第11話
無機質な部屋から無感情に女性の声が部屋中に響き渡る。
知らない声。特に関心も持てない特徴のない声が画面から拡声して過去や現在の情報をテロップをはさみながら解説していく。
今起きている地球の反対側の話や生活の役に立ちそうな情報が、テレビという媒体を使い映像として私達の記憶に植え込もうとする。だがその情報のほとんどが役に立つことは少なく、それ程重要な事は自然と直接人を通して耳に入ってくるものなので、今では娯楽のようにただ何となくそこにあるだけで大きな影響力はない。
一人ただ呆然と過ごすことが退屈なので、暇潰し程度に活用しただけだ。
いや、悪夢を思い出したくなかったんだ。嫌なことがあれば気を紛らわすのに調度良かったから。
だから、暇つぶしから何かを得ようという、やましい欲求などスケベ心など無かったが、とあるニュース番組で見つけてしまった。
「昨日の起きました30代男性の殺人事件につきましては、今も尚犯人を捜索中であります。一緒に倒れていた意識不明の女性高校生は無事に意識を取り戻し、現在入院中とのことです。」
アナウンサーは端的に用意された記事を朗読して、次のニュースへと移った。
きっと多くの人にとっては一瞬目に止め不安を抱くだろうが、すぐに忘れてしまうありふれた事件だ。
きっと誰の記憶にも残らない不幸な事件だと。
だが、被害を受けた本人にとってはこれからこの記憶と共に生きていかなければいけない呪縛だ。
気を取り乱した私の様子を心配した母はすぐに抱きつき優しく介抱をしてくれた。久しぶりに母の胸にしがみ付いたとき、柔らかな感触と母親特有の包容力で怯えていた体が一気に冷静さを取り戻した。恐怖と安心感が交差して瞼から感情が溢れんばかりに涙を流した。母の上着は涙でビショビショだ。
しばらくして、落ち着いた頃に、若い婦警と年期の入った年上の男性警官が私の元に訪ねてきた。
婦警は微笑みながら母に似た優しい口調で語りかける。
「昨日の事で何か思い出せそうなことはある?怖い事があったとは思うけど是非捜査に協力してくれるかな?」
私は覚えている限りの話せることは話した。どんな会話をして、何をされたのか、どんな怖い体験をしたのか全てだ。
胸にぶら下がっていた、重りが外れスッキリとした。ようやく胸の内に秘めていた思いを伝える事ができたのだと。
だが、警官の反応は優しい表情で私を不安にさせた。
「そっかー。凄く怖い夢を見たんだね。」
「夢?」
一体何を言っているんだ。私は勇気を持って全部話したんだぞ。男に受けた数々の暴力と罵声。
どれほどの苦痛だったのか分かっているのか。
「お母さん。」
母と顔を合わせたとき再び抱き締めて来た。さっきよりも強く抱き締めた。
「もう怖い夢は終わったからね。もう大丈夫だからね。」胸に頭を寄せそっと撫でる。
母もただの悪夢だと、ただの妄想だと信じてくれなかった。
あの痛みも全部嘘だっていうの。冗談じゃない。この記憶は本物だ。証拠を見せてあげる。
急に上着のボタンをはずし始める。
「何をしているの?」母は服を押さえ付け娘の貞操を必死に守ろうとする。
目の前には男だっているのだ。乙女が肌を簡単に見せる訳にはいかないのだと。
しかし、記憶が正しければ男から受けた暴力によって痣が出来ている筈だ。傷だってある筈だ。それを見ればきっと信じてくれる筈だと思い恥も捨てる覚悟で乙女の体を売った。
後悔する前に気づくべきだった。そもそも矛盾していることになんで気付かなかったのか。記憶の最後に残る映像が本物であるのならば。
母を振り払い上着を脱いだ時には遅かった。
穢れをしらない真っ白できめ細かい肌と健康的に絞れた腹部に形のよいバランスのとれた立派に成長した乳房はとても美しく、10代がもつ若く健康的な肉体美に釘付けになりそうだ。
恥ずかしさのあまりに胸を両手で隠して上体を屈ませうずくまる。
男性警官は紳士的で必死にこちらを見ないように目を反らす。
美しい肌をしていた。そう綺麗過ぎた。
傷なんてどこにもない、痣なんてどこにもない、乙女の柔肌だった。
あの男に受けた数々の暴力の証拠は綺麗さっぱり消えていた。何度も何度も蹴られ、何度も何度も刺され、何度も何度も私に恐怖を植え付けた跡は妄想だったのか。
母の言葉を思い出す。
「何もなくて良かったと。」
頭にナイフを刺されて無事だなんて奇妙だ。生きている事が不思議だ。本来なら死んでいるのは私であって、あの男は生きているはずなのに、報道では被害者として扱われている。
分からない。事実と現実が噛み合わない。
だんだんと顔色が青白くなっていく。
母は雑に払った上着を拾い、私の肩に羽織り露出した肌を隠す。
体が微弱の電流を帯びているかのように小刻みに震え手を介して伝わる。
「美魅大丈夫?ごめんなさいね、娘は気が動転していているようなので今回はこの辺にしてもらえないかしら?」
母は眉をひそめ警官2人にこの場を引いてもらうようにお願いをした。
警官2人は互いに目を合わせ深いため息をつき静かに部屋をでた。
結局何も情報は得られず与えられず、ただの妄想話だと片付けられ、裸体をさらすという醜態だけを残した。
頭の中に霧が残る。もういっそ妄想でもいい。何はともあれこうして生きているのだから。考えるのを止めようと。
考えるのをやめると次第に震えも止まった。落ち着きを取り戻した様子をみて母は「喉が乾いたからお茶でも買ってくるわね」と言いまた無機質の部屋に私一人だけとなった。
「静かだ」と囁きテレビを眺める。何も映らないテレビからノイズが流れる。
「何これ?」
テレビからじゃない。これは頭に直接流れている。
悪夢が再び再生される。
頭を突き刺され、ゆっくりと地面へと倒れていく光景。見える光景は縦と横の均衡が保てなくなり90度に世界が写し出されている。地面が壁のように見えて、そこから見える男はまるで壁を歩いているようで、木も街灯も全て真横に倒れている。
「これは死んだ後の記憶?」
困惑しながらも必死に記憶の映像に目を凝らしながら鑑賞する。
すると別の人影が男の背後に迫っている。暗くて顔は見えないがその影は確実に近づいて話かけてくる、何を話しているのかがよく聞き取れなかったが、男は興奮して何やら怯えているようだった。更にもっと近づいて来て街灯の照明範囲に入ったとき姿を確認することができた。
体つきは細く、目付きが鋭く端正な顔から出される微笑みはとても,,,
ここでノイズが途切れ、元の無機質な部屋へと戻った。
「今の記憶は一体。」
一瞬だったが見えた。
妄想なんかじゃない。
だってこの汗から伝えわる恐怖は現実なんだと。
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