歩道橋

 中学の頃は使用制限があった暖房も、高校では一日中つけられている。でもその分そこから外に出た時の寒さというのがまた身に染みてつらい。タイツは穿いていてるものの、タイツ自体が冷めきってしまってもう膝から先の感覚がなくなっている。それでも今日はいつものようにそそくさと家に帰ったりはしない。校門の前の歩道橋の下、ここが彼女との約束の場所だった。

 彼女はいわゆる優等生だ。頭の良さははさることながら、手芸部では部長をしているし、今年は学級委員も自ら立候補してやっている。そんな彼女だから放課後はいろんな仕事をしていて学校から出てくるのが遅い。そのことを私はちゃんと知っているから、寒空のもとでまたクマのぬいぐるみを握って時間が少しずつ過ぎるのを待っていた。

 このクマのぬいぐるみは、彼女と――優香と初めて遊園地に行ったときに買ったものだ。優香とは小学校からの付き合いで、会った当初くらいからずっと仲が良かった。クラスの大多数を占める騒がしい子たちは騒がしい子たち同士で遊んでいて、物静かな方だった私たちは自然と二人でいることが多くなった。休み時間も二人でトランプをして遊び、放課後は他愛ない話をしながら通学路を歩いた。

 そんな私たちだったけれど、二人で遠出することはあまりなかった。というか、学校だけで会うような関係だったのでそれ以外の日にわざわざ会ったりはしなかったのだ。そういう理由があって、遊園地も初めて二人で行ったのは中二のときだった。小学生の頃は何とも思わなかったけど、久しぶりに見る優香の私服姿に思わず見入ってしまった。彼女は小学校の頃よりもずっと大人っぽくなっていて、気恥ずかしくてろくに目を合わせることもままならなかった。でも遊具やアトラクションで遊ぶときはあの頃の優香そのままで、それはそれで懐かしさと安心で胸がいっぱいになった。

 どうせ珍しく遠くまで遊びに来たのだからと、優香はおそろいのキーホルダーを買おうと言った。私はそれに両手を挙げて大賛成をして、どれにしようか真剣に吟味した。三十分以上お店をまわった挙句、見つけたのが色違いの二つのクマだった。赤と青、二つで一つな感じがして、見つけたときにこれだと思った。優香も気に入ってくれたみたいで、二人ともその場で持っていたカバンにつけて記念写真を撮った。青が優香ので、赤が私の。ずっと一緒だよ、そんなようなことを別れ際に言ったような気がする。

 その直後くらいからだった。私が彼女を恋愛対象として意識し始めたのは。クマのぬいぐるみを見ると、その度にその日の優香のことが鮮明に思い出された。最初こそ会いたいな、話をしたいな、というような比較的普通のことだけだった。でも、ふとした瞬間に「キスをしたい」が頭をよぎってハッとした。それまで私自身、優香のことを普通の友達だと思っていたしそうだと信じて疑わなかってこなかった。そんな考えが自分の頭から飛び出してくるとは夢にも思っていなかった。それから一週間ほど考えて考えて、悩みに悩みぬいた末に、これはもしかしたら恋なのかもしれないと思い始めた。考えてみればそれまで男に興味を持ったことは皆無で、アイドルすら男のグループには見向きもしてこなかった。逆に女の子のアイドルグループに対しては変に興味があって、写真集を買って楽しんでいたりもした。これはそういうことなのかもしれないと自分の中で飲みこめるようになったときには、既に二年生の冬が終わろうとしていた。

 それからというもの、私は優香との距離が分からなくなってしまった。それまでは平気で同じ飲み物を分け合っていたのに、変に意識してしまって差し出されても断るようになった。触れ合うのすら恥ずかしくて、手を繋ぐことはおろかたまたま手がぶつかるようなことさえなかった。そういう端々から何かを感じ取ったのか、優香は以前ほどたくさん話しかけてはこなくなった。一緒に帰る日が週に三日、二日と減っていき、卒業するときには月に二、三回程度にまで減っていた。

 高校も私が優香を追いかけるようにして同じ高校に来たけれど、会える日はさらにぐっと減った。クラスも違い、優香は様々な仕事で忙しい。でもそんな中でも優香はこまめに連絡を取ってくれていて、月に一回は必ず二人でお茶をするようにしていた。その際には決まって、私はこの歩道橋の下で待つのだった。

「はぁ……」

 溜息をつくと息が白く見える。来週あたりは雪が降るかもしれない。十二月に降ることは滅多にないけど、降るときはたくさん降るものだから困る。ホワイトクリスマスなんて言ってしまえば綺麗に感じるけど、国道が立ち往生の車で埋め尽くされてお祝いどころじゃないのが実際のところだ。バイパスの高架橋に上がるところで一台が滑ると、もうどうにもならない。人がいくら押したってタイヤがどんどんめり込んで泥沼にハマる。滑って滑って、最後は落ちてしまう。

 私が今焦っているのも、主にそれが原因だった。優香は頭がいいから、当然のように国立大学を受ける。二者面談で私もそこに行くのだと担任に言ったら冗談はよせ、と笑われた。頭にきて直後の模試で希望に入れてみたところ、受験者の中で栄えあるワースト三位を記録していた。高校入試はある程度頑張ればついていくことができた――というか、優香がそんなにバカ高い学校に行かなかったからなんとかなった。でも大学はそうはいかない。優香もここで手を抜くわけにはいかないだろうし、だからこそ国立を目指しているのだと思う。優香でさえ、模試の評価はCらしい。そんなところに私が受かる確率なんて、万に一つもなかった。そんなこと、考えなくても誰にでも分かることだった。雪の坂道を一生懸命登っている優香に対して、チェーンをつけていない原付ふぜいが登ることなんて、ましてや追い付くことなんて、絶対にできないのだ。滑って滑って、落ちるだけだ。

 優香と離れ離れになってしまう。それは小学校に上がって以来初めてのことだった。今までは何もしなくても、会う頻度は少ないと言えど同じ校舎で生活することができた。当たり前が当たり前でなくなってしまうことに私は漠然とした不安と焦燥感に駆られた。どうやら私という人間は優香がいないとまともに生きていけないらしかった。東京の大学ならプライベートで会うことも簡単だろうが、優香が受けるのは地方大。二人が何とかして日程を調整しなければみすみす会うことすら叶わない距離だ。電話するにしたって、今までほとんど電話なんかしたことなかったんだから、突然電話しようなんて私が言いだしてもさすがに不自然に思われるだろう。他にも近くの別の大学を受けたらどうかとか、東京の大学を受けるように懇願しようかとか色んなことを考えてはみても、全てが現実味のない案ばかりだった。そうして紆余曲折を経て、私のもとに優香を引き留めておくためには本当のことを打ち明けるしかないんじゃないかと、そういう考えに至ったのだ。

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