第3話

 「おはよー、美魅。」

教室に入るなり、声が飛んできた。

「おはよー、優香里。」

手を振って席につくと、彼女が目を輝かせて近づいてくる。


「ねえねえ、ブログ見たよ。昨日のお店、高評価だったね。」

「うん。すっごく美味しくて、感動しちゃった。」


会話に気づいたクラスメイトが数人、自然と輪をつくる。

「ミリーのおすすめはハズレないもん。」

「この前のクレープ屋さんも最高。投稿のあと一気に人気店になって、いま整理券ないと無理だけど。」

「それはそれで困るけどね。」


みんなが読んでくれている。うれしくて、口角が勝手に上がる。


「ところで、美魅が料理にハマったのって、お父さんの影響?」

「え、美魅のお父さんって料理人?」

「違うよ。グルメライター。」


父は大手グルメ誌の編集を経てフリーに。世界中の料理を取材して動画チャンネルで発信している。

「『世界の旨い物を見たいか!?』の人だよね?」

「え、知ってる。カメラ慣れしてるし、あの語り、癖になる。」


少し、誇らしい。ちょっと、照れくさい。


「でもさ、最近の動画、路線変わったよね。」

「面白くなくなったの?」

「面白くないわけじゃないけど……先月は“世界のジャガイモ料理特集”で良かったのに、今月“虫料理特集”が始まって、正直ちょっと怖い。」

「ごめん、美魅。早く通常運転に戻ってほしいなって思っちゃう。」


麗しき女子高生の胃袋には、昆虫はまだハードルが高い。

遠くのどこかで撮っている父へ、教室の端から小さく念を送る。視聴者の声、拾って。

そして私は――“虫を旨そうに食べる男の娘”として、この学園に少しずつ浸透していくのだろう。


「あはは……」

苦笑いで場が和む。空気を読んだ誰かが話題を切り替えた。


「ねえ、駅前の人気クレープ屋、放課後行かない?」

「ごめん、今日バイト。」

「また? 今週ずっとじゃん。」

「働きすぎだよ、美魅。」


確かに入れすぎた。先日のフレンチは、高校生の財布に致命傷だった。

「働かざる者、食うべからず。食べるために働く、それが私。」

「名言っぽいけど、ただの食いしん坊では?」


笑いが広がる。


「にしてもさ、美魅って飲食でバイトして賄いも食べて、休日も外食しまくってるのに、全然太らないよね。」

「うらやましい……」


本当の理由は、朝の“超時短・栄養効率”朝食(通称:猫のエサ)にある。

けれど、それは墓まで持っていきたい秘密。


「毎朝ジョギングと筋トレしてるから、かな。」

「やっぱ努力か。えらい。」


言えない。卵二個と煮干し二本の支配力については、墓まで。


窓の外に視線を逃がす。陽に透ける校庭の木の葉が、少しだけ赤く見えた。


「そういえばさ、たくさん食べ歩いてると、美味しい店の共通点って分かる?」

話題が切り替わる。ありがたい。私は前を向き、ひと呼吸置いてから言った。


「まずね、太ってるシェフは、私は推さない。」

「えっ、なんで?」

「味覚が鈍くなりやすいって聞く。人は塩分や脂に慣れると、どんどん強い刺激を求めちゃう。味覚が狂えば、料理は雑になる。」


首肯のざわめき。


「美魅が毎朝走るのも、それと関係ある?」

「うん。いちばん繊細な味を、ちゃんと受け取っていたいから。」


胸を張って言い切ると、誰かが笑って言った。

「やっぱ美魅、料理のことになるとストイック。」


はっとする。

血は争えない、という言い回しが、舌の奥に小さく残った。

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