第5話
「お先に失礼します。」
「お疲れ美味ちゃん。また明日もよろしくね。」
バイトが終わりお店を後にした私はすぐにスマホの画面を確認しながら帰宅していた。
「うーん、このお店も気になるわねー。」
次の休みに行くレストランのチェック。
どんなに忙しく働いていても、次のチェックをしていると自然と今日の疲れが吹き飛んでしまう。
次はどんな料理に出会えるのだろうか、どんな感動を味わえるのだろかと思うと、きっと脳内が麻痺して疲れを忘れてしまうのだろう。
「あーもー早く休みにならないかなー。とりあえずチェックしたお店は絶対に行こう。」
幸せに満ちているこの時間に少し違和感を感じたのはほんの数秒後だった。
夜のいつもの帰り道。いつもの街灯。いつもの公園。
何百回と使ったこの道に特別な違和感は感じない。強いて言うならば街灯の光がいつもよりも少なくなっていて辺りの暗さがいつもにも増していることくらいだが、そこじゃない。
背中から何やら視線を感じる。
首を後ろに振り向くと一人ゆっくりと歩いていた。暗くてよく分からなかったが、私よりかは背が小さいように見えた。
「もしかしてストーカー?」
一瞬恐怖を感じたが一度冷静になってみる。
「いやいや、別にこの道を通るのは私だけじゃないし。他の人がたまたま通っただけで別におかしい事なんて何もないじゃん。うんうん。」
冷静になって落ち着いてみた。落ち着いてみたもののやはり気になる。
怖い。
この不安を取り除くためには一刻も早く自宅に帰ることだ。
「ごめんなさい。知らないあなたには悪気はないんだけど不気味なので早く帰らせてもらうわね。」
心の中で詫びを念じながら、歩幅を広げ出口へと向かう。
徐々に徐々に怪しまれないようにあくまで自然にスピードを上げる。
ゆっくり、ゆっくりと距離が離れるごとに私の不安が薄れて消えていくのを感じた。
「ほら、やっぱり私の考え過ぎだったんだ。知らない人ごめんなさい。」
再び心の中で謝罪をして落ち着きを取り戻し速度を落とした正に同じタイミングだった。
後ろの人が猛スピードで走って来た。
まるでこちらの一瞬を付いた見事なタイミングだった。
「ちょっと、何なに?走ってきた!?」
動揺を隠しきれず私はつい心の声を上げてしまった。
名も知らぬその人影はたしかに私に視線を向けて迫ってくるのを感じる。
怖い。
いつもの近所のおじいさんや学校のクラスメイトから受ける温かく優しい視線とは全く違う。明らかに凶器のような鋭い視線。とても痛い。
全速力で私も走った。向こうも全力のようだが私の方が速かった。これでも毎朝ランニングをして体力とスピードには自信があるんだよ。
後ろの人とはどんどん距離が離れて行く。どうやら向こうはそれほどスピードはないようだ。この鬼ごっこは私の逃げきりで勝ちだと確信した。
確信した正にその時だ。なぜこうもタイミングが良すぎるのだろう。
道端に落ちている空き缶を踏み足を滑らせてこけてしまった。暗闇で足元がよく見えなくて気がつかなかった。最悪だ。膝を打ってしまい足が痺れて立ち上がれそうにない。
「はぁ。はぁ。やっと追いついた。」
暗闇から声が聞こえその距離は近づいてくる。
「急に走りだすんだもんな、逃げられるかと思ってビックリしたけどまさか転んでくれるとは運がいいねー。」
暗闇でも見えるくらいにその姿がはっきりと見えるくらいまで近づいて来た。
Tシャツの上からでも分かるくらい腹が膨れていて、手入れが行き届いていない髭が生えていて髪もしばらく切っていないのが分かるくらい野暮ったい。身長はやっぱり私より低くおそらく30代前半くらいの見た目だった。
「誰?」
私は思ったことをつい口に出した。
すると男の体温が一気に上がったように赤くなり顔が一層険しくなった。
「覚えていないのかこの俺を。俺はあんたのことを忘れた事はないぜ。ふざけるんじゃねえぞ。」
男は急に声を上げ、私はとっさに体を翻した。
怖い。こんなに怒鳴られた経験は家族以外から受けたのは初めてだった。幼少期の頃に母親にいたずらをして酷く怒られた事があってとても怖かったけど、今回は違う。震えが止まらない。
「何!?私あなたの事なんて知らないもん。」
「どうしても思い出せないのなら教えてやるよ。俺は’ラ・クレープ’の店主だよ。」
「ラ・クレープ?どこかで聞いたことがあるような・・・」
焦りながらも頭をフル回転させ記憶を一生懸命思い出そうとする。
「クレープって名前がつくって事はクレープ屋さんだよね?クレープ...クレープ...」
まるで念仏を唱えるかのように小さくぶつぶつと。何度も唱えると徐々に膝の痛みも引いてきた。その時頭の中で急に絡み合った糸が切れたような感覚で
「思い出した!たしか列ができるほど最近人気店になったあのクレープ屋さんの近くにあるお店の名前だ。」
「ほぉぅ?ようやく思い出してくれたかよ{ミリーさん}よぉぉー」
「ミリーって。私のハンドルネーム。どうして?」
「ずいぶんと調べさせてもらったのさ。最近ある女子高生が色んな飲食店を出入りして口コミの評価で一気に繁盛店になった噂を聞いてそこの店主に顔や特徴等を聞いてずっと探していたのさ。そしたら女子高生には不釣り合いな高級レストランに入る姿をみてよ、もしかしたらこいつがそうじゃないかと。」
高級レストランって山口シェフのお店の事ね。
「お前の行動をつけさせてもらって入ったあとのグルメサイトの投稿に必ず{ミリー}っていう名前で口コミが表示されるのをみて確信したぜ。」
私は驚愕した。
「ヤバイ。本当にストーカーだった。」
男は話を続ける。
「お前俺のお店の口コミに何を書いたか覚えているか?」
覚えている。確か。
「量産型のどこにでもあるような可もなく不可もなく普通。」
だったような。
「ああ、そうだよ。それで評価は2だった。そしてその裏でひっそりとやっているクレープ屋が評価が5で最高だった。」
男は哀しそうな声で話す。
「そうそう、あのお店は本当に素晴らしくてね、素材の組み合わせもオリジナリティがあってその上味も申し分にないくらい絶品でね。何よりデコレーションや包んでいるクレープも丁寧に巻く所作も美しくてお客さんに喜んでもらおうという心がよく感じられて素晴らしかったわ。」
男の話を遮り私は大好きなクレープ屋の話で話が続いた。
「本当に残念なのが場所が分かりづらいのよね。まあ今では整理券が必要な位お客で賑わっているからお店の場所がすぐに分かるんだけどね。いやー、本当にまた気軽に行けたらいいのになー。」
ついさっきまで脅されて怯えていたのが嘘のように楽しく話し気分は上昇している。
「うるせぇぇな。」
ごめんなさい。気分が上がっていたのは嘘でした。たった一言の気迫に簡単に押し潰された。
「お前があのお店の口コミをいいように書いたおかげで客が全部持っていかれてしまったじゃねえか。」
「何よお客が来なくなったのは私のせいだってゆうの?そんなの逆恨みじゃない。」
「だまれ。挙げ句の果てには俺の店の評価まで落とすような口コミを書きやがって。」
「事実を書いただけよ。何よあの甘味のないイチゴは。どうせそこら辺で安く仕入れた訳ありのフルーツなんでしょう?生クリームの甘味で誤魔化そうとしても無駄よ、すぐバレるわよ。」
男の顔が一瞬引きつった。
「だったらなんだよ。それでも美味しいと言ってみんな買いに来てくれていたんだよ。それなのにお前のたった1個の口コミでみんな踊らせやがって。」
男の口元に力が入ったように見えた。
開いていた手が閉じ力が入っていた。
今にも逆上しそうだった。
私はこれ以上反論するのは危険だと思いこれから何を言われようと、穏便に済ませる予定だったが。
「何が量産型で普通だよ。そこらにある料理なんてただ油と砂糖と塩で固められた量産型じゃねえか。」
「それは違う。」
ごめんまた嘘をついた。
どうやら穏便になんて無理そうだ。
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