知性学論
伊藤充季
知性学論
0.
サパカルーニャ・シクロ老博士は知性学者だが、同時にすぐれたエッセイストでもあった。世間に広く知られているわけではなかったが、熱心なファンはいた。博士がこれまでに発刊してきたエッセイ集はすべてで五冊で、そのうち四冊がすでに絶版となっていた。
数か月前、そんな博士のもとに、とある出版社から小説執筆の依頼が入った。
「サパカルーニャ・シクロ博士。あなたに小説を書いていただきたいのです」
「小説? 小説というと、あの小説のことかね?」
「そうです」
「それは、頼む相手を間違えてやしないかね」
「いいえ。間違えていませんよ」
「しかし、小説など書いたこともないぞ。エッセイの依頼だったらたまに来るが、小説など一度も書いたことがない」
「博士の書く小説なら、きっと面白いと思うのですが」
「そうかね? それにしても、小説というのは、あの小説のことなんだろう?」
「そうです」
……
こういった調子の問答を何十分も繰り返した挙句、博士はしぶしぶ小説を書くことを承諾した。
「わかったよ。わかった。書きはするが、出来は保証できないぞ」
そう言いながらも、博士の頭の中はもうすでに、どんな小説を書こうかということでいっぱいだった。すでにジャンルは決まっていた。SF小説である。博士は中学生のころから、SF小説が大好きだったのだ。「小説など書いたこともない」と言い切っていた博士だったが、実は何度か書こうとしたことはあった。もちろんSF小説だったが、どれも完成させることができず、大学生のころに執筆した小説が未完に終わった時以来、小説を書くことはきっぱりとやめてしまっていたのだった。そればかりか、SFを話題にすることもその時以来やめてしまっていたので、これまでに書かれた博士のエッセイにおいて、SFに関する記述はほんの一文字すらない。
なので、博士にとって今回の依頼を受けるということは、ひとつの賭けでもあった。「出来は保証できない」というのは謙遜でも何でもなかった。自分の書いたエッセイを読み返して面白いと思うことはあったが、過去に自分が書いた未完の三文SF小説をうっかり読み返したとき、博士は三日も体調を崩したのだった。
博士はまず、テーマを考えるところから始めた。ふと、自分の小説を読み返してそこからアイデアを拾おうとしてみたが、どれもまったく使えないほどにくだらないものだったうえに、また体調を崩してしまい、過去の小説の原稿をすべて火にくべることになった。
最終的にはひとつのテーマを扱うことに落ち着いた。そのテーマとは、「知性学」である。知性学というテーマは、知性学者たる博士にとって、これ以上になく扱いやすいテーマである。しかし、知性学をどうSFに応用しようというのか? それも、博士はすでに考えていた。知性学の誕生についてのSFを書くのだ。
知性学の誕生についての問題は、長年知性学者たちを悩ませてきた最大の謎である。知性学の誕生自体は、八世紀後半ごろであるとの見方が有力である。なぜかというと、西暦七七〇年ごろを境にして、世界中の文献に、「知性学」の文字が現れ始めるからである。まだ船での移動もそんなに発達しているとはいえず、もちろんインターネットなんかがあるわけもない。そんな時代に、知性学は世界中で一気に広まり始めたとみられるのである。この謎を解き明かす手掛かりは未だに発見されていないが、博士はこの謎を題材にとって、SFを書いてみようと思い立ったのだ。
まずはこの謎を説明するための、絶対的な根拠が必要であると考えた博士は、ひとりの人物をでっちあげることにした。それは、「知性学の創始者」である。
博士のメモ帳には、こう書かれている――
・知性学の創始者が存在し、その創始者が世界中に知性学を一気に広めた
・いかにして広めたのか?
その創始者は、宇宙からやってきた。宇宙のテクノロジーをもってすれば、地球中にひとつの学問を伝えるなど、出来ないことではないだろう。
・ではなぜ、宇宙からやってきた創始者の記述がどこにも残されていないのか?
創始者が自らの手で記録を消し去ったと考えるのが自然だが、そもそも地球人に、知性学は宇宙人によってもたらされた、と気づかれないような方法をとって広めたという可能性もある
・そもそも、創始者の目的はいったい何だったのか?
知性学の普及
・知性学を広めるメリットはあるか?
あるとは思えない
……
次に博士は、創始者の「名前」を考え出すことにした。やはり、物事を説明するためには、名前を付けるのが一番先決だと考えたのである。しかし、「知性学の創始者」というあまりに謎めいた人物の名前となると、すでに地球上に存在している名前ではいけない、と考えた博士は、ある手段を思いついた。それは、まず紙に思いつくままランダムな文字列を記入し、それをインターネット検索エンジンにかけ、一件もヒットしないものを採用しよう、というものであった。
書いては検索し、書いては検索し……随分長い間つづけていたが、意外にどんな文字列でもヒットしてしまう。しかし、それでも続ける。この小説は絶対に完成させたい、というもはや願いにも似た感情のなせる技であった。そして、ついに創始者の名前が決定された。
博士のメモ帳には、こう書かれている――
・「知性学の創始者」
ヤゴアーク
綴り不明
宇宙からやってきた
……
最後に博士はタイトルを考えた。この作業に、さほど時間はかからなかった。博士は、コピー用紙の一番上に、大きくそのタイトルを書きつけた。
『知性学論』
かくして博士のSF小説、『知性学論』の外堀は埋められた。さあ、あとは執筆である……
『知性学の誕生について』 カート・ウィリアムズ
1. 始めに
知性学の誕生はいかにしてなされたのか。その研究は今まで幾度も行われてきたが、はっきりとした答えは出ていない。
少し前の話になるが、知性学者であるサパカルーニャ・シクロ博士が書いた『不確実さ』という本を読んで、興味深い記述を見つけた。刊行されてすでに結構な時間が経っている本だったが、その本の話をしている研究者を私は見たことがなかった。シクロ氏は知性学者だが、この本は雑文集といった体で、知性学についての本ではなかったので、研究者たちは見落としていたのであろう。実際私も、この本を読んだのは偶然古書店で手に取ったからであった。
その文をここに引用してみよう。
「もうずいぶん昔のことになる。題名も忘れてしまったが、私はある本を読んだ。何とそこには、かの有名な議論――知性学の誕生にまつわるあの議論である――にせまる重大な記述があった。驚くべきことに、知性学の誕生の謎についての解明と根拠、そのことがはっきりと載っていたのである。知性学の「正体」を推測したりした研究者はたくさんいた。私の知るだけでも、片方の指では数えきれないぐらいである。しかし、ここまではっきりとその正体を、またはっきりとした根拠も一緒にして断じている論を、私はその時まで見たことがなかった。
知性学についての年表なども載っていたように記憶している。しかし、やはりもうずいぶん前に私はその本をなくしてしまった。おまけに、一番重要なその論の内容を、私は忘れてしまったのである。今では、その記憶自体が私の思い違いか、夢の中の記憶と混同しているのであろうと思っているが、そうでないのならば実に惜しい体験である。しかし考えてみれば、そのような革新的な論が本当に存在するのなら、今や世間一般に知れ渡っていることであろう。そう考えると、やはりこの本に関する記憶は現実ではなく、後々になって私の脳に生じた偽物の記憶であると考えるよりほかにないのである。」 (サパカルーニャ・シクロ『不確実さ』1985年、125〜126頁)
私はこれを読んですぐにシクロ氏との接触を図った。氏に話を聞いて、その本について、端緒だけでも聞き出せるかもしれないと思ったからである。私はこの、「ある本を読んだ」という氏の記憶が偽物ではないという可能性に、一縷の望みをかけることにしたのだ。しかし、接触することは結局かなわなかった。連絡をしたその日に、シクロ氏は、急な病で亡くなってしまったのである。こうして、知性学の創始者をめぐる議論は、まだ続くことになった。もしここで氏との接触に成功していれば、もっと早く知性学の秘密は暴かれていたかもしれない。そう、知性学には公にはなっていない秘密があるのだ。本稿の目的は、まだあまり世間に知られているとは言えない、知性学という学問の内容に関する基本的な情報をわかりやすく解説すること。そして、「知性学の誕生の謎」についての有力な仮説を広めることである。
2. 知性学の概要
知性学はあまり知られている学問ではない。そして、この学問の内容そのものは、そこまで面白くもないうえに、なんの役にも立つことがないという、まさにあってもなくてもよいようなものなのだが、古くから知性学に人類が惹かれてきた理由は、学問の内容そのものよりも、この学問の誕生の謎にある。その謎の内容を簡潔に説明してみよう。
この学問が誕生したのがいつであるか、その詳しい年代は明らかになっていない。ただし、八世紀後半ごろの文献に「知性学」という文字が見えだすことから、成立は千二百年前くらいであるという説が有力である。ただし、どこから広まり始めたかということはよくわかっていない。というのも、知性学が文献にちらほらと見え始めるころ、その現象は全世界で一斉に起こったのである。インターネットがあるわけでもなく、遠隔地との情報のやり取りは難しかった時代に、世界中で一斉に広まり始めた学問。それが知性学である。そして、この出自の不明瞭さというのが、知性学者、ひいては人類にとっての永遠の謎なのである。
ここで、知性学がどういった学問なのかということを簡潔に解説しよう。
知性学の問題には決まった形式がほとんど存在しない。「問」と「答」、それに「証明」という三つの要素さえ守られていれば、あとはすべて自由である。たとえば今私が思いつきでてきとうに知性学の問題を作るとするなら、こうなる。
問 私はオガオールではない。私はコプルシュだ。では、あなたは?
答 私はググカシュです。
証明 そうなるから。
これが知性学の問題である。証明は必ず、「そうなるから」と書かなければならない。これも、知性学の数少ないルールのひとつである。この問題を呼んで、あなたはどう思われただろうか? 意味がわからないと思ったかもしれないし、面白いと思ったかもしれない。しかし、少なくともこの問題を作った私にはさっぱり意味がわかっていない。この問題はまだ、「問」に「答」える、という形式が成り立っているのでわかりやすい方だが、「問」と「答」の文章の間になんの関連性も見いだせないような場合もある。
つまり、少し前にも書いたように、知性学という学問そのものは、なんら面白くもないうえに、なんの役にも立たない、そもそも学問なのかということすら怪しい、そんな学問なのである。
この、「知性学の問題の作問について」の文書が、八世紀ごろ、世界中でいっせいに書かれたとされているのである。その内容を見てみよう。
……
・知性学について
知性学とは、学問である。ただ学問であるのみならず、立派な学問である。
・知性学の作問について
知性学の問題というのは、基本的にすべて自由である。「問」、「答」そして場合によっては、「証明」この三つの要素がそろっており、かつ作問者が「これは知性学の問題である」と主張しさえすれば、その瞬間にそれがいかなるものであろうとも知性学の問題であると認められる。証明は、必ず「そうなるから」と書かなければならない。万事は、そうなるからそうなるのであって、それ以上でも以下でもないのである……(以下略)(注・この文章は、775年ごろイングランドで書かれたとみられているものである)
……
文章表現の細かい違いはあるものの、世界中に残されている「知性学の文書」は、おおむねこのような内容である。
なぜ、このような中身のあるとは思えない、くだらない文書が、世界中で一斉にものされたのだろうか?
知性学者はしばしば、このような中身のない問題を解いて、「自分たちは学者だ」と威張っているとんでもない連中のことだ、と誤解を受けることがあるが、知性学者の主な仕事は、これまでに紹介してきた知性学にまつわる「謎」を解き明かすための調査である。
3. サパカルーニャ・シクロ博士の研究成果
最初に述べたとおり、シクロ氏は急な病のため亡くなられ、話を聞くことはかなわなかったのだが、氏の没後、思い切って氏の自宅を訪ねることにした。家のなかのどこかに、例のエッセイに登場する本がいまだにある可能性もあると考えたのだ。結果から言うと、本は見つからなかった。ただし、氏が作業を行っていたと思われる机の上に、メモ帳を見つけた。その中に手掛かりがないか、と藁にも縋るような思いで、メモ帳を開いた。そこに書かれていた文書の一部を、ここに転載しよう。
・知性学の創始者が存在し、その創始者が世界中に知性学を一気に広めた
・いかにして広めたのか?
その創始者は、宇宙からやってきた。宇宙のテクノロジーをもってすれば、地球中にひとつの学問を伝えるなど、出来ないことではないだろう。
・ではなぜ、宇宙からやってきた創始者の記述がどこにも残されていないのか?
創始者が自らの手で記録を消し去ったと考えるのが自然だが、そもそも地球人に、知性学は宇宙人によってもたらされた、と気づかれないような方法をとって広めたという可能性もある
・そもそも、創始者の目的はいったい何だったのか?
知性学の普及
・知性学を広めるメリットはあるか?
あるとは思えない
・「知性学の創始者」
ヤゴアーク
綴り不明
宇宙からやってきた
私はこれを読んで、思わず目を剥いた。シクロ氏の研究はすでに完成していたのである。しかし、氏は研究成果をまとめ終る前に急死してしまったのだ。
4. サパカルーニャ・シクロ氏の研究成果から考察する知性学の誕生
シクロ氏によれば、知性学は「ヤゴアークという人物によって、宇宙からもたらされた」。そして、「宇宙のテクノロジーを使えば、地球中に一つの学問を伝えるなどできないことではないだろう」
ここで疑問になってくるのは、「宇宙のテクノロジー」とは具体的に何なのかということに、一切の言及がないことである。そこから考えると、シクロ氏は研究の途上で、「知性学は宇宙からもたらされた」ということにまず気付き、次に「では宇宙の何者からもたらされたのか?」ということを考え――調査にいかなる手段を用いたかについては、記述がないので判然としないが――「ヤゴアーク」という名前にいたったのであろう。次に、「では、ヤゴアークはどのようなテクノロジーを用いて、ほぼ同時期に地球全体にいきわたらせるように知性学を伝えたのか?」という問題を考えたに違いない。しかし、そこで氏は用いられた「テクノロジー」が何だったのかを判明させることができなかった。もしかすると、突然亡くなられたため、研究を完遂させることができなかったのかもしれないが、研究が行き詰っていたのならば、なぜ外部に協力を求めなかったのだろうか。悔やまれるところである。
知性学は宇宙からもたらされた、という仮説を信じるならば、なぜ宇宙からやってきた創始者の記録がどこにもないのか? という疑問については、氏は「創始者が自らの手で痕跡を消し去ったと考えるのが自然だが、地球人にその存在を悟られないような方法をもって広めたという可能性もある」と書き残しているが、この説については、明確に誤りであると断じることができる。まず、氏はヤゴアークの存在にまで辿りついている。このことから、「創始者が自らの手で痕跡を消し去った」という説は否定される。もしもこの説が正しいとするならば、「創始者が自らの手で痕跡を消し去ったが、その際にミスを犯し、一部の痕跡は地球に残されてしまった」と書き直す必要があるだろう。後半部分の、「地球人にその存在を悟られないような方法をとって広めた」という説も、現にヤゴアークはシクロ氏に発見されているので、否定することができる。創始者の記録が地球上にほとんど残されていない理由については、さらなる研究が必要であろう。
そもそも、ヤゴアークの目的は何だったのか? という疑問については、「知性学の普及」というごく単純な答えを出している。では、知性学を広めるメリットはなんだったのか? という疑問については、「メリットがあるとは思えない」という答えを出している。前にも書いたように、学問の内容だけ考えれば、知性学というのは、面白くもなければ、なんの役にも立つことがない。知性学を広めるメリットというものを、創始者であるヤゴアークの立場になって考えてみても、まったく思いつかない。今のところは、「メリットがあるとは思えない」と考えるしかなさそうだが、将来的には進展がみられるかもしれない。
博士の研究成果をまとめると、こうなる。
八世紀後半ごろ、知性学の普及を目的に、ヤゴアークという人物が宇宙から地球を訪れ、何らかの手段を用いて、知性学を短い期間で地球上にいきわたらせた。しかし、知性学を普及させることによって、何をしたかったのかは不明。
あらためて見てみると、革新的な論ではあるが、ひとつ大きな問題がある。それはいうまでもなく、根拠が薄弱すぎることである。それについては、私は氏の書斎に、さらに別の書類が埋もれているのではないかと考えている。氏の書斎はまさに足の踏み場がないような状態で、天井まで蔵書や書類がうずたかく積みあがっていた。その中のどこかに眠る別の研究書類を見つけ出し、シクロ氏が打ち出したこの仮説に関する研究を、さらに進展させていく必要があるだろう。
5. 終わりに
この文章は知性学者のカート・ウィリアムズの手によって書かれ、インターネットに公開されることになる。私がそうした方法をとったのは、シクロ氏の仮説をできるだけ早く公開する必要があると考えたからである。そしてこの文章を読んだ知性学者は、氏の仮説をより一層進展させていく研究にぜひ参加してくれることを願う。
6.
サパカルーニャ・シクロ老博士の訃報を聞きつけ、数か月前、博士に小説執筆の依頼をした編集者は、博士の自宅に向かった。もしかすると、家のなかのどこかに、小説の原稿が残されているかもしれない、と考えたのである。
博士の家人にことわりをいれ、書斎に足を踏み入れた編集者は思わず立ちすくんでしまった。そこは、見たこともないほど汚かったのだ。足の踏み場がなく、もういつから掃除をしていないのか、わからないくらい埃がまっており、書類や蔵書は天井までうずたかく積まれ、本棚はとっくに本の重みに耐えきれず崩壊していた。そうした崩壊は今も書斎のいたるところで起こっているようで、たまに何かが崩れるような音があたりからしていた。
編集者は何とか、書斎の中を奥のほうへと進んでいったが、この中から原稿を探すという作業を想像すると、暗澹たる気持ちになった。
しばらく進んだところで、書斎の奥のほうに誰かがいることに気づいた。
「こんにちは」と編集者は声をかけた。
誰かが振り返って、「こんにちは」と返してきた。
「君は誰だい? 私はシクロ博士に原稿を依頼していた編集者のジャックという者だ」
「僕は知性学の研究をしている、カートといいます。原稿の依頼というと、研究書ですか、それともエッセイ?」
「いや、小説なんだよ」
「小説!」
カートはさすがに驚きを隠しきれないという表情で叫んだ。
「その小説の原稿……遺稿が博士の書斎にあるかもしれないと思って来たのだが、この中から探すのは骨が折れそうだな」
「僕も、博士の研究書類をこの山の中から探し出している途中なのです」
そう言いながら、カートはメモ帳をジャックに差し出した。
「これはなんだい?」
「これは、僕が博士の書斎で見つけたメモ帳です。その中には恐るべき内容が記されていました」
ジャックは少し訝しげにメモ帳をひらいて中に書かれている内容を呼んだ。それから読み終わると、面白そうな表情をして言った。
「知性学は宇宙から、ヤゴアークという宇宙人によってもたらされた。面白いな。しかし、これは根拠がまったく書かれていないじゃないか」
「そうなんです。僕もそれで困っていたのです。だから、この山の中に別の研究書類が眠っているのではないかと……」
「なるほど。しかし、これはどちらかというと研究の成果を書き残したというよりは、小説のプロットみたいだな」
「いえ、おそらく研究結果をまとめたメモでしょう。それを書いている途中で博士は亡くなってしまったと考えられます」
「そうか」
ジャックはその時点で、そのメモがほんとうに研究結果をまとめたものなのか、小説のプロットなのか、判断しかねていたが、もし仮に研究結果だとすれば、博士は研究で忙しかったため小説を書く暇などなかっただろうし、もし仮に小説のプロットだとすれば、小説はまだまったく書かれていないのだろう、と考えた。もちろんそれがプロットだった場合、それを「遺稿」として誌面で発表するのは十分可能なように思われたが、内容がそれほど読者の興味をひきそうではないのが致命的だった。読者の多くは、「知性学」などには興味がないだろうし、話の中身も粗く、しかも細部が作られていない。むろん、これから作る予定ではあったのだろう。しかし、これを誌面で発表すると、博士の名声に傷をつけかねない、と考えたジャックは、書斎で原稿を探し出すことをあきらめた。
「カート、私は帰るよ」
カートは書類の山の中から顔を出して、「またどこかで」と言った。
ジャックはドアを開いて、外に出ていった。
ジャックが立ち去ってからしばらくしたころ、カートは新しいコピー用紙の束を見つけた。一番上のコピー用紙には『知性学論』と大書されていた。カートは驚喜した。とうとう、探していた書類を見つけたのだ。喜ぶのもそこそこに、落ち着きを取り戻すと、カートは書類の山に腰を下ろして、『知性学論』を読み始めた。そこには、驚くべきことが書かれていた。
了
知性学論 伊藤充季 @itoh_mitsuki
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