第14話
文化祭。
高校生活最大のイベントと言っても過言ではないだろう。
修学旅行と言う人もいるかもしれないけど、友だちと旅行ならいつになっても行くことができる。実際、わたしと先輩だけで修学旅行できたし。
でも、文化祭は無理だ。ふたりでなんてできない。当日だけじゃなく、計画を立てたり準備したりするところから、思い出作りというものがはじまるから。
正直、面倒だなぁとしか思えない。やりたい人だけでやったらいいのに。わたしはひとりで図書館で勉強でもしてるから。
だけど、そういうわけにはいかない。クラスではお化け屋敷をやると決まったし、文化祭は2週間後に迫っている。
ここ最近、放課後は毎日文化祭の準備に追われている。
しかも、何かと気まずい、あのお弁当4人組で。
「部活の先輩にさ、1年生のときに文化祭あたるってかわいそうだねって言われちゃった」
「あたしも~。ていうか、3年に1回っていうのがまずおかしいよね!? みんな平等じゃない!」
「えー、でも、毎年やったらやったで飽きない? 3年であたったら、それはそれで受験勉強の妨げになるし」
「たしかに。よし、1年すごいじゃん、って思わせて、見返してやろ!」
3人はしゃべりながら手を動かし……というか、手なんかほぼ動いてない。おしゃべりに夢中になっている。
何だか、夏休み前のお昼ごはんのときとは打って変わって、だいぶ砕けた雰囲気だ。呼びあうあだ名も、耳慣れないものになっている。
わたしがいないうちに変わったんだな。わたしがいなくなったから変わった?
あまり文化祭に精力を注ぎこみたいわけじゃなかったので、衣装係に立候補した。
お化け役として人を脅かすのも、宣伝係として看板を掲げて校内を練り歩くのも向いていないと思ったからだ。
そしたら、なぜかこの気まずいメンバーになってしまった。まあ、もとは似た者同士の集まり。3人とも、お化け役にも宣伝係にもなりたがらないのは分かる。
衣装が完成するまでの辛抱だ。文化祭当日は完全に自由だから、先輩と校内を回ったり、疲れたら秘密基地みたいな温室で休んだりできるかもしれない。
ほんと、先輩のことばっかり考えてるな。最近、放課後は暗くなるまで衣装の準備だし、昼休みにもデザイン班と打ち合わせがあったりして、温室に行けない日々がつづいている。
夏休みに比べたら、会ってない期間はそんなに長くもないけど……会えるはずなのに会えないという状況ははじめてで、何だかもどかしい。
「ねえ、ユキノ」
ちょうど、先輩のことを考えていたからだろうか。先輩がわたしを呼ぶときの、カタカナっぽい発音で「ユキノ」と聞こえた。そんなふうに呼ぶのは先輩だけなのに。
「ん、な、何?」
作業に集中していたふりをして、慌てて返事をする。
「雪野ってさ、彼氏できたんでしょ?」
「ええっ、か、彼氏ぃ?」
級友の口から思いもよらぬ言葉が飛び出して、うろたえてしまう。声は裏返るし、指に針は刺すし、布は落とすし、散々だ。
しかも、その慌てた様子を「図星だ」と思ったのだろう。3人して顔を見あわせて、にやにやしている。
「やっぱり~。夏休み前から、急に昼休みいなくなったり、放課後もそそくさと帰っちゃうし、これはアレだなぁ~って……ねっ」
両脇で、ふたりがうんうんとうなずく。3人の目には、好奇心と野次馬精神が見え隠れ……いや、丸見えだ。
「違うクラスの人? もしかして先輩?」
「まさか雪野がいちばん最初に彼氏作るとはねぇ」
「写真とかないの? 見たい!」
どうしよう。今すぐここからいなくなりたい。
久しぶりに「透明になりたい」と思った。
透明になっているわたしを、先輩だけに見せたい。見てもらいたい。
「いや、写真ないし。あっても見せないし。そもそも、彼氏じゃないから。普通にコンビニ行ってごはん買ってフラフラしてるだけ」
結構ぶっきらぼうな言い方になってしまった。雰囲気を損ねただろうか。
不安になって顔を上げると、3人は相変わらずにやにやしていた。きっと、これも照れ隠しのためにこんな態度を取っている、と思っているのだろう。
めんどくさいけど、むしろこの勘違いは悪くないかもしれない。これからは堂々と昼休み不在でいられるのだから。
でも……彼氏と思われているのはなぁ……。先輩は女の子だし。でも彼女ではないし……。
「まあ……まだ、友だちだけどね」
そう言うと、3人はひゅーひゅーと冷やかしてきた。
いや、「まだ」って何よ、「まだ」って。
顔が熱くなっているのを感じながら、内心、自分でツッコミを入れた。
それにしても時間がない。
先輩と会う時間が。
今日ももう日が暮れてしまったし、なぜか流れで4人で帰ることになってしまったし、帰りがけにちらっと温室をのぞきに行こうかと思っていたのにそれもできない。
何となく、先輩がまだいるような気がして……わたしのことを待ってくれているような気がして。
後ろ髪を引かれながらも帰路に就いた。
「雪野、告白しちゃいなよ」
「文化祭って高校生活最大のチャンスだよね」
「むしろそれ逃したらどこで告白するのって感じ」
帰り道はなぜか、片思いのわたし(3人の勘違い)の激励会みたいになり、さらに疲れ果てて電車に乗りこんだ。
同じ電車じゃなくてよかった。というか、3人が電車通学で、どの路線を使っているか、はじめて知った。
やっとひとりになれた車内で、ラインを開く。通知はひとつもない。
先輩に連絡しようかなぁ。
そう思って先輩とのトークルームをタップするけど、結局ひと文字も打ちこむことができない。
先輩とは、本当に用があるときしか連絡を取りあわないのだ。雑談とか、おはよう、おやすみの挨拶とか、そんなメッセージは送ったこともないし、届いたこともない。
最新のメッセージは、あの修学旅行のときのもの。真ん中の車両なのか、車両の真ん中なのかでうまく合流できなかったときのやりとりだ。
……会いたい。
恥ずかしいくらいに、そんな思いが募っていく。
夏休み中は平気だったのにどうしてだろう。本当なら会えるはずなのに会えない。そんな状況が、焦がれる思いに拍車をかけているのだろうか。
ライン、送ってみようかな。
いきなりすぎて変だって思われるかな。
もし先輩も、同じようにトークルームを開いていたとしたら――同じように、メッセージを待っているとしたら。
「…………うぅ」
電車の中だというのに、頭を抱えて唸ってしまう。だめだ、絶対送れない。
最近まで透明になりたいと思っていたような人間が、誰かに会いたいと思うようになってすぐ、行動まで変えられるわけがない。
ひとりの殻に閉じこもって、その中で光が差してこないと不安になるばかり。指で穴を開けて光を探そうという勇気なんかわいてこない。
明日……明日もし、少しでも時間があったら、温室に行こうかな。ひと目でいいから先輩に会って、ずっと会いたいと思ってたんだと伝えたい。
それから、文化祭当日はいっしょに――。
突然、スマホが震え出した。びっくりして取り落としそうになる。
え、これって着信? メッセージなら3秒くらいで止まるのに震えつづけている。あまりにも連絡が来ないスマホなので、動き出すと慌ててしまう。
画面には――棗、の文字。
電車が減速しはじめる。スマホのバイブはつづいている。まだ降りる駅ではない。だけどわたしは席を立ち、ドアが開くのをもどかしい思いで待った。
先輩、まだ切らないで。切られちゃったら、わたしからかけ直す勇気、出せないかもしれない。
電車が止まり、ドアの開閉ボタンのランプが点く。それを押してドアが開き切るのも待てずに、隙間から飛び出す。
まだ震えているスマホをぎこちなく操作する。下車した客たちが改札へと向かう中、わたしは立ち尽くしておそるおそるスマホを耳に当てた。
背後で電車のドアが閉まり、動き出す。その音に鼓膜をかき乱されるが、スマホから流れてきた声はよく聞こえた。
「ユキノ?」
先輩の声。何日ぶりだろう。痛いくらいスマホを耳に押しつける。
「ねぇ、ユキノ、聞こえる?」
はっと我に返り、まだ声を出していなかったことに気づく。
「はい、聞こえます」
スマホじゃなくて、糸電話で声をやり取りするような感覚。先輩の声が、糸を伝ってくるように少し震えている。
9月も半ばに差しかかり、日が暮れるとすぐに暑さもやわらぐようになった。風が少し冷たい。ホームの脇にはススキが揺れている。
「ねぇ、ユキノ……ユキノ」
先輩の声……震えてるのは気のせいじゃなくて、もしかして……。
「先輩、泣いてるんですか?」
「違っ……泣いてない! 泣いてない、けど……」
ぐずっ、と鼻をすする音がする。
けど、泣き……そう。
そう言った先輩の声が、わたしの胸に爪を立てるようだった。ちょっと痛くて、苦くて、だけど甘い。
「いや、もう泣いてるじゃないですか」
「まだ泣いてない」
「まだ、って……これから泣くんですか」
先輩は黙りこんで、また鼻を鳴らした。となりで泣かれるならともかく、電話口ではちょっと困る。手をつないだり、肩を寄せたり、言葉ではうまく伝えられない慰めを示すことができないから。
「……いたい」
「え? 痛い? どこが痛いんですか」
「違う! 会いたいって言ったの!」
先輩は声を大きくしてから、はっと息を飲んで口をつぐんだ。涼風に吹かれて冷えていた頬が、急に熱くなる。
ひとりきりの温室で、ぼんやりとドアを眺める先輩が目に浮かんだ。もう晴れた日でも、温室の中は過ごしやすい温度になっているだろうか。秋の花が咲きはじめているかもしれない。
先輩は今までひとりで過ごしてきたとは思えないくらい、寂しがりやで、甘えんぼなのに。
わたしはずっと、そんな先輩をひとりきりに……。
「すみません、先輩」
そう言うのと同時に。
「ユキノ、ごめんなさい」
先輩も苦しげな声で謝った。
わたしたちは疑問符でいっぱいになる。
「何で、ユキノが謝るの?」
「いや、先輩の方こそ」
「だって……最近、文化祭の準備で忙しくて、昼休みも放課後も温室に行けてないから……」
「えっ、先輩も……?」
「も、って……ユキノも?」
最近先輩と会えないのは、わたしのせいだと思っていた。でも、先輩も同じだったんだ。
ホームで立ち尽くしていたのを思い出し、少し移動してベンチに腰かける。スカート越しに冷たさが伝わってくる。
右耳に当てていたスマホを持ち替え、左耳に当てる。右側がわたし、左側に先輩。温室で座るときの、いつもの位置だ。
「わたしも、ここ最近ずっと温室に行けなかったんです。文化祭の準備で……だから、先輩に会いたいのに、会えなくて……」
「そう……だったんだ。あたし、ユキノのことをひとりぼっちにさせてるって思ってた。温室でひとり、あたしを待っててくれてるのに、って」
先輩の声が左側から聞こえる。となりにいるみたいに感じる。
「わたしも、同じこと考えてました。先輩はずっと待ってるんじゃ……待っててくれてるんじゃないかって。ひとりぼっちにさせて申し訳ないなって……」
唐突に、耳に息を吹きかけられたかのように感じた。先輩が、ふわふわとひそかな笑い声をこぼしたのだ。くすぐったくて鳥肌が立つ。
「もっと早く連絡すればよかった」
「ほんと……そうですね」
昼休みと放課後は忙しくて、温室に行けない。
お互いにそう言っていたら、こんなに寂しくてもどかしい思いをせずに済んだのに。
ふたりとも人づきあいが苦手だと、こうなってしまうのか。不器用同士って、大変だな。
「あー、何か安心しました。わたし、これからはもっとラインしますね。文明の利器、ちゃんと使わなきゃ」
「あたしも……ほんとは……ほんと、は――」
先輩は途切れ途切れにつぶやき、最後まで言い切ることなく口をつぐんだ。ほんとは? とつづきを促すと、やっと口を開いた。
「ほんとは、おはようとか、おやすみとか、それだけのライン……したい……!」
振り絞るような声に、じわっと胸が熱くなる。
一歩一歩、暗闇を進むようにわたしたちは歩み寄ろうとしている。もう手が届くところにいると思っていたけど、まだまだ遠いらしい。
お互いの声を頼りに、ときどき見失いながら少しずつ近づいている。
「ねぇ、ユキノは嫌じゃない? してもいい?」
「もちろんです」
先輩は嬉しそうに笑い声を上げた。はにかんだ顔が浮かぶような声。
「ねぇ、ユキノ? 朝……何時くらいに学校来てる?」
「朝? えーと……結構、始業ギリギリですかね」
居心地がよくない教室にあまり早くからいたくなくて、登校時間は徐々に遅くなった。
「ギリギリか……そう……」
先輩はわたしの答えを噛みしめるように繰り返し、黙りこんだ。どうかしました、と聞こうとした瞬間、先輩は口を開いた。
「何でもない。じゃあ……ユキノ、ラインするからね?」
先輩はこそこそと逃げるように電話を切ってしまった。スマホの画面を見つめて首をかしげる。
めったに通話をしないスマホは、少しあたたかくなっていた。
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