第2話 秘密基地と思い出

 家を出て40分。ようやく懐かしの裏山の姿が見え、美里は息をついた。

 本来人が勝手に入っていいような場所でもないのかもしれないが、昔から、好奇心と冒険心の旺盛な子供たちに踏まれ、秘密基地までの道はできていた。


 自分たちが遊んでいた時よりも、ずっと草が伸びていて、踏む人がいなかった事を物語っていたが、それでも道を探すのは簡単だった。太陽は少しだけ傾いていたが、相変わらず暑さはジリジリと二人の背中を差した。


 草が生い茂った裏山に足を踏み入れると、セミの声がいっそう大きくなった。まるで肩にでも乗っているかのように近く。空気の震えが伝わるほど盛大に。それがまるで、住処に入ってきた侵入者への警告にも聞こえて、美里は少しだけ身震いした。


「そんなに遠くなかったよね、この先」

「うん」


 うっかり葉で足を切らないように、虫に刺されないようにと注意を払いながら、斜めに傾いた裏山の中を歩いた。

 秘密基地と言っても、たいそうなものがあるわけではない。ただ、しばらく進んだ先に、広く開いたスペースがあって、そこを秘密基地と呼ぶ子供たちが多かったのだ。そこは直射日光ではなく、周りの木から生い茂った葉の隙間から、やさしく日の光が差し、風が吹けば葉を揺らして、落ち着く音を、涼しさと共に運んだ。居心地の良い空間だった。皆でレジャーシートとお菓子を持ち寄って、そこでゲームの通信対戦をして遊んだりもした。


 真ん中に立つ大きな木には、いったい誰が、どうやって括り付けたのか分からないが、黄色と黒色のしっかりとしたロープが、太い枝に結ばれていた。10メートルくらいの高さにある枝だ。紐をつけるには木を登るしかないが、その枝に到達する道中、枝はほかにはなかった。謎の紐と皆呼んでいた。


 その垂れ下がった紐にしがみついて、斜めになった斜面を蹴って「ターザンごっこ」をするのが流行りだった。



「この紐、まだあったんだ」


 数年ぶりに来た秘密基地は、自分の記憶にあるよりもずっと狭かった。もっと広かった気がしたのは、当時の自分たちが小さかったからだろうか。

 相変わらずぶら下がっていた紐に触れると、年月が経って少しボロボロになり、色あせていた。


「懐かしいね。これ、すっごく楽しかった」


 ネコちゃんがそばに来たので離れると、彼女はその紐を掴んで地面を蹴った。紐が劣化して切れるのではと美里は心配したが、大丈夫そうだった。

 ネコちゃんはほんの少しだけ、ユラと宙に浮いて、1メートルも行かずに重たそうに帰ってきた。木にぶつかりそうになったのを慌てて手を引っ張れば、不安定そうに数歩歩いた。白くてほっそりとした彼女の手のひらには、紐が食い込んだ跡が真っ赤に残っていた。


「体重増えちゃったからかな。握力も無くなったし」


 子供時代とは違った結果に、ネコちゃんは笑った。確かに、あの頃はもっと躍動感があって、ブランコに乗っているときみたいに空に近づいていた。風を切るようにスピードがあって、振り子のように戻る際、木にぶつからない様に幹を強く蹴飛ばして、その反動でまた揺られたりしたものだ。

 記憶の美化があったとしても、あの時とは絶対に違う。


「あの頃は、無謀というか、恐怖がなかったから……勢いが凄かったのかも」

「それはありそうね。美里ちゃんはやらないの?」

「うーん、実家帰ってから太っちゃったから遠慮しとこうかな。切れたらまずいし」


 笑うネコちゃんについて歩きながら、足元を見ると、ゴミがほとんどなかった。

 本来ならばゴミがあってはいけないので、何ら悪いことではないのだが、子供たちが全く来ていないことを示しているようで、美里は少し悲しくなった。きちんとゴミを持ち帰る子供たちなのかもしれないけど……入口の草の茂り具合から想像するに、ここはもう過疎化している様だった。 


「もうここで遊ぶ子いないのかなあ」


 倒れた木の幹に座り、汗を拭いながら美里は呟いた。足元を見ると、ペチャンコに踏みつぶされた、古びたジュースのペットボトルがあった。


「私たちの頃ほどは、いないのかもね」


 隣にネコちゃんが座り、麦わら帽子で暑そうに仰いだ。しばらく二人とも無言で、秘密基地を眺めていた。寂しさは漂うものの、吹く風や木々の音、差し込む日の光は、当時と何も変わらない気がした。


「どうして猫は好奇心で死ぬと思う?」


 突然、隣でネコちゃんが口を開く。美里は彼女のほうを向いた。


「”好奇心は猫をも殺す”ってことわざ、元々はヨーロッパの、”猫には命が9つある”ってことわざが、元になってるらしいの」

「なんで9?」

「それは分かんないけど……とにかく、9つ命がある猫でさえ、好奇心で命を落とすんだって」

「いろんな物に首を突っ込んで死ぬから、残機もすぐなくなるってことじゃない?」


 納得いかなさそうな彼女の様子に、美里は自分の見解を言った。好奇心が旺盛なネコちゃんには、なかなか大事なことわざかもしれない。

 しかしネコちゃんは、そのサンゴ色の唇に手を当てて、しばらく考え込んでいる様だった。


「なんか引っかかる?」

「ううん。ただ、自分の思ってた解釈が違ってた、ってことに気づいただけ」

「解釈は人それぞれでもあると思うけど……どんな風に解釈してたの?」

「…………」

「?」


 美里はネコちゃんが口を開くのを待ったが、彼女は首を横に振って立ち上がった。


「また後で教えてあげる。次のところ行こうよ」

「次ってどこ?」


 歩き出した彼女に続いて美里は立ち上がった。気を抜くと、彼女にはすぐに置いていかれてしまう。


 ネコちゃんは振り返って、目的地の方向を指さした。


「カッパの出る池」

 

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