好奇心は凶器になりうるか
夢星 一
第1話 ネコを殺したのは?
「ねえ、熱中症の危険があるから出歩くな、とすら言われてる暑さだよ?」
セミの鳴き声をバックグラウンドに、じんわりと汗が皮膚からにじみ出るのを感じる。太陽が真上にいるような真昼間、午後二時に外を出歩くのがいかに可笑しいかを、美里は前を歩く友人に語ったが、その歩みが止まることは無かった。
夏が終わったなんて嘘だ。
吸う空気は熱くて鼻孔が痺れるし、肺の中で熱さが暴れるのを感じる。呼吸1つ1つが体力を奪っている。熱中症で倒れて救急車……なんてことに、なりたくないので、しっかりと被った帽子をさらに深く被り直し、美里はもう一度声をかけた。
「ねえ、ネコちゃん。夕方とかに行っても良かったんじゃないの?」
この暑さにも関わらず、綺麗な黒髪を結ばずに背中で揺らしていた彼女は立ち止まった。
「だって夕方だと、蚊が出ちゃうじゃん」
当然の事のように言う。汗をびっしょり掻いている美里とは違い、麦わら帽子の下の彼女の顔は涼しげだった。
「虫よけスプレー使えばいいじゃんかぁ。熱中症になっちゃうよ。今日の最高気温聞いた? 36度だよ! 体温レベル!」
「36度のお湯とか全然熱くないじゃない」
「お湯と空気は違うでしょ!」
飄々と答える彼女が、行きたいところがある、と美里を誘ったのは今日の朝だった。昼過ぎに、わざわざ家まで迎えに来た彼女について歩いて、もう20分近くがたった。さすがに水筒でも持ってくるべきだったと、美里は後悔していた。
「ねえ、自販機でジュース買っていい? 倒れちゃいそう」
「いいよ」
田舎特有だろうか、妙なところにポツンとある自動販売機で買ったサイダーを飲むと、生き返る気がした。暑い日に飲むサイダーは格別なのだ。
「それで……どこに行きたいの? 私まだ聞いてないよ、目的地」
「小さいころ、5丁目の裏山でよく遊んだでしょ」
「あ、うんうん。覚えてるよ。4丁目から私が引っ越す前だったから、近かったもんね」
「今、あそこで遊んでいる子、全然いないんだって」
「うっそお! 私たちの時は、秘密基地とか作って大盛り上がりだったじゃん。皆同じ場所を選ぶから、全然秘密じゃなかったけど……」
「他のグループと遭遇したりしたもんね」
小学生の頃の、懐かしい思い出話に花を咲かせながら、自分たちが成長したことを美里はひしひしと感じた。二人とも、もう大学生。県外に出て行った自分は、髪も明るい茶色に染め、今時の大学生の中にまぎれている。しかし、隣町の女子大に進学したネコちゃんは、変わらず、きれいな黒髪を揺らしながら、あの頃の面影を残したまま綺麗に成長していた。
天音
それが彼女の名前だったが、小学生の頃から高校卒業まで、周りの人は彼女をネコちゃんと呼んだ。苗字の「音」と、名前の「子」をつなげて、ネコ。こんなあだ名が定着したのも、彼女からネコらしさが溢れていたからだった。
威圧感を感じさせることのない、ツンとかわいく吊り上がった目。丸く黒々と輝く瞳。表情の変化は乏しいが、笑う時にはとびっきりの笑顔を見せ、それがまた魅力的な子だった。一見クールに見える彼女だが、幼稚園の頃から親しい美里から見れば、まさに猫のように好奇心の旺盛な子だ。気になったことは満足するまで追い求め、そのためだったら、セミを素手で掴むことも厭わない、そんな子。
「それでね、久々に行きたくなっちゃって」
「一人で行くのは寂しいし、私を誘ったってことね……理解した」
目的も告げられずに歩かされ、正直うんざりしていたが、ふと思い立ったアイディアの連れに、進学先も変わった自分を選んでくれたことは正直嬉しかった。中学に入学してから、別の地区に引っ越してしまったので、あの5丁目まで行くのは遠いが、仕方がない。久々に童心に帰るのも楽しいだろうし、と美里は頷いて、空になったソーダの缶を、自販機のそばのごみ箱に入れた。単純な人間なのだ。選ばれたのが、嬉しい。
遠くから見たら緩やかなUの字になっている道を、二人は一列になって歩いた。もともと車道がメインで、端にある歩道は二人が並んで歩くには狭かった。段差にはなっているが、ガードレールもないので、車が隣を走り去るたびに、ゾッとするような風が吹いた。
ネコちゃんを先頭にしてしばらく歩くと、数メートルほど離れたところで、車がスピードを下げ、何かを避けるように迂回しているのが見えた。それも一台ではなく、全部が。
「何してんだろ」
美里がそう呟くと、それに気づいていなかったらしいネコちゃんが、チラッと鼻筋を見せて、何が? と聞いた。
「あそこ、車が避けてる。何か落ちてるのかな」
ネコちゃんが視線を前に戻し、美里の指さした方を見る。
そう話す間にも、歩み続けていた二人は、やがてその影を見た。
何かが落ちていた……というよりは、倒れていた。
とっさに美里の脳裏に、その正体が浮かぶ。……いや、でも、まさか? この辺りで今まで見たことないし……。
「あ、猫だ」
どうにかその考えを払拭しようとしていた美里とは反対に、ネコちゃんはあっさりと答えを言った。美里は一瞬顔をしかめた後、ため息をついて、もう目前にあったソレを見た。
茶虎のネコが倒れていた。
車に轢かれたのだろう。轢死体を見るのは初めてで、気分の良いものではなかったが、美里は、案外キレイに死んでいることに驚いた。てっきり、中身もグチャグチャに溢れ、道路に塗りたくられているのかと思ったが、その猫は鼻——もしくは口——から血を少しだけ流して倒れているだけだった。目は閉じられ、血さえなければ、寝ているようにも見えた。
——あのネコは何を追いかけたのだろう
うるさいセミの合唱も、そばを通る車のエンジン音も消え、暑さも忘れるような空気に包まれ、美里はその猫を見ていたが、隣から聞こえてきたネコちゃんの声に、ハッと意識を戻した。
「何を考えていたの?」
「えっ?」
「じっと見てたから」
「……えっと、面白いものでもあったのかな、って」
ネコちゃんは不思議そうに首を傾げた。
「その、道路を渡った先に、面白いものがあって……それを追いかけて轢かれたのかなあ、みたいな? ここらで野良猫が轢かれるのって珍しいから……」
「死因は好奇心?」
―—”好奇心は猫をも殺す”
このことわざの話を、ネコちゃんはしているのだろうか。美里はしばらく考え込んだ。
「……かも?」
「ハッキリしないのね」
「暑さで変な事口走っただけかもしれない」
「そう」
それだけ言って、ネコちゃんは黙って歩き出した。期待外れの返事にガッカリさせてしまっただろうかと、慌てて追いかけて横顔を覗きこむと、彼女は美里をみてニッコリと微笑んだ。
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