転生サポートセンター 東アジア支部

戸谷真子

吉沢桜子の場合

「――さん、吉沢よしざわさん。吉沢桜子よしざわさくらこさん」


 桜子は目を開けた。ぼやけた視界が、徐々にクリアになってゆく。


「……転生サポートセンター東アジア支部の九鬼くきと申します。お加減は如何ですか?」


「……え?」


 あたりを見渡す。敷き詰められた青いカーペット、正方形の白いテーブル。対面に座る九鬼と名乗る男の後ろには、薄く黄みを帯びた古いホワイトボードがある。桜子が務めている会社のミーティングルームそのものだった。ただひとつ、窓がないことを除いては。

 桜子が椅子に座ったままほうけていると、男はふっと笑った。


「この部屋は転生予定者の脳内から、これからのことをお話させて頂くに相応しい場所を読み取り、反映するのです」


「は……あ。……えぇ?」


 九鬼と名乗る男の容姿は、桜子が思い浮かべていた理想の男性像そのものだった。ゆるく波打つ整えられた短い黒髪に、まなじりのあがった涼やかな目。からだに沿ったスーツの下に鍛えられた肉体が隠されていることは一目見ただけでわかる。

 桜子はふいと男から目を逸らした。さて彼女はといえば、ずるずるにのびた袖口の灰色のスウェット上下に裸足はだしというひどいいでたちだ。


 九鬼は足元に置いたかばんの中からタブレットを取り出し、何度かスワイプしたのちにまっすぐ桜子を見た。


「吉沢桜子さん、でお間違えありませんね」


「あ、それは、はい。吉沢です。それより――あの、なんでわたしはミーティングルームに? たしかお風呂からあがってすぐベッドに横になったはずなんですけど」


「あなたは死にました」


「え?」


「死んだんです。心臓麻痺で眠るように」


「ええ……?」


 困惑をみせながら、桜子は艶のない黒髪をぐしゃりとかきあげた。お茶を飲みました、みたいな軽さで死を告げられても信じられるはずがない。髪をかきあげた手を下ろし、桜子は肉づきのよい手のひらを見つめながらつぶやいた。


「でも、わたし」


「わかりやすく言えば、あなたはいま霊魂れいこん――のような状態です。かたよった食生活、慢性的な運動不足。我々が手を下すまでもありませんでした」


 桜子はうつむいたまま顔を赤らめた。

 体重はすでに八十キロ目前にまでふくれ上がっていて、たしかにここ数日、胸には針を刺すような痛みが走ることがあった。あれが前兆だったのだろうか。桜子が考えを巡らせていると、ふと九鬼の視線を感じ、桜子は顔を上げた。


「これからのことを簡単に説明させて頂きますと――そうですね。聞いたことはありませんか? トラックに轢かれて異世界へ転生するお話」


「……え? あー、なんか流行はやってたみたいですね……?」


「あれはですね、別の平行世界からあなたたちの世界に転生したひとたちが書いた実話が流行りゅうこう大元おおもとなんですよ」


「へ、へえ……?」


「でも毎回トラックにかせるのもどうかと我々のあいだでも議論になっていたんです。ただでさえの運送業は人手不足ですし、やはり転生者さんたちからも不評でしてね」


「あの」桜子は対面に座る九鬼をちらりと見た。「つまりわたしは、転生するために?」


「はい。そのためにお呼びしました。ああもちろん、あなたが自然に亡くなってからですよ? ちょうど今月はあとひとりぶんの転生枠が空いていたので」


「軽い理由なんですね……」


 桜子は生前、商社の派遣事務員として働いていた。業務は入力業務が主で、あとは給湯器やコーヒーメーカーの清掃、備品の発注など、とにかく雑務全般が彼女の役割だった。――しかしそれらは来春から正社員での入社が決まっているアルバイトの女の子に奪われつつあり、肩身が狭くなっていたところだ。悔しさはない、うっすらとした喪失感があるだけだった。


 そんな桜子の唯一の楽しみは、毎日定時に退勤し、ワンルームのアパートにこもりゲームをして過ごすことだった。

 早くに両親を亡くし、きょうだいも親友もいない桜子にとって、ベッドに寝転がり袋菓子をつまみながらゲームをしているあいだだけは、将来の不安が吹き飛ぶ。大切な時間だった。――そのだらしない姿のまま死んだのだろうか。桜子は頭を抱えた。せめて袋菓子に手を突っ込んだままでなければいいけれど。


「あの、どうしてわたしなんですか? 転生とかってよくわからないけど、生きてるときにいことをしたとか、そういうひとが選ばれるんじゃ?」


「あぁ、そういうのは関係ないんです」


 九鬼はきっぱりと言い切った。


「人間の世界って複雑でしょう? 時代や国によって善悪の概念ががらりと変わりますよね。たとえば戦争中にはたくさんひとを殺したとしても罪に問われないこともありますが、吉沢さんの時代でそれをやっちゃあ大問題でしょう?」


「ええ、それは……そうです」


「だから我々の善悪の基準をそちらに押しつけはしません。わたしがあなたをお呼びしたのも、今日たまたまわたしの空き時間にいのちを落とされた方だったから」


「はあ……」


「運がいいですよ、吉沢さんは。お好みをお聞かせくださったらぴったりの転生先をご紹介いたします」


「もとの生活に戻るのは……」


 九鬼は眉を下げて首を横に振った。


「それはできないんです。すみません」


「じゃあ転生しないというのは?」


「それも――できません。我々のリストに名前があがってくる方というのは、人生をやりなおしたいとか、違うところに生まれたかったとか、そういう気持ちを無意識に持っている方なんです。あなたもそうだったはずですよ」


 桜子はうつむいた。たしかに不安定な将来を見ないようにゲームに情熱を傾けていた。もしゲームの世界に生まれていたらと空想することがあったから、リストに名前が載ったのかもしれない。


「――馬鹿ですよね。三十五歳にもなって、空想ばかりしていました」


「空想は悪いことですか?」


 九鬼は首を傾げた。その眼差しは揺らがない。

 彼の心からのことばに、桜子は救われた気持ちになった。


「……転生先には、どんなところがあるんでしょうか?」


「いちばんの人気は、織田信長おだのぶなが氏の周りへの転生ですね。信長氏付きのシェフや商人になった方もいました。信長氏本人に転生した方もいます」


「本人に?」


「いくおくもある平行世界には、そういう世界もあるということです。ほかには魔法のある世界でハレムをきずいたり爵位しゃくいのある名家の令嬢になったり。最近はこんな感じですね」


「なるほど……」


「ただ、過去への転生は歴史にある程度明るくなければ難しいでしょう。吉沢さんの歴史の成績は……ああ、これだとちょっと、難しいですね……」


 タブレットには桜子のすべてが記載されているようだ。


「あの、昔っから、学校の勉強って苦手で」


「卒業してから自主的に学んだことは?」


 桜子は少し考えて、「秘書検定……ぐらいでしょうか」と答えた。九鬼はふむ、と口元を押さえた。


「秘書検定の二級ですか。――それより上は受けられなかったのですね」


「……はい。実技がどうしても、嫌で」


「では、ひと前に出るようなことがないような人生がよろしいでしょうね」


「あっ、あの、いえ」


 桜子は白いテーブルに腕をのせて身を乗りだした。


「わたしは、太ってて、美人じゃないから、無理だと思ったんです。痩せてて美人だったら、きっともっと上を目指しました……!」


「なるほど」


「美人になりたいです。それから太らなくて、平和な世界だったら、どこでも」


 テーブルに置かれたタブレットに手をかざし、九鬼は画面のなかにぬるりと指を差し入れた。桜子は目を見開いたものの、声をあげるほどの驚きはもうない。


「あっ、それ――」タブレットの画面から九鬼が引き抜いたのは桜子のゲーム機だった。長方形の液晶画面の短い両辺に赤と青のコントローラーが取り付けられている。


「あなたと話していると、たまにこのゲームに関する思念が伝わってきます。思い入れのあるものなんですね?」


「そうなんです」桜子は肉厚の頬を染め、ぱっと笑った。「乙女ゲーなんですけどオープンワールドで、攻略対象が多いのが特徴なんです。でも推しのオズワルドさまはやっぱり難易度が高くて。最初は畑仕事をしながら少しずつお金を貯めていって、ビジネスの才能を買ってくれる爵位をもつ貴族のところに養子に入って学園生活をはじめるまでが……」


 たたみかけるように言葉を紡いでいた桜子ははっとして口をつぐんだ。


「ごめんなさい。喋りすぎました……」


「いいえ」九鬼は首を横に振った。「吉沢さんの興味のあることが分かって嬉しいです」


 ゲーム機を差し出され、桜子はそれを受け取り、画面を撫でた。


「でも、もうプレイできない、ですね……」


 そんなことはありませんよ、と九鬼は言った。


「ゲームのある平行世界もありますし、ゲームの中に転生する方も増えています」


「ゲームの中に? そんなこともできるんですか?」


 桜子はゲーム機に落としていた視線を上げた。


「はい。ゲームの世界に入ってバッドエンドを避けるために、郊外でのんびりスローライフをおくったり、カフェを開いたり、侍女になったり……なんていう事例もありますよ。わたしの管轄外ですが」


「あっ……確かに、そういう小説、読んだことあります。じゃあわたしもこのゲームの中に入れるんですか!?」


「もちろんです。ただ心配なのは、やはりゲームの世界ですから……吉沢さんの生きてきた世界とは違いすぎて困惑されるかもしれません。強く望んでゲームの世界に転生して、後悔なさる方も多い」


「そんなこと……わたし、このゲーム何十回もクリアしているんですよ」


 桜子が控えめに笑うと、九鬼は腕を組み「たとえば」と口を開いた。


「とあるキャラクターが部屋に出現するのが夜九時だと決まっているとしますよね。転生したあなたが部屋で待っていたとして、九時になったらそのキャラクターがばっといきなり現れるわけです」


「いきなり」


「ええ。最初からそこにいたかのように。それから何度話しかけても同じことしか喋らないとか――所詮しょせんゲームですから、開発者が意図したこと以外はうまく動かないようです。スローライフをおくったり侍女になったりというのは、おそらくゲームにもともとそういう要素があったのでしょう」


「そういう……ものですか」


 ゲームの中に転生する令嬢ものの漫画や小説には、そんなことは書かれていなかったはずだけれど。そう思いながらも、桜子は口をつぐんだ。


「わたしとしましては、ゲームに近い世界観を持った現実の平行世界に転生することをお勧めいたします」


 タブレットの画面に数か所触れて、九鬼が導き出したのはみっつの世界だった。


「こちらは魔法学校に通う美女への転生、そしてこちらは荒れた領地を立て直す伯爵令嬢への転生――」


「あの!」


 桜子は九鬼の言葉をさえぎった。

 視線はテーブルに落としたまま、声を荒らげる。彼女は必死だった。


「でもその世界にはオズワルドさまはいないんですよね。それじゃ意味ないです。この現実とどんなにかけ離れていても、わたしはオズワルドさまのいるゲームの世界がいいです」


 しばらく黙っていた九鬼は、最終的には桜子の想いを受け入れ、「わかりました」とうなずいた。






 ※※※







 桜子の霊魂をゲームの中に送り込んだあと、九鬼はとたんに無表情になり、深いため息をついた。その瞬間、ミーティングルームは湯気のように立ち消え、あたりは暗闇にのまれる。


 そこに一匹の蝙蝠こうもりが闇の奥からパタパタと飛んできて、九鬼のまわりをくるくると回った。


「ニンゲンって馬鹿だねぇ、善意だけでネガイゴトを叶えてくれるヤツなんかいないって、なんで気づかないかねぇ」


 甲高い声でキィキィと嗤う蝙蝠こうもりに、九鬼は「まったくだね」と同意した。「でもこれでしばらく養分には困らない」九鬼がタブレットをかばんにしまうと、かばんはふわりと宙に浮いてやがて消えた。彼の手に残るのは桜子のゲーム機だけだ。


「でもオレさあ、たまには幸せのあま〜い味を吸いたいんだけど」


「ヒトガタを取れるようになったら自分で回収するんだね。わたしはニンゲンが苦しみ抜いたときの、ほろ苦い味が好みなんだ」


「兄ちゃんが勧めた転生先を選んでたら、あのコの養分も甘くなったかもしれないよ?」


 九鬼は失笑し、首を横に振った。


「努力嫌いのモノグサは、どこへ行ってもおんなじさ」


 ゲーム機をほうると同時に九鬼は蝙蝠こうもりの姿に戻り、二匹はキィキィとわらいながら、深い闇の奥へと消えていった。



 残ったのは静寂。そしてゲーム機の画面から漏れる一点の光だけ。

 そこに「たすけて」の四文字が表示されるまで、さほど時間はかからなかった。





〈完〉

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転生サポートセンター 東アジア支部 戸谷真子 @totanimako

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