第17話

一定期間何も食べずに過ごしたことはある?

修行僧などが自身に苦行を与えて精神を鍛える事もあるけど、最近では健康の為にあえて短時間断食をして老化を抑えたりする事で話題になっていて、実は私も何度か試したことがある。

外食が続いて思った以上に体重が増加しちゃって、相当ショックを受けた。運動でどれだけ体を動かしてもカロリーオーバーだと体重の増加はどうしても免れない。

まあ、私も年頃の女の子だったし普通の反応だよね。だったと言うと語弊があるけど。友人からはいつも食べているのに全然体型が崩れなくて羨ましいなんて言われるけど、これでも一応努力はしているんだよ。

都内で有名なシェフが3日間だけ一般向けにイベントで料理を振る舞ってくれる事があったので私は3日間全てに参加した。なかなか味わえない凄腕の職人に巡り会える数少ないチャンスだったし、毎日違ったメニューを作ってくれるから毎日飽きなかった。

そこで幸せ太りをしちゃったんだよね。おそらく平均した1週間分のカロリー分異常は軽く越えていたと思う。

そこで危機感を感じた私は同じ3日間断食を行った。カロリーを0にしないといけないから基本は水やカロリーを含まないお茶。食べることを生き甲斐にしている私にとっては本当に地獄。

どうしても我慢できなかったら最悪の場合塩を舐めて炭酸水で空腹を紛らわしていた

「ねえ、最近元気ないね。なんか疲れている?」なんて心配の声を浴びていたけど、なんとか生きていた。3日食べない程度では人間簡単には死ない。

4日目で食事が解禁されて初めて食べたのが、塩おにぎりと煮干しだ。何とも嬉しい母の献立は昔から変わらず寂しいが、最近と比べるとまだ頑張っていた方だ。

そんなことよりも、3日ぶりに食べる食事はとても質素なはずなのにとても美味だった。久しぶりに舌が食べ物を乗せたことでびっくりして重量の軽い煮干しでさえ重く感じ、その素材がもつ苦みや風味がととても強く感じた。

思えばあの時に初めて母の料理で美味しいと感じた最初で最後の食事だ。

前置きが長くなったが、つまり私は味覚を失って何を食べても感じなかった味を、学食のおばちゃんが作ってくれたカレーの味を理解した事であの断食後に食べた最初の1口の感動に似た状態なのだ。

嬉しかった。

嬉しくて涙がどんどん流れてくる。

「そんなに泣くほど喜んでくれるなんて、おばちゃんの腕凄いな。」

驚く表情から一変して呆れた顔になり。

「でも、私の分くらい残してほしかったな。」

気付けば皿のカレーは食べ尽くしていた。人の食べ物を跡形もなく食べ尽くしてしまうこの状況は周りから見れば維持の悪い光景だっただろう。

「ごめん。」

一言を告げその場をすぐに立ち上がる。

立ち並ぶ人の間を駆け抜け、その足は速足で食堂へと向かった。

「このカレーを作った人は誰!?」

狭い厨房には大きい声で呼び、このフロア全体に響く。

私の声に反応してフロア一同が振り向き互いに目を合わせる。何だ?何だ?とそこら中から聞こえてくる。

厨房内の皆が一人の女性に一点に視線を向ける。その女性は頭に被った頭巾を深く被り直し返事をする。

「私ですが、何か?」

何か怯えたように返事だった。まあ、急に責任者を出せ的な事を言われるとまたクレームか何かと警戒しているのかもしれない。話によれば苦情があった時もこんな前触れもなく訪れたのだろうから。

目を隠すように頭巾を整えるのも一種の拒絶反応かもしれない。

私はただ。

「このカレーには何を使ったのかを聞きたいの。」

はい、と返事をして小さな声で説明をする女性。

「にんじんや玉ねぎやほうれん草などあらゆる野菜をペースト状になるまで細かくし、鶏もも肉を入れおります。ルーはスパイスを使っていて、いわゆるレトルトのルーは一切使わない添加物や植物油などを使用しない安全なカレーを作っております。」

いたって普通のカレーのようだ。だが。

「スパイスも私が原材料や配合など細かく調べて作りました。皆様の健康を損なわないように私たちが出来る最善の努力をしております。なので、なので、、、」

徐々に頭を下げ、まるで弁解を求めるように。決して悪いことはしていないと。

私が何か悪いことでもした?

なんだか激しく誤解を受けているようだ。

「いや、ちょっと待ってください。私はただこのカレーが美味しかったからどんな料理をしたのかを聞きたかっただけですよ。」

えっ?と拍子抜けの顔を浮かべようやく目を合わせてくれる。どこか硬かった表情もしだいに柔らかくなり目尻のシワや口元のシワを深く表れてとてもいい表情をしている。

「なんだい、褒めてくれたのかい。私はてっきりまた何かと文句を言われるのかと思っていたよ。あんた、なかなか味が分かるじゃないか。」

さっきまでとは一風変わった態度で堂々としている。先ほどまでは腰が曲がり自信がない印象だったのに、今ではすっかり別人のようだった。人は精神状態で見た目の印象がずいぶん変わるものだと。

「いえ、こちらこそ驚かせるような事を言ってごめんなさい。久しぶりに学校に来たら学食のカレーが見違えるように美味しくなっていることにびっくりしちゃって。それで何を使ったのかを知りたくてつい。」

「いいよ、特別に教えてあげるよ。まずは人参やほうれん草などの野菜類を細かくする為にフードプロセッサーで切って、鶏もも肉と一緒に煮込むんだ。何といってもスパイスの分量だねこれを間違えるとこの味は出ないから秘密だけどちょっとだけ教えると、、、」

熱量の入ったこだわりの製造工程を長々と喋ってくれているが、これと言って特別な事は何もない。材料も普通だし、煮込みなどに工夫がある訳でもない。

なのになぜ、病院食で食べたものやフルーツサンドは何も味がしないのか?

なぜ、このカレーには味を感じることが出来るのか?

歯と舌をこすり合わせて残った味を何度も確かめる。

「ありがとうございます。とても美味しい料理をありがとうございました。」

一言、礼言い背中を向ける。

「ねぇ、美魅どうしたのよ急に。」

突然背後から呼びかけられた彼女と目を合わせて微笑した。

「うん、ちょっとこのカレーの秘密を知りたかっただけ。」

「でっ!?どうだった?」

「まあ、企業秘密ってことで詳しい事は聞けなかったけどね。とても美味しかったと伝えて終わった。」

なんだと彼女達は何の疑いもなく納得してくれた。秘密どころかむしろ気に入られてベラベラとレシピやこだわりの隠し味までも教えてくれたのだけれども、彼女達にそれを話しても理解はしてくれなさそうだから。彼女達が求めているのは私が熱心に食について聞き込みをしている行動に興味があるだけで、中身には興味はないのだから。

そんな事は分かっている。そんな事が知りたいんじゃない。そんな今更答えが分かっていることが知りたいんじゃなくて。

テーブルに戻り腰を下ろす。

「ごめね、全部食べちゃって。この金額は後で返すね。」

「全然いいよ。私も1口だけなんて言わなかったしね。」

私なら間違いなく怒っているとことを、笑いながら許してくた彼女の心意気に感謝するしかない。食べ物の恨みは怖いと聞くけど、案外そうでもないのかもしれない。

「でも、こんなテレビのバラエティみたいなやり取りがまさか本当に起きるなんて、ちょっとビックリしたよ。おかげで、腹3分目くらいで丁度いいダイエットになるかな?」

やっぱり怒っているようだった。皮肉もどこか鋭さを感じる。

「本当にごめん。よかったら代わりにこのサンドイッチ食べる?」

テーブルに置いてあった1口だけの食べかけのサンドイッチと残りの2切れでどうか手を打ってくれないかと交渉をする。

カレーを奪ってしまった罪深さを、サンドイッチの価値で補えるものではないと理解はしているが今提供できるものはこれしかない。

仕方ないとサンドイッチを手に取り一切れを小さな口元を大きく開き食べる。

「う~ん。美味し~。少し辛い物を食べた後のデザートは最高の組み合わせだね。」

まるでコース料理を食べているかのような物言いに聞こえた。確かに口元に残った刺激が甘いフルーツとクリームで緩和されて、まろやかに締めるのは至福だと分かる。

ごくりと唾を飲み込む音が聞こえる。

振り向くと隣にいたもう一人の彼女は何やら物欲しそうな表情で彼女を見ている。いや違うか。正確には彼女の、いや私があげたサンドイッチの方を見ている。

「ねぇ、私にも1口分けてくれない?」

腰を下ろし低姿勢でおねだりをする姿勢は猫のように甘くじゃれつく。

仕方ないなと1切れをあげた。その時は我慢していた感情が一気に解放されたように。

「う~ん、美味し~。少し辛い物を食べた後にはデザートは欠かせないよね。」

さっきとほとんど同じリアクションとセリフがデジャブする。ぷっくりと頬をふくらませ、表情で最大の感情を表現する。

2人の反応を見ていると唾液が口の中でじわじわと増えはじめていく。さっきまでカレーを食べて満足したはずなのに何だかあまりにも美味しそうに食べるものだから。

「ねぇ、私にも1口分けてくれない?」

数秒前にも聞いた同じセリフを口が勝手に喋ってしまった。

2人の絶句した表情が私の開いた口を固めてしまう。

流石に呆れたという言葉を口に出さずとも、特別な力などなくとも脳内に直接伝ってくるのが分かる。

「ちょっと私のカレーを食べておいて、その上自分で差し出した物をまた食べたいなんてあんたねぇ」

彼女からあんたなんて言われたのはこれが初めてかもしれない。高校に入学してそれなりに付き合いは長いけど、私を名前でなく代名詞で呼ばれるなんてとても驚きだった。

「まったく美魅の食欲には本当に、何というか逆に尊敬するよ。」

そう言って残りの1切れを差し出す。

尊敬とはどういう意味なのだろうか。逆にどんな感情を抱いたのだろうかと思ったがここはグッと息をこらえて堪えた。

手に取った感触と共に意識が一瞬止まった。

「美魅、、、、、、みみ」と呼ぶ声が聞こえて意識を取り戻す。

時間はもう既に昼食の時間があと5分で終わろうとしていた。急いで急いでと2人は学食を出て教室へと向かう。

一瞬だが記憶がない。どうやら最近の私は意識が突然抜ける事が頻繁に起きてしまっているようだ。何かを考えている時や嫌な事を忘れたい事が引き金で出る症状らしい。病気ではないだろうが治療法があるのなら教えてほいい。

「何を忘れたかったのだろうか?」

テーブル上は綺麗に片付けられていてさっきまで食べていたであろうカレーの米粒などが少しだけ散らばっている。食堂の方が生徒達の後片付けをしている最中みたいで、邪魔をする訳にはいかないと私も教室に戻ろうと思った時、またしても声をかけられる。

「ちょっとあんた。」

声と共に振り返る。が、本当に私が呼ばれたのかを辺りを見渡し確認するがおばちゃんと目が合う。

「ほら、あんたこの席に座っていたでしょう?これあんたのパンじゃないの?」

やっぱり私なのだと思い、おばちゃんの元へ向かい渡された品を受け取る。

破れた包装紙に一切れのイチゴが挟まったパン。その食べかけを。

「このくらいの一切れを食べきってちょうだいよ。残すなんてもったいないでしょう?」

手渡すと目も合わさずにすぐに作業に取り掛かる。

「私が残した?このパンを?」

母親が作るお粗末な手抜き料理に文句は言っても必ず食べるし、素材を殺しまくった酷い料理であっても、どんな物でも生産者や作ってくれた料理人には感謝の敬意を持って必ず完食するのは私の信念でだったはずだ。たとえそれが、簡易的に包装紙でチープに包まれたパンであってもだ。

だから目を疑った。今までの経験からしてこんな事は一度もなかったはずなのに。

最近は何度、自分自身を疑ったのだろう。

疲れた。

チャイムが鳴り体が即座に反応して、教室へと向かう最中に手に持っていた一口サイズのパンを口の中に放り込んだ。

心と同じく無のまま。








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