変身だ。
収納空間から人形と仮面と刀とマントを取り出していそいそと着込んでいく。
しかし、いつも思うのだが、傍から見たら実に情けない格好だ。これでは一瞬で変身するヒーローではなく、梅干し食べて着替える、あの変人みたいではないか。
――恥ずかしいから人には見せられないなぁ
一人顔が熱くなるのを感じながら着替えを終えた俺は林の中を魔物の声の方へと走り出した。
進んだ先で見えたのは大人の倍はあろうかという牙虎と、それに対峙し戦うワーグさん達一行だった。
「うらぁ!」
ワーグさんが気合一発、自慢の斧を振る。牙虎は、ひらりと飛び跳ね避ける。そこにラスティ先生の理術『風矢』が飛来して見事肩口に突き刺さった。
牙虎の着地の瞬間を狙った見事な連携攻撃だ。
『きゅぉぉぉぉ!』
痛みで辛そうな声を上げる牙虎だが、そこは魔獣、やられてばかりではない。
突如、ワーグさんへ向け駆け出した。
「なめるな!」
直線的に駆けてくる牙虎にワーグさんは横なぎに斧を振るう――が、斧は空を切った。斧が当たる直前で、牙虎が跳躍したのだ。ワーグさんの頭上を越えて着地する牙虎。その先には理力を練る母さんがいた。
目前に現れた牙虎に慌てる母さん――ではなかった。
真正面から牙虎に鋭い視線を向ける母さん。背後には青い炎が浮かんでいた。
『ぎゃお!』
警戒した鳴き声を出す牙虎。そんな牙虎の前に一人の剣士が躍り出た。母さんを守るかのように。
その剣士を見た俺は驚かずにはいられなかった。
なんと、その剣士は――父さんだった……。
確かに今回の父さんは鎧に長剣とまるで騎士のような恰好だった。
――恰好だけだと思ってた……ごめん……
領主たる者へのお仕着せだと思っていた俺は密かに謝るしかなかった。
なにしろ書類仕事しているか、本読んでいるか、あと熱く本の話をしているか、そんな姿しか思いつかない父さんが、剣を構え、しかも牙虎に向かって突き出しているのだ。
一人普段とのギャップに苦しんでいると
『ぎゅぉ、きゅぉぉぉぉ!』
牙虎の苦しそうな声が響いた。
父さんの剣が牙虎の右目を傷つけたのだ。『武』の真龍に嫌と言うほど鍛えられた俺から見ても危なげない剣筋で。
目をつぶされたのだ。牙虎は、かなりの痛手だろう。
まもなく決着だな、と思い始めた俺の背中に寒気が走った。目の前の牙虎なんかよりもっと大きく危険な気配を感じて。
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