第8話
ふたりきりの修学旅行当日。
お盆前の平日の早朝は、日差しは強いけどどこか爽やかで、遠出をするのには絶好の天気だった。地元は今日も猛暑日の予報だけど、松島は海沿いの街だからこことは違ってずっと涼しいみたいだ。
わたしと先輩は、それぞれ最寄り駅が違う。だから、同じ電車に乗りあわせるかたちで待ちあわせすることになった。まず先輩が下りの始発に乗り、3駅目でわたしが合流する。
駅に着き、電車を待っていると、先輩からラインのメッセージが届いた。
『電車乗った
まんなか辺り』
ひとりで電車に乗ったことがないという先輩だけど、何とか乗れたみたいだ。ひとまず安心する。
『分かりました
わたしも駅ついたので、待ってますね』
スマホをしまい、電車が来る上り方面に目を向けた。まっすぐに線路と電線がつづいている。
先輩を乗せた列車が今、この線路を走っている。わたしのところに、先輩を運んでくる。
そんなふうに考えると、おなかの底からぷつぷつと泡が浮き上がってくるような、景色がきらきらと輝いて見えるような気がしてくる。
先輩と会うのは、花火大会の日以来だから、10日ぶりだ。こんなに会わなかったのは、出会ってからはじめてだった。
旅行の計画を立てるためにラインで連絡は取りあっていたけど、文字だけじゃ先輩の存在を感じるにはもの足りない。
早く会いたい。電車が速度を上げてくれるのを願ってしまうほどに、待ち焦がれている。
人が苦手なくせにそう思うなんて、自分のことながらおかしくて笑ってしまう。
授業終了間際の10分間よりも長く感じる時間が過ぎ、ホームにアナウンスが流れた。胸がますます高鳴る。
生ぬるい風を起こして、6両編成の普通列車が入ってきた。足もとの表示にあわせてぴったりと停まる。ボタンを押してドアを開けると、クーラーで冷やされた空気が流れてくる。わたし以外に乗りこむ人がいないのを確認して、すぐに閉めるのボタンを押した。
乗りこんだ3両目には、ほとんど乗客がいなかった。ボックス席をひとつひとつ眺め歩いて、先輩の姿がないかたしかめる。いなかったので4両目に移動するが、そこにも先輩はいなかった。
もしかして、先輩……間違えて上りに乗った……とか?
電車が動き出した。背中を冷や汗が伝った。反対方向に離れていく先輩を想像して、軽くめまいがした。
そのとき、ポケットに入れたスマホが震えた。加速していく列車に揺られ、よろめきながらメッセージを開く。
『ユキノ、ちゃんと乗ったよね?
早く来てよ』
先輩の拗ねた顔が浮かんでくるような文字。駅を出発したタイミングで送られてきたということは……ちゃんとこの列車に乗っているのだろうか。
わたしはもう一度、4両目、3両目を探し歩き、やっぱりいなかったので先頭に向かってみることにした。2両目にはいない。後ろだったかなぁ、何回も行き来して怪しい人みたいだなぁ、と思いつつ、先頭車両の中ほどまで来たとき――。
空梅雨のあの日……温室で先輩を見つけた日に戻ったかのように感じた。
4人がけのボックス席に浅く腰かけた先輩は、目を伏せてスマホを握りしめていた。儚く、妖しげに映る先輩は久しぶりで、声をかけるのも忘れてしばし見とれてしまった。
薄く涼しげな生地の白いノースリーブ。肩には、空色のストール。ショートパンツからは細い脚が伸びている。たくさん歩くから楽な靴で、という指示をちゃんと守って、足もとは底が薄めのスニーカーだ。長い髪はポニーテールにしており、華奢なうなじがまぶしかった。
わたしの気配に気づいたのか、先輩がゆっくりと顔を上げた。蝶が羽ばたくようにまつげを上下させて、ふわっと頬をゆるめ……そしてすぐ、子どもっぽいふくれっ面になった。
「ユキノ、遅い」
その言葉で我に返り、進行方向を向いて座っている先輩の向かい側に座った。見とれていたことをごまかすように、目をすがめて先輩を睨みつける。
「悪いのは先輩ですからね? まんなか辺りって言ったじゃないですか」
「だってここ、まんなか辺りじゃない」
「いやいや、ここ1両目――」
先輩を責める言葉を連ねる前に、はっと気づいた。この席にいちばん近いのは、3つある内のまんなかのドア。たしかにまんなか辺りではあるけれど。
けれど、と口に出したくなるのをおさえ、ふうっと息を吐く。先輩ははじめてなのだ。間違えて上りに乗っていなかっただけ、上出来としよう。
「それよりユキノ、聞いてよ。駅員さんに切符の買い方訊いたらさ、子ども用の切符買わされた! ひとりでおばあちゃん家に行くのかい、えらいねぇって言われた!」
先輩はぷぅっと頬を膨らませて、握りこぶしをぶんぶん振り回す。先輩の私服ははじめて見たけど、やはり制服よりは幼く見える。駅員さんが間違えるのも仕方ない気がする。
「いいじゃないですか。お得で」
「いいわけない。ちゃんと大人ですからって言って、大人の切符の買い方教えてもらった」
「はいはい、えらかったですね」
「適当な褒め方やめて」
それから、しばらく揺れに身を任せ、黙って車窓を眺めていた。先輩ははわはわと何度もあくびをしている。よく見ると、目の下にうっすらとクマができている。
「先輩、眠いんですか?」
「ん……なんか昨日、心臓がどきどきして眠れなくて」
「今日が楽しみすぎて?」
「ふんっ……違うし」
ぷいっと一度はそっぽを向いたものの、先輩はすぐ上目遣いでこちらを見つめてきた。
そして、わたしの指先をそっと握ると、かすかな力で引っ張った。リボン結びすらほどけそうにない、弱々しい力。
何か主張したいらしいが、なかなか口を開こうとしない。こちらも黙っていると、何で分かってくれないのかと言うように睨みつけてくる。
まあ、何となく分かるけど……違ったら恥ずかしいし。
「ユキノ……隣じゃなきゃやだ」
やっぱり当たっていた。だけど、想像以上にかわいらしいおねだりだったので、妙に恥ずかしくなってしまう。
「え? ええ、まあ、いいですけど」
ぎこちなく先輩の隣に移動する。2人がけの座席はいつもは狭い気がしていたけど、小柄な先輩と並ぶと広すぎるくらいに感じた。
そんなゆったりとしたスペースを有効に使えばいいのに、先輩はわざわざ距離をつめてきた。わたしの左の太ももと、先輩の右の太ももがくっつくくらい。先輩の身体の熱が、服越しに伝わってくる。
そして、先輩はわたしの腕に自分の腕を絡め、肩に頭を寄せた。
え? これ、寝るってこと?
「先輩、次の乗り換えまで30分もないですけど」
「ユキノが起こしてくれるでしょ」
「いやまあ、起こしますけど。わたしだって眠いんですよ」
「今日が楽しみすぎて?」
「そういうわけじゃないですけど」
先輩はにやっと笑うと、口もまぶたも閉じてしまった。まったく……先輩はわがまますぎる。先輩がもともとわがままだったのか、わたしがわがままにしてしまったのか分からないけど。
最初は美しくて妖しくて神秘的なオーラを纏っていたのになぁ。今では年上とは思えないほど子どもっぽくなってしまった。
というか……先輩はきっとまだ、子どもなのだ。人間関係を築くという点においては。
小中高と、修学旅行は全部不参加だったという先輩。それはきっと、花を食べるという、人と違った部分を理解してくれる友人に恵まれなかったということだと思う。心を開ける相手がいたら、協力してもらえることもあるだろうし、修学旅行を諦めずに済んだかもしれない。
だから、先輩にとってわたしははじめての友だちなのだと思う。本来、幼いころに経験するはずの「はじめて」を、先輩は今まさに体験しているのだ。
臆病なようで大胆で、不器用なのに背伸びしたがったり、強がったと思えば急に甘えたり――こんなに一生懸命なのはそのせいだろう。
そんな先輩がかわいくて、いとおしくて。
肩にのせられた先輩の頭に、頬を寄せてしまう。このままどこまででも運ばれて行きたい。みずみずしい朝の陽射しに包まれながら、そう思ってしまうのだった。
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