荒野の聖女2

 な ん で す っ て !?

 ヒメが、来ている!? そっちに!?


「にゃー」

『音声を中継するわねー』


 そして二人の会話が聞こえてきたのだった。


 ――ロロちゃん、突然どうしたんでしょう、こんなに鳴いて……。


 ――ああ、気にしないでください。猫は気まぐれですからね。たまにあるのですよ。それよりも、あなたはオリグロウに帰国されたと思っておりましたが。


 ああ、こんな事態だけれども、それでも久しぶりに聴くレクトールの声は懐かしかった。

 どんな人が相手だろうと、常に礼儀正しくどこか優しげな声。つまりはよそ行きの声だけれど。


 私の脳裏には人当たりの良い将軍然とした麗しい微笑みと王族オーラのキラキラが舞う様子が、容易に思い浮かんだのだった。

 

 そしてこれは……きっと今、「鑑定」スキルをフル活用して探っているな……。

 相手をしゃべらせて、そのスキルの発現具合や感情の変化などからその言葉の裏とそのまたその裏を読んでいるのだろう。ほんとこういうところ怖い人だよ……。


 敵じゃなくて本当によかったわ。


 ――ああ、そうなのです。もちろんオリグロウにおりました。でも私……やはりどうしてもあなた様を救いたくて。先日私はオリグロウで、あなたが毒矢に倒れるところを先読みの力で知ったのです。毒矢が当たって……その毒のために、あなた様が床に伏しているのを……。そのため私は思わずあなた様を救うために、こうして必死でオリグロウを抜け出して来たのですわ……!

 

 ――おや、それは驚きですね。なぜそのような場面が見えたのでしょうね。しかしご安心ください。私は今、このようにピンピンして、床になど伏してはおりません。いたって元気ですよ。


 ――ええ! 本当にお元気そうに見えます。私も驚きました。でもレクトール様は優しいから、私や部下の方々に心配をかけないように元気にして見せているだけではありませんか? もしご自分では元気だと思っているとしても、毒が残っている可能性があります。体が実はいつもより疲れやすかったりしているのでは? なにしろ私は「先読みの聖女」ですから、私が見たものは間違いないはずです……!


 ん? 毒矢……?

 ということは、もしやあの闘技大会での暗殺騒ぎはシナリオの一部だったということなのだろうか。

 そしてあの毒で、本当は今頃は寝込んでいるシナリオだったと?

 ええ、ちゃっちゃと治しちゃったけど……?


 ――毒矢騒ぎがあったのは事実ですが、おかげさまでアニスがすぐに駆けつけてくれたおかげで事なきを得ました。だから寝込んでなどいませんよ。もしや私が夜、普通に寝ている風景と勘違いされたのではありませんか?


 ――まあ! そんな間違いがあるはずは……。レクトール様を襲った毒は即効性の毒だったはず。そんな毒に倒れた危機的状況であなた様の部下たちが、聖女とはいえ敵国出身の恋人をそう簡単に近寄らせるはずありません。はっ! もしやあの女、何か裏で怪しげな術でも使ったのではありませんか? だって私以外にそれを予見して、ちゃんとあなた様を救うことが出来る人などいないはずです!

 

 ――何を勘違いしていらっしゃるのかはわかりませんが、アニスは敵国の女でもただの私の恋人でもありませんよ。妻です。それはこの城の者たち全員が知っていることですから、心配した妻が夫のいる場所に駆けつけることを妨害するような部下は、ここには一人もおりません。


 静かに諭すレクトールの声。

 

 しかしそうか。

 これはもしかしたら、あの乙女ゲームの中では「聖女」は将軍の「妻」ではなく、「恋人」としてシナリオが進んでいたのかもしれない?


 そういえばこの結婚のきっかけは、シナリオにはいなかったはずの神父様が言い出したことだった。そしてあのゲームではシステム上、どの攻略相手だろうともエンディングが結婚式の場面だっただろう。


 ということは、あのゲームのシナリオの中では、主人公の聖女は将軍と結婚していなかったのか。


 そして、「恋人」としての立場では、あの倒れたレクトールの元に到着するのが遅れるのだろう。

 

 将軍の一大事と必死に駆けつけようとしている主人公を、たとえば将軍が寵愛しているただの「恋人」、しかも敵国の人間だと反発している人がいた設定だったのかもしれない。

 

 正式な「妻」という立場でも最初あの反発だったのだ。あれでただの「敵国から連れ帰った恋人」だったら、下手すると「愛人」とか「色仕掛けで将軍を騙す敵国のスパイ」的な噂が出て、それを信じる人がいてもおかしくはなかったのかもしれない。


 そしてその疑惑を信じた誰かが、主人公がいざ駆けつけようとしたときに邪魔をするシナリオだったのかもしれないね。

 

 だけれど、実際にもしもあのときもう少しでも私の到着が遅れていたら、彼はとても危なかったと思う。

 もしかしたら将軍が死ぬ間際に、なんとかそれを食い止めるのが精一杯だった可能性も考えられる。

 

 ほんのちょっとのタイミングの差で、治しきれずに毒の影響が残った可能性も……あったのかもしれない?


 そしてヒメは、そんなシナリオを知っているのだろう。

 つまり、あのゲームの中では今、レクトールは毒の影響か何かで体調を崩して寝込んでいたと。


 うわ、危なかったー。

 なんだかいろいろ紙一重なんですけれど……。


 ――ああ! もちろんわかっています、あなた様だけでなく、ここの全ての人があの偽聖女にすっかり騙されてしまっていることは。あの女が今はここにはいないから、思い切って告白するのですが……真実のあの女は酷い女なのです。あの女は親切を装って人を欺く天才です。そして騙されているあなたを、今ごろは影であざ笑っているのですわ。そろそろあなた様もあの女と離れて、あの女の魔術も解けて気づいてくださったのではと期待していたのですが……。


 ――おやおや、私が妻のことを何も知らないと思っていらっしゃるなら誤解ですよ。それに彼女を『聖女』と認定したのは私です。あなたが彼女を偽物だとおっしゃるということは、あなたは私の下した判断を間違いだと言っていることになります。私はそれほど愚かなのでしょうか?。


 ――まあ、そんなこと……。レクトール様は優しいから、時間をかけて巧妙に騙されてしまっただけなのです。優しい人ほど、悪い女に騙されてしまう。ああレクトール様、おかわいそうに。私、レクトール様をこんな風に騙すなんてあの女が許せません。悪いのは全て、あの嘘つきな女なのです。たとえばレクトール様は彼女の本当の名前を知っていますか? アニスなんていうあの名前は、あの女の本当の名前ではないのです。あの女の本当の名前は――

 

 ――名前など、私にはどうでもよいのですよ。彼女は彼女だ。私は彼女がどういう人なのかを知っている。それで十分ではありませんか。それに彼女の前の名前でしたら知っていますよ。でも彼女は彼女の意思で好きな名前を名乗れば良い。名前なんて、この国では必要に応じて変える人も多いのですから何の問題にもなりません。


 おお……レクトール、かっこいい……。

 実は名前のことは、とっくに彼にバレているのだった。なにしろ彼の「鑑定」スキルは途方もないのだから。

 

 私はこの世界に来たばかりのしばらくの間、前の世界の名前をそのまま名乗っていた。その時の実績のせいで、どうやら最初から彼のスキルの目には私の前の名前が視えたようなのだ。


 だから結婚式の時には、抜け目なくその名前も結婚誓約書に書けと言われたのだった。

 いやあ、いざ署名するときになって、当たり前のように真顔でそっちの名前も併記しろと言われた時には、それはそれは驚いたよね……。

 

 もはや懐かしい、あの流されるままに書かされた結婚の署名。絶対に無効になるような穴は作らないという執念を見た気がしたっけ……。


 おっと思わず遠い目をしてしまった。


 ――ではあなたは私よりも、あの女を信用なさるというのですか。あなたのために、国をも捨ててきたこの私よりも……!

 

 ――私は、私の妻を信じていますよ。

 

 あ、この感じ、きっとあの完璧な笑顔でにっこりしながらヒメを見つめ返しているんだろうな。

 ついうっかりあのキラキラも漏れているに違いない。

 

 目的のある人間は、自分の期待とは違う反応を返す人を前にすると、多少なりとも動揺したりして感情が揺さぶられるものらしい。

 

 きっと彼の満足げなこの声色からして、そろそろヒメは何を言っても全く説得されないレクトールに少々平常心を欠いてきているのだろう。

 そういう状態は彼いわく、本音が視えやすいんだそうだ。


 怖いわー。ほんとあの人怖いわ。

 そして彼がその完璧な笑顔の下で何をしているのかも大体わかってきた自分にも、ちょっと引くわ……。


 ――なんで!? なんであの女を信じるなんて……! なんて酷い! 私は誠心誠意真実を言っているのに、どうして信じてくれないの!? あんな嘘つき女なんかより私の方がずっと、ずっと! レクトール様を愛しているのに!

 

 ヒメが少し焦ったような声になった。やっぱり動揺しているようだ。

 うーん、きっとレクトールは内心大喜びだろうな。

 しかし一貫して酷い言われようだな、私……。


 ――……。


 ――実はこれはあなたのために黙っていようと思っていたことなのですが、それほどまでに頑なにあの女を信じるとおっしゃるのなら、もう私、言います……! あなたには残酷な事実かもしれないけれど……実は私、ここに来る途中で聞いてしまったのです。まだレクトール様の妻だというのにあの女は、「グランジの民」のガレオンとかいう男をたぶらかして、駆け落ちしたのだと……!

 

 ――ほう?

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