第6話

バカだ。

さっき自分で穏便に済まそうと決意したばかりなのに、簡単に破ってしまった。

でも、どうしても許せない事は誰にだってあるよね。


「量産型なんかじゃない。みんないつも真剣に向き合っていた。どんな高級食材だって作り手に情熱や技術がなければただの自己満で終わってしまう。料理はただ腹を満たすだけの物じゃなくて、その先に食べてくれる人が幸せになる為にあるんだよ。」

私は間違った事は言っていない。


「あなたにはお客を喜ばせようという創意工夫が全く感じない。」

私は事実を言っている。


「本当に味やサービスで勝負しているのであればこんなところで女の子に構っている場合じゃない。もっと味を追求する為に研究するべきよ。」

私は闘っている。


「お客があなたのファンなのであれば私の口コミなんて気にせず戻ってくるはずよ。」

私の胸の高鳴りはどんどん加速していく。


「あなたの発言は料理人に対しての侮辱だわ。」

私は大好きな料理を守るために。

「あなたは,,,,,,」


突然強烈な痛みが私を襲った。

膝の痛みが再発したのではない、もっと単純で分かりやすい痛みだ。


「うるせぇんだよ。」

男は膝をついている無抵抗な女の子の胸元を蹴り倒す。

「お前みたいなガキが口を出すんじゃねぇよ。ちょっと料理に詳しいからって調子にのりやがっって。そうやって人を見下して楽しいのか?」

容赦ない蹴りは胸から徐々に頭へと上る。

「お前の発言(口コミ)で人生が狂わされる気持ちが分かるのか?売り上げもなくなって経営は上手くいかず奥さんにも逃げられてしまった。」

頭がゆらぎ意識がゆらぎ、それでも男の悲痛な叫びだけははっきりと聞こえる。


「お前が出した口コミのあとには更に悪い評価ばかりが出るようになった。」

つまらない味。

これなら買わない方がマシ。

量産型クレープ笑える。

近くに美味しいクレープ店があるらしいから今度からそこに行くわ...


いくつもの悪評が画面でいっぱいになる。

「お前にとっては単なる評価かも知れないが、それが原因で失う物もある事を考えたことがあるか?」


無力だ。何度蹴られた?

抵抗する力が入らない。

声は聞こえるのに男の言葉を理解できるほどもう頭が働かない。

頬にドロッ何かが付着している。


「分かるか?見知った人がある日から、俺の目の前をただ通り過ぎるだけになった。まるで最初から知らなかったかのようにだ。」

男の足は私を襲うのを止めない。

「いつも俺の店のクレープを持っているのが当たり前だったのに今では知らない誰かのクレープを持っている。」

足は止まらない。だが、その力は先程よりかは弱く。

「まるで奥さんをどこぞの知らない奴に奪われた気分だったよ。」

最後のひと蹴りはまるで風船が萎むように力が抜けていた。

「あっ、そうだった。俺の奥さんどっか行っちまったんだった。」


2分間。

とても長かった。痛みに耐え言葉で罵倒され肉体も精神も疲弊し耐えた時間。

こんなに時間を長く感じたことは今まで無かった。

料理を待つあのワクワクの待ち時間よりも長く感じる。

早く終わりたい。


「私は悪くない。」

ひよこが産声を上げるかのように弱々しい声だった。

「あなたの努力が足りなかっただけ、私は関係ない。」

体は動かないけど、口は動かせる。精一杯最後まで戦い続ける。だって私は何も間違っていないのだから。

「関係ないってなんだよ。」

男の眉が動く。

「俺はただ謝ってもらえればそれでよかったのに、それなのに、それなのに...」

服の中に手を入れた。

「もういいや。」

内側から取り出したものは、街灯のライトに照らされて鈍く光りそのまま私に振りかざされた。

腕には刃物が突き刺さり、激痛が走る。ほとんど動くことはできなかったはずの私の体は反射的に傷口に片方の手を伸ばした。

何度蹴られても発することがなかった痛いという言葉を初めて出した。

傷口からは血が流れ服の上から溢れだしやがて地面に垂直に滴り落ちる。

しばらく悲鳴を上げながら目をつぶる。

蹴られた痛みとはまるで違う。蹴られた時はまるで水面に広がる波紋のように皮膚の表面を伝わるのに対して、刺された箇所からの1点が痛みそして熱い。ドボドボと流れる赤い血が熱を帯びているの感じる。私の脳内をかつてない刺激で埋め尽くされる。


「もうやめて。助けて。」

まるで敵から身を隠すようなウサギのように身を震え、恐怖で声が震え先程までの威勢の良さは感じさせない言葉はとても弱々しく情けない。

「痛い、とても痛いの。」

そんな必死な願いは男の耳には何も届かず、足で私の体を抑え微笑みかける。

「痛いか?そうだろうな?血がいっぱいでているもんな?でも俺が受けた屈辱に比べればおまえは一瞬で終わる。俺は一生苦しむがおまえはもう味わうことはない。これは俺の優しさだ。」

身も毛もよだつ表情に理解した。

これから確実に殺される。

そう悟った時、今日一番の声を上げた。

「助けて。誰か助けて。」

静寂の暗闇に響く声は誰にも届くはずもなく虚しく散っていくだけだった。

そして、頭上に刃が突き刺さり体は自由が利かなくなり後ろへ倒れていく。

「なぜ私の体は倒れていくの?逃げる為に動かないとだめでしょう?」

まるで金縛りにあったかのよな感覚で全く動かない。

おかしい。

助けを求める為に声を上げたいのに声がでない。

逃げる為に走りたいのに足が動かない。

誰か他の人が助けに来てくれたのかもしれないので辺りを見渡したいのに目が動かない。

その目に焼き付いているのは満足そうな男の顔だけが残りそのまま無力に地面に体がぶつかる。

「そうか私殺されたんだ。」

額から流れる血が目から鼻へ更にそのまま口へと流れる。

そして感じる。

舌触りは果実から出る水分よりも粘性があり舌にまとわりつく。

ジリジリとした微小な苦味があり酷い味わいだ。

香りは鼻にまとわりつく位に少々錆び臭い。

でも今まで味わったことがないこれは何なの?

死を間際に思ったのは過去の走馬灯や自分を殺めた男の事や家で帰りを待つ母親の事ではなかった。

「この世にはまだ知らない味があったんだ。」

脳機能が停止するまでの3分間を私はただその味を堪能するだけだった。










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