第10話 猫の宝、猫の楽園
赤岩尾神社を後にすると、すっかり日が西に傾いている。ご主人は「まだ寄りたいところがあるんだけど…」とぶつぶつ言っているけれど、そのうちに今日の宿にたどり着いてしまった。
自炊の宿なので、ご主人たちは途中で食料を補充して、囲炉裏で簡単な鍋を楽しんでいる。ご主人たちは家に残してきた俺たちのことが気にかかるようで、俺たちの名前が何度も会話に出てくる。俺たちは大丈夫だよ、1日くらいなら。気楽にやっている。形代の俺たちも、意識を家の自分たちに戻して、食事を補給する。
次の日の朝、ご主人たちは朝ご飯を食べ終えると、車に乗って出発した。千方窟に行く前に、もう一か所行っておきたいところがあるという。それが「逆柳」という場所で、この宿の山向こう、床並の集落にある。
そこには、「血首井戸」という千方将軍が敵の首を洗ったと伝わる場所があった。なんとも血なまぐさい名前だ。川底にポットホール、甌穴(おうけつ)という丸い穴ができていて、それが首を洗うのにちょうどいいくらいの大きさだからそんな伝説ができたそうだが、おどろおどろしくてちょっと怖い。
逆柳の近くにある萬松寺には、千方が討った敵の首の化身という雨乞い石もある。甌穴のすぐそばにある「斗戔淵」は、千方が一斗の酒が入る大杯を洗ったところ。このあたりは、どこもかしこも、千方伝説でいっぱいだ。
そしてやっぱりここにも、猫忍は現れた。
真っ白ですらりとしたメス猫が、きれいな声でささやく。
「話は聞いているわ。私のところまで来れたら、鍵をあげてもいいわ」
白猫は流れ落ちる滝の向こう側にいた。イヅミがじとっとした目で白猫をにらむと、さっさと水遁の術を使って滝の向こうに渡り、白猫から奪うようにして玉を持って帰ってきた。
「あたちも今に、あんなふうにすらりとした手足になるんでち」
どうも白猫にライバル心を燃やしている。イヅミは真ん丸の肉球から爪を出し入れしながら、「すらりとするでち」と何度もつぶやいている。その短い手足がかわいいのに、とはさすがに俺も言えずに、黙っていた。
これで、鍵は4つ。四鬼を封じた猫が残した宝だから、きっと鍵はこれだけなんだろう。確かなことはわからない。ご主人たちはご主人たちで、希望の観光地をすべて巡れたと喜んでいる。
残すところは最後の目的地、「千方窟」だ。
「山の中だからねぇ。大変そうだな~と思って後回しにしていたけれど、ここまで来たら行かなきゃだね」
ご主人はそう言いながら、泊まっていた宿に戻り、もう一度車を停めた。
実はご主人たちは昨夜、宿の主に千方窟への道を尋ねていた。親切な主は、そこまでの道を案内してくれるという。「春にはね、千方ウォークをしていて、今も地元の者には千方将軍は身近な存在なんです」と宿の主。やっぱり千方将軍は地元で愛される存在なんだ。
ご主人が宿の主に声を掛けると、主は素早く出てきて軽トラに乗り込んだ。ご主人の車は、細道を行く軽トラの後をひたすらについていく。やがて軽トラが山の中の駐車場に停まり、宿の主はそこから延びる細い道を指さしていた。ここからは徒歩になる。
宿の主の案内で延々と山道を登っていくと、簡素な木の鳥居が現れた。その向こうに、巨大な石の柱が城壁のようにそびえたっている。これが、千方窟。
「千方を守った4匹の鬼は、それぞれ山伏たちが編成した攻撃集団だったのでは、といわれております。このあたりの山の中には、かつて、山岳信仰を信じる者たちが多く住んでいたそうで、その戦術が伊賀忍術の発祥となったのでは、とも考えられているようです」
親切に宿のご主人が説明をしてくださる。その後も、大門跡や千方明神を案内してもらいながら、風穴の前にやってきた。
「この風穴が四鬼の落ちた穴といわれています。紀朝雄が≪草も木も 我が大君の国なれば いづくか鬼の 棲なるべし≫と和歌を詠むと、4匹の鬼は天皇に背く身であることを恥じ、本物の鬼になって奈落の底に沈んでいったといわれています。…実際には、千方城の非常用脱出口だったのでは? ともいわれているんですよ」
と、宿のご主人。
「和歌で鬼をやっつけるなんて、雅ですね」と我がご主人はきゃっきゃと喜んでいる。
「来る途中、種生神社にも寄ってきたんですよ。鬼を退治したヒーローの紀朝雄のことは忘れられて、千方将軍は今も里の方に好かれているとは、歴史の皮肉と言いますか…」
宿のご主人は、そう聞いてにこっとほほ笑んだ。
「千方将軍は本当に実在したのか、その真偽のほどはわかりません。でも、ここは伊賀ですから。忍者ゆかりの土地ですから、謎めいた存在の千方将軍に、皆、心惹かれるんですよ」
ご主人たちと宿の方は、和やかに千方将軍を偲んでいる。
その間に俺たちは、4つの鍵を持ち、風穴に向かった。ハナちゃんはご主人の腕の中から離れないから、実際には俺とイヅミだけが風穴の前に立った。
「千方将軍が好かれているのは、この地域の人たちにとって良い人だったからでち。このあたりに出た盗賊を倒したという伝説も残るんでちが、その伝説は化け猫退治としても語られているでち」
「化け猫!?」
「千方将軍が退治したのが盗賊ではなく、化け猫だという話もあるんでち。もしかしたら、千方将軍の周りに猫の影があったからそんな話になったんではと、猫忍は考えているでち」
「なるほど。それで、猫が主人の仇を討ったという伝説も生まれたのか」
「その伝説は猫ちか知らない伝説でちけどね」
「さて、にいやん」とイヅミは風穴を指さす。
「この話には、猫忍しか知らない続きがあるでち。…四鬼は、千方将軍を裏切って、この風穴から逃げ延び、そして千方将軍は死んでしまった。それを許せなかった千方将軍の猫は、将軍の仇を討とうと、自分の子供たちを使って四鬼をこの風穴に呼び集め、風穴から別の世界に鬼を送って封じこめた。そのとき、四鬼が千方将軍から奪った宝も取り返した。…その宝が、この風穴の奥の祠にある、と言われてまち」
どうしてイヅミはこんなにいろいろなことに詳しいんだろう。俺は不思議に思いながらも、
「よし、じゃあ行こう。イヅミは覚悟ができているか?」
と聞いた。
「ここまで来たんでちからね」
イヅミは当然という顔で、風穴の方に一歩足を踏み出した。
その時、ハナちゃんの「ぎゃあ!」という叫び声が聞こえた。慌てて引き返すと、ご主人の腕の中でハナちゃんが泣き喚いていた。特に異変はなく、どうやら俺たちを呼び戻すために大声を出したようだった。ご主人はハナちゃんの端切れ人形をなだめながら、俺たちの端切れ人形に声を掛けた。
「ねえ、君たち。危ないことをしようとしていないかい? 君たちが危険な目に合えば、僕たちはとても悲しい。本当に、気を付けて」
いつから気づいていたのか、ご主人は端切れ人形が俺たちだとわかっていたようだ。そりゃあ、そうか。勝手に動く端切れ人形があるわけない。てっきり、見えていないのかと思っていたけれど、ご主人の優しい気遣いだったようだ。
「ご主人はみんな分かってるわ。それで、心配してたからあんたたちを呼び戻してあげたの。気をつけなさいよ。ご主人は、“サスケが宇宙に帰っちゃう”と心配しているみたいよ。ちゃんと帰ってきなさいね」
と、ハナちゃん。そうか、ご主人は俺のことを宇宙人だと、本気で思っているのか。大丈夫だよご主人、たぶん俺は宇宙人ではないし、ただの猫だ。だから、ちゃんと無事で帰ってくるね。
俺とイヅミは、4つの鍵を持って風穴の中に入った。奥に進むと、やがて小さな祠が現れ、扉の前には大きな錠前がかかっていた。
「からくり錠前でち。あたち、得意なんでち」
と言ってイヅミは、「水は木を生む、木は火を生む、火は土を生む、土は金を生む、金は水を生む」とつぶやきながら、かちゃかちゃやっている。それを聞きながら、不思議に思った。
「水、木、火、土、金… 俺たちが持っているカギは4つじゃなかった? 敢国神社で金の鍵、大村神社で土の鍵、赤岩尾神社で風の鍵、床並川で水の鍵。木の鍵がないよ?」
錠前をかちゃかちゃする手を一瞬止めて、イヅミは俺の方を見ずに言った。
「…父やんが持っていたんでち。神洞子のじいちゃん猫が持っていたそうでちよ」
そしてまた錠前をかちゃかちゃやり始めた。
「もしかして… イヅミは、鍵を集めるって知っていたのか! ご主人たちにいろいろな場所に立ち寄らせたのも、お前の策略か?? …どうして先に言わないかなぁ」
「…言ってしまうと、集めるものがわかってしまっておもしろくないでちからね… さあ、開いたでち。これが、猫の宝でち」
祠の中にあったのは、小さな猫の首輪だった。組みひもで作られた、古びた首輪。
「首輪…? ずいぶん古い…」
俺は首輪にそっと触って、気が付いた。
「そうか、これは千方将軍からもらったものなんだな?」
イヅミは深くうなずいた。
「そうでち。千方将軍の猫は、将軍の飼い猫。千方将軍にもらったこの首輪を大切にしていたのに、四鬼にとられてしまって、千方将軍の仇を討つとともにこの首輪を取り返したんでち」
首輪は、今はもう古びているけれど、金糸銀糸を織り込んだ、高級そうな組み紐で作られていた。小さな翡翠が埋め込まれていて、もしかしたら四鬼は「金になる」とでも思ったのかもしれない。
俺は首輪を眺めながらイヅミに言った。
「これが、猫の宝なのか…? 宝は、千方将軍の猫の宝物…?」
イヅミは頷く。
「そうみたいでちね。千方将軍の猫にとっての宝は、将軍がくれた首輪だった。千方将軍の仇を討って、宝物を取り戻した猫にとって、かわいがってくれた将軍との日々が、楽園だったのかもしれないでち」
…オレたちが見つけた猫の宝は、猫忍の祖が大切にしていた、主人からもらった首輪だった。
「猫は忠誠心がないとかいわれるけど、そんなことないよな」
「猫忍は忠義ものなんでち。自分の欲求にも正直でちけどね」
「こんな遠くまで猫の宝を探しに来たけど、俺にとっての宝は俺の家にあったということだな」
「気づいたことこそ、宝になるでちよ」
遠くから、ハナちゃんがぎゃあと呼ぶ声がする。千方将軍の猫の首輪を祠に戻すと、俺とイヅミは風穴を後にした。俺たちも帰ろう。俺たちの楽園に。
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