荒野の聖女3

 ――私があなた様のために必死で国境を越えようとしていたときに、直接信頼のおける人から聞いたので間違いありません。私もまさかと思ったのですが、どうやら本当らしいのです……。きっと国境沿いで発生したとかいう病気を治せなくて、逃げたに違いありません。聖女としての役目を放り出すなんて、なんて無責任なんでしょう! しかもレクトール様まで傷つけて……私、私本当にショックで……!


 おっとー。私、駆け落ちしたことになった……。

 ガレオン? そういえば全然会わずじまいなのだけれど、もしやこの話の流れでは、彼もどこかに捕らわれているのかもしれないな。反長老派だったはずだから、あり得る……。


 でもね。

 多分、レクトールは騙されない。

 そんな感情的な声で切々と訴えても、きっと彼は騙されないのだ。

 彼はその動揺と、そしてその裏までを「視る」のだから。

 焦り、悔しさ、そして……悪意まで?


 だから嘘を言っても多分、ほぼ確実にバレるのだ。


 だから、彼に対抗するには黙秘しかない。

 嘘をついてバレるくらいなら、黙っているほうが遙かにマシなのだ。遙かに。

 私は学んだ。

 心を無にして沈黙する以外、彼に隠し事をする方法はないということを……。


 ――それではどうして彼女は今、一人で監禁されているのでしょうね? 彼女はここ数日、どこかの小さな部屋から動いていない。ガレオンはどこにいるのでしょう? そして彼女の監禁は誰の命令なのでしょうか?

 

 ――……何のことでしょう? 私はあの「ファーグロウの聖女」がガレオンとやらと二人でもうオリグロウへ出国したと聞いただけです。きっとロワールに助けを求めるのでしょう。ロワールなら、「聖女」というだけで大喜びで大切にするのですから。

 

 ――では、あなたはそのロワール王子が彼女に取られないように急いでお帰りなさい。国境までお送りしましょう。

 

 ――まあ……どうしてそんなに冷たいの? もう、どうしたら私の言葉を信じてもらえるのかわからないわ。私はあなたに会うために、あなたを救うためだけに、この世界に来てからずっと努力してきたというのに、どうしてこんな風になっちゃうの?


 ヒメは涙声になっていた。


 ――あなたが何を心配してくださっているのかは知っているつもりです。でもそれならば、本当に私を救おうと思ってくださっているならば、今ここであなたが私をどうやって救ってくださるつもりなのか、教えてはいただけませんか? ぜひ教えてください。私はどうやって死ぬのです? そしてどうすればその運命から逃れられるのでしょうか?

 

 ――……はあ? それを知ってどうするつもり……? あなたが自分だけで対処できるとでも? この世界ではまだ未知の出来事なのに何も知らないで、しかも私という聖女の助けもなくて完璧な対策ができるとでも? なのにここで私がペラペラ教えたら、その後私を捨てるんでしょう? あの女のために私が……。あなたがそんなに冷たくて、頭の悪い人だったなんて思わなかったわ……! 

 

 ――捨てるなんてとんでもない。大変感謝しますよ、もちろん。

 

 ――でもあの女と縁を切るつもりはないんでしょう? ああ、私のレクトール様はあんな女に惑わされたりなんてしない、誠実に私だけを愛してくれる人だと思っていたのに……。まさか自分の過ちさえ認められない、こんな愚かな男だったなんて!……いいえ、いいえ……そう、あなたはもう私のレクトール様ではないんだわ。きっとキャラが壊れてしまったのね、あいつのせいで。ああなんて残念なの……私、こんなに頑張ったのに。なのに全部、全部無駄だったなんて!


 ええ……ヒメ、どうした……。

 彼、壊れるどころが最初からあんな人だよ……?

 最初っからあんな仮面のように美しい笑顔を貼り付けて、でも本当は何を考えているのかよくわからない対応をする男だったよ……?

 一見愛想はいいのに本音が見えないから、だから最初は私も軽くてチャラい男だなって思っていたんじゃないか。


 彼女は今まで、ずっとゲームに出てきたレクトール将軍という攻略キャラとあのレクトールを重ねて夢見てきたのだろうか。そしてゲームでは無かったであろう彼の反応が信じられないということか?


 あのゲームの中では夢のように完璧で、真面目に熱く愛を語るレクトール将軍だったのだとしたら、それはちょっと見てみたかったね、私も。さぞかし素敵だったんだろう。

 

 でももし私があのゲームで彼に出会っていたら、もしかして今この現実にいる彼とのギャップに私も戸惑ったのだろうか。

 

 私の知っているレクトールという人は今では、躊躇もなくすぐに最高級品をぽんぽんと買ってはしれっとしていたり、「雄々しい聖女」に守ってもらいたかったとか何故かうっとり吐露したり、そうでなくても常日頃から何かとすぐに言動がチャラくなってしょっちゅうウインクしてくるような男だよ?

 

 今思いつくだけでも「カッコイイ」とは反対なところがポロポロあるよ? それが通常運転だよ? むしろ改めて考えてみると、結構ダメ男寄りなのでは……?


 などと思わずリアルに首をひねっていたら。

 

 バターン!


 乱暴にドアを閉める音がしたのだった。

 もしかして、ヒメが出て行ったのかしら?


「にゃおん」

『怒って出ていっちゃったわねー』


 うーん、やっぱりそうか。


 ――アニス、聞こえるか?


 はい。まあ知っているよね、私が聞いていたことなんて。彼にはロロの言葉がわかるのだから。


「聞こえるわよー。何故かご存じのとおり、ちょっと監禁されているけれど。ここは一体どこなのかしら?」

 

 そしてそのままの台詞を律儀ににゃうにゃう伝えるロロだった。


 ――今、急いで君の居場所を調べさせている。わかり次第すぐに馬車を送れるように手も打ってある。だが範囲が広すぎる上に今こちらもちょっと手が足りなくて、残念ながらまだ絞り切れていないんだ。すまない、もう少し待っていてくれ。できる限りの圧力と脅しは「グランジの民」にかけているから、命の危険は無いはずだ。無事だな?


「うん、大丈夫。不自由はないです。ありがとう。でも私も場所がぜんぜんわからない上に人質を大勢とられているみたいで動けないの。あなたは無事なの? 何も異変はない?」


 ――全く問題ない。そこは心配しなくていい。そっちに行く可能性もあるから、今のあの偽聖女の後をつけさせる。もしなんとか逃げ出せたらロロを通じて知らせてくれ。


「わかった。でもこんな会話ができるのなら、ロロを置いてきて結果的にはよかったわね」

 

 ――そうだな。実はガーウィンの鳥の多くが不調で、今、使える数がすごく限られているんだ。そのせいもあって君の居場所の特定も難航している。だからロロがいてくれて正直助かっているよ。


「鳥が、不調?」

 あらまあ。鳥たちと会話ができるから、ガーウィンさんの管理は完璧だったはずなのに、そんなこともあるのね。


 ――どうやら伝染病のようなんだがガーウィンも聞いたことのない状況らしくよくわからないらしい。なのにバタバタと飛べなくなってしまってね。そんなわけでロロには今、ちょっと急ぎの仕事を手伝ってもらっているんだ。


「にゃあーーん!」

『不本意ーー!』


 でも彼を助けてくれているんだね。ロロありがとう。


「にゃあー……」

『いいのよ……主の番の頼みだし……』


 ――お陰で最高級マタタビの減りが早いんだが……。


 ああ、はい……しっかりモノでも釣られてもいたのね。ロロはちゃっかりしていた。

 

「じゃあ私はとりあえずここで馬車を待っているわ。だからあなたは私が帰るまで、ちゃんと元気でいてくださいね? 冬なんだから、うっかりいつもみたいに半裸でうろうろしないでくださいよ? 温かくして早めに寝るようにもね? 今風邪をひいても私は治せないですからね? 怪我や事故ならロロがなんとか防げても、風邪や病気は無理ですからそこだけは自衛してください。そして雪が降る前に、なんとか私が帰れるように祈ってください」


 ああ、うん――……。


「にゃあーん?」

『なんか、だらしなく笑っているよー?』


「ちょっと、私は真剣なんですからね? 本当にお願いしますよ?」


 ――大丈夫だよ。ああ早く君が帰ってこないかな……会いたいな。


「ああ……うん、そうね。……私も会いたいわ」

 

 そう答えた時、私はしみじみと思い知らされたのだった。


 彼と離れてから、私はずっと彼に会いたいと思っていた。

 今も彼の声だけで、彼がどんな顔をしているのかが想像できるくらいに彼の顔がすぐ浮かぶ。

 ちょっと寂しそうな微笑み、ほのかに照れるその顔を、私は直接彼の近くで見ていたいと心から思った。


 私は彼と離れてから、ずっと彼のことばかり想っている。


 だめだなぁ……。

 

 全然……ぜんっぜん! 釣り合わないのに。

 

 なのに私は本当にこのままずっと、あのキラキラしくも派手に美しい顔の横で「え? あの地味なのが妻……? ええ、しかも聖女なの?」という視線がつきささりながら生きるのだろうか。

 

 つまりは、私は一生あの人に「ふさわしくない妻」という負い目を感じながら生きるのだろうか。


 もしいつか、彼にもっとふさわしい人が現れたとしても、それでも私はきっとあの人のことが好きで。

 そんな日が来たらいったい、私はどうなってしまうのだろう。正直そんな状況なんて死ぬほど嫌だ。

  

 でも今や、自分の命を考えるとそれが一番安全ともね……たとえどんなに居心地が悪いとしても。ああ、地味な自分が恨めしい。


 うーん、彼に釣り合うにはどうすればいいんでしょうね?


 

 そんな事を悩みつつ、レクトールが救出してくれるのを大人しく待っていたある日。

 突然ドアが開いて、全く予想していなかった招かれざる人が姿を現したのだった。


「え……? なぜ、ここに……?」


 私は茫然と立ち尽くすのみ。


 でもヒメは、晴れやかな笑顔で言ったのだった。


「お久しぶりね、邪魔でしぶとい目障りな聖女様」

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