第16話

「ちょっと魅味聞いたよ。さっき年上の彼氏に送ってもらったんだって?」

何やら私の知らない間にとんでもない誤解をされているみたいだ。

彼氏って誰だ?私にそんな桃色の甘い生活があっただろうか。甘みのない質素な食生活なら送っているがみんなが持つ私のイメージを崩さない為にも今はまだカミングアウトはできない。

話を推測するに、どうやら遠目からは男の車から私が下車しているように見えたらしい。確かに、母は線も細くて髪もショートカットでパッと見は男性のようにも見えなくもないが、窓から少し顔を出した程度でそこまで誤解されるなんて。

「愛しているよなんて言う為に呼び止めるなんてちょっとナルシスト系?」

そんな臭いセリフを平気で言う人間がいるのか。今時の少女漫画やドラマでもそんなシチュエーションでセリフを言う奴なんて読者からキモイと言われて即打ち切りものだよ。

憧れはあるけど、実際に言われいているのを想像するだけで虫唾が走る。

「ずっと、休んでいたから心配だったけど男を作るなんてやるじゃん魅味。相手は医者なんでしょ?」

なぜ医者なんて確定しているの?この噂話はいったいどこまで広がっているのか分からないけど、これ以上噂が独り歩きしないように誤解を解きたいところだけど、この数分でここまで妄想が広がっているのであれば、もうSNS並みに学年中に広がっているのかも知れないね。

いや、学園中かな。

そこまで広がってしまってはもう噂が一人歩きするどころではなくて、

2人3人4人と分裂を繰り返して捕獲することなんて不可能かもしれない。

そもそも1人歩きなんて表現はおかしいくて、だいたいこういう時は気づいたら話が大きくなっているのがオチだったりするので最初の話とは大きく異なる事が多い。

ハンバーグをオーダーしたのに知らない間に追加でステーキやデザートまでセットで届いていた感じだ。しかも、ミスなのに関わらず代金までしっかりといただく次第だ。

最悪だ。

まあ、私は間違っても出されたメニューでも全て頂くけどね。

「そんな事よりさ、これからお昼ご飯だよね?みんなどうする学食に行く?」

登校してそうそうだか、時刻は12時を過ぎ昼食の時間となっている為、クラスでお弁当を食べる人や学食へ向かう生徒で賑わっている。

「そうだね、行こうか。男の話はその時にしっかりと聞かせてもらうね。」

せっかく話を逸らしたのに、一度噛み付いたらなかなか噛み切らない。

聞いたところで期待した話は出てこないよ。

学食を食べる為にホールへ向かう私達は移動中も他愛のない話を繰り返す。先生の授業がつまらなくて眠いや、最近流行りのSNSの話や他の生徒の恋愛事情だったり、何処かで聞いた事のある内容であり私が休みの間には何も変わっていないのだと分かった。休んでいる間も日常は大きな変化もなく過ぎている事をこの数分で十分に理解した。

もしかしたら私のような出来事が世界中で同じようなパンデミックを起こしたんじゃないかと疑ったが安心した。

いや。

皆んながいっそ同じであった方がもっと安心した?

私だけが...

「どうしたの魅味?」

「えっ!何?」とふと呼びかけに応じる。

「いやだから、何を注文するの?」

気づいたらもう既に学食ルームに入っており、券売機の前に並んでいた。

二人はもう既に購入済で早く早くと背中を前に押し出す。

昼食の時間も限りがある為、もたもたしている時間はない。

最近考え事をしていると周りの声が聞こえなくなるのだが、無意識にもちゃんと目的地に到着するのだから凄いと改めて関心する。

そしてまた考える。

「今日のメニューはどうしようかな。カレーやラーメンなどの炭水化物系や定食などもいいけど、時間の事も考えると既に調理されているサンドイッチは手軽に済ませられる。2人もカレーを選んでいるみたいだしここは合わせるのもいいと思うけど、しかし、ここのカレーは市販のルーをふんだんに使っているからちょっと味がしつこいんだよね。いや、ダメって訳じゃないけど、ああゆうルーは油が大量に使われているからこの時間に食べると胃が重くなって苦しいんだよね。それにカレーは何といってもスパイスの豊潤な香りも大事だからね。学食のカレーにはそこまでのクオリティは期待していない。ここは2人には悪いけどサックと食べられるサンドイッチにしようかな。それもただのサンドイッチじゃないよ。今日は退院祝いも兼ねて奮発してイチゴのフルーツサンドイッチだ。サラダとか入っていないまさにデザートだよ。柔らかいパンと甘~いイチゴが手を合わせた至福のメニューだよ。母からはカロリーの暴力だよなんて声が聞こえてきそうだけど、そんなのはどうでもいいよ。私は今無性に甘いものを欲しているだ。この欲望には決して抗えない。」

券売機にお金を入れ、迷わずお目当てのメニューのボタンを押す。

「はい、では券を頂きます。」

このフロアの料理長及び学食のおばちゃんに券を渡し、サンドイッチを受け取る。

包み紙からも分かるこのパンの柔らかさ、中にはイチゴと白いホイップクリームがぎっしりと入っていて、少しでも力を入れると中身が飛び出てしまいそうな華奢なボディに包まれたイチゴの甘い果実のミックス。これを食べれば間違いなく幸福になる事間違いなしだよね。

1個のサンドイッチをまるで生まれたてのヒヨコを落とさないように両手で抱えながら、テーブルへと着席し2人を待つ。

カレー組の2人はやはり時間がかかっているようだ。

まだかなまだかなと思いながら辺りを見渡して違和感を感じた。

また私の身に不可解な現象が起きた訳ではないよ。そう短い間に何度も何度も起きやしない。大体の変化はある日突然気付かされるものだ。1cm単位で身長が伸びたことに気付く訳じゃなく、多くは他人から「最近身長伸びたんじゃない?」みたいに気付かされる事が多い。私だって胸の成長を実感したのだって中学に入って友達に揉まれて意識したんだし。

これ以上次々と身に起きる変化に気づいてしまったら、本当にパニックになってしまう。

だから、今回の違和感は全然大した事ないし何なら気づかなくても別によかったんだけれども。

「何かカレー食べている人多くない?」

よく見渡すと隣のテーブルも後ろのテーブルも向こうの隅っこのテーブルもみんなカレーを食べている。

カレー。カレー。カレー。カレー。カレー。カツカレー。カレー。カレー。カレー。カレー。

券売機にはたしか他にもメニューはあったはずだけど、みんなそんなにカレーを食べたいの?

「これには何か理由があるのでは?」

母から教わったんだけど、カレーにはかかせないスパイスとしてクミン、コリアンダー、ターメリックの3種類があって、中でもターメリックにはクルクミンと言う脳機能を高めてくれる効果があるらし。

インド人は高齢者でも認知症が少なくて、頭のいい人が多いのはカレーをよく食べているからと言われるので勉強をするときにはとてもいいらしい。

「だからって、みんなそんなに食べたいの?テスト期間でもあるまいし、いつからそんなに真面目になったのよ。私がおかしいの?」

せっかくのフルーツの香りが強烈なカレー臭の影響で分からなくなりそうな位そこら中から香ってくる。

「お待たせ魅味~。」

上機嫌なテンションで席に着く二人。

目の前にはカレーが2つ。知ってはいたけど、改めてカレーなんだと息を吐いた。

頂きますと声を合わせ、スプーンに白い米とルーを一緒に1口2口と可愛らしい女の子の口を大きく広げ食べる。食べた瞬間から唇の血色がよくなり少しだけ色っぽく見え可愛い。

「う~ん、美味しい。」

本当に美味しそうだった。

「ねぇ、何かみんなカレーを注文しているよね?それに2人ってそんなにカレーが好きだったなんて知らなかったよ。」

むしろ今まで一緒に食べてカレーを食べているところなんて数回しか見たことがない。

「あ~、最近ね学校の食堂のメニューにクレームがあったらしいの。」

「クレーム?一体誰が?」

「何でもどっかの生徒の母親が言ったらしくてね、子供に保存料や添加物が入っている物を食べさせると脳に影響が出来たり健康に良くないから、そういった物は排除するようにとかクレームがあったらしいよ。」

この知識はいつの日か母が教えてくれたような気がする。コンビニの総菜や弁当に対して砂糖まみれなの、添加物まみれなの連呼している様子を目の当たりにしているからこそ想像してしまう。

「うわっ!そんなことまで言われるなんて気にしすぎだよね。」

つい声のトーンを上がってしまう。確証が無いにせよ、他人事とは思えず動揺を隠しきれない。

続けて話が進まり。

「そしたら食堂の人がルーを使うのを止めてね、スパイスだけで作る完全無添加の絶品カレーが出来上がった訳ですよ。」

2人は尊敬の念を込めて話しているが、私にはそんなに驚くことなのだろうかと感動は少なかった。確かに、自作でレトルトに頼らずに1から作るのは素晴らしいことなのだが、カレーはクミン、ターメリック、コリアンダーの3種類を入れれば完成する失敗の少ないシンプルな料理なのだ。むしろ、今までそんな簡単な手間を加えずに楽をしている事に気付くのは遅すぎではないだろうか?

「しかも、何かこれを機にカレー作りにハマっちゃたらしくてね、更にスパイスの種類を増やしたり分量を細かく計量して、隠し味を加えたり美味しいのよ。しかも、その味は毎日変化していて飽きないのよ。」

それは凄い。その味わいを是非とも食したい、食したいところだが、残念ながら私の今の気持ちは芳醇な香りを漂うスパイスカレーよりも、目の前の可愛らしいフルーツサンドの方にか興味が向かない。

久しぶりに食べる甘い食事だ。しばらくの間、質素な味しか食していないのだから、ジャンキーな味が欲しくて欲しくて、口の中は唾液で満たされている。

両手でパンを手に取り。

「いただきます!」

と声を上げ口のなかに力強く入れ込んだ。

1回、2回と何度も何度も噛んだ。

固い肉を何度も噛む程でもないだろうが、良く噛むことで深く味わえ、深い満足感を得られる。

それが今までやって来て分かった料理を深く味わう為の確かな方法だったから。

「うん、美味しい。」

今回も変わらない。何も変わらない。

イチゴの酸味も、穂のかに感じる甘味のあるパン生地も、クリームの濃厚な甘味は喉を通っても感じない。

分かるのは、イチゴのざらつきと、サクサクとしたパン生地と、舌触りが滑らかなクリームの食感だけだった。

こんなに甘味のないデザートを食べたのは生まれてはじめてだった。

私の身に起きた異常は変わっていなかった。

病院食がただの薄味だっただけだと思うようにしていたけど。

甘味で満たされるべき筈のスイーツさえ味覚を感じないと言う事は。

認めるしかない。

だけど、

「はぁ~、このクリームとイチゴの甘さが私を満たしてくれるー」

精一杯の演技だった。

「めっちゃ、美味しそうに食べるじゃん美魅。」

「だってここ数日薄味の病院食ばっかだったからさ、久しぶりだからもう美味しすぎて。」

ごめんなさい。本当は美味しくも何ともない。口に運ぶ度にまるでティッシュを詰め込んでいるかのような気分だ。味もなく虚しい舌触りだけが残る。料理に対してこんなにも虚無感を覚えるなんて私にとっては地獄だ。

でも、日常を壊したくないから。2人にこの現状を話しても信じてもらえないから。この世界から一人だけ取り残されたくないから。だから必死に演じた。グルメバカでそのくせ食い意地が張る今までの私を演じた。

「ねえ美魅、良かったらさこのカレーの味見してみる?」

「えっ!?」と私は突然戸惑いなんでと聞いた。

「味にうるさい美魅にこのカレーを評価してもらおうと思ってさ。学食のカレーのクオリティは果たしてレストランと比べるとどうなのか?私が言うのもなんだけど結構美味しいと思うんだよね」

まるで自分が作ったかのように自慢する2人の表情をしている。

しかし、今の私は、、、。

「なんか反応悪いね。いつもだったら秒速で食べようと構えるのに。」

怪しまれているようだが、もう普段の自分自身が本当はどうなのか分からなくなる。

どうだったんだっけ?どうやら私が思っている以上に食い意地が張る性格のようだ。

戸惑いながらもカレーの容器に手を触れ目の前に移動させる。

いつものように振る舞えばいい。

1口。

そう1口だけ食べて、そのあとの感想はこう言えばいい。

「たった数日でここまで美味しくさせるなんて凄いね。これはみんなが絶賛するのも分かる」と。

味の感想を中途半端に評価したところできっとまた詮索されるかもしれないから、ここはみんなが認めているカレーそのものに同調すればいい。

中身よりも美味しかったという共感があればいい。

今はそれだけでいいい。

そして自然にスプーンを口の中に運ぶ。

「どう味は?」

「うん、美味しくじゃない。数日でここまで美味しくするなんて凄いじゃない。」

美味しい。

そう美味しかったんだ。

「お肉もきっとワインでと味と煮込みをしっかりとしているし、前まではじゃがいもを使っていたけど、今回はじゃがいもが入っていないからやぼったい味がしないし」

声がだんだんと震え小さくなる。

「このあっさりとしながらも爽やかな後味はカルダモン?もしかして?グリーンじゃなくてホワイト?」

味を確かめたくて、何度も何度もカレーを食べていく。

「ちょっと、一口って言ったじゃん美魅!」

何度か呼ばれた気がするが、今は目の前のカレーに夢中なっている。

噛めば噛むほど米の甘味とスパイスの辛味が複雑に絡み合い口が止まらなくなり、やがて視界がぼやけて目の前が見えなくなっていた。

涙で塞がれた視界の先にはもう空の皿しかなく、最後の味は水っぽいほんのり甘い味がした。

「ちょっと美魅泣いているの?何?そんなに美味しかった?」

さすがに意表をつかれたのか、想像していなかった反応に戸惑う2人は困惑している。

息を飲み込み、うまく喋れない状態の中で正直に言葉を出した。

「うん、凄く美味しい。」

そして涙がほんのり甘い事をこの時はじめて知った。



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