第6話

 最初に居なくなったのはコトリだった。

 噛み千切った熱狂と切り落とした快楽を私に投げつけて飛び出していった。19mの彼方に消えた彼女が私を訪れることは二度とない。最後に見た彼女の姿はまだ脳裏に焼き付いている。

 次はノゾミだった。 

 コトリの中にはやっぱり白くて綺麗なものなんてなかったんだなって分かった頃だ。

 サクノと別れたのだと泣き、私の愛がほしいと喚く彼女にもう興味はなかった。縋り付いてくる彼女を置き去りにして部屋を出た。それからは部屋に戻っていないから彼女がどうなったかは知らない。大学も長らく休んでいるようだ。最後に聴いた彼女の声はまだ頭の中で響いている。

 そうして意図せずに私の秘密はなくなった。

 結局私はサクノになにも言えなかった。彼女は私の傍らでなにも知らないままに今日も笑っている。私は彼女と共に暮らしていた。

 彼女に吐き出すべきものはもう愛と呼ぶべきものだけだった。彼女とはじめて出会った時から溜まり続けるそれは今も日増しに増えている。だから私は彼女を何度だって抱いた。これで最後は、いつしか、次で最後になって、そしてその次は二度と訪れることがないのだと二人とも知っていた。それでよかった。

 私とサクノは、なにげない日々を過ごしている。

「んー、しー、はねー……バラかなぁ」

「薔薇?」

 そろそろ春だという気の長いような短いようなサクノの言葉から、自然と互いを花に喩えようという話になっていた。さっそく彼女が思いついてくれたそれは意外なもので、少なくともその高貴なイメージが自分に合っているようには思えない。

 首を傾げる私に彼女は無邪気に笑う。

「バラ好きー」

「あはは。なるほどね」

 可愛いことを言ってくれると抱きしめれば、ふわりと彼女の匂いが舞う。肌の触れあう心地よさに彼女はうっとりと目を細めながら、ぽつぽつと私の薔薇を語る。

「色は黄色でー、とげとげしてないといーよねー」

「もうそこまでいくと薔薇ってイメージでもないねえ」

「そーかなー。あ、花言葉とか調べてみよっと」

 スマホを拾い上げる彼女からするっとそれを抜き取る。

 知り尽くした軌跡でロックを解除して、検索エンジンに「薔薇 花言葉」と打ち込んだ。

 頬を触れ合わせながら、私たちは適当なサイトを開いていろいろな薔薇の花言葉を知る。

「色々あるんだね」

「ん、黄色はー……おお!友情だってサクノ!ぴったりだよ!」

「素敵だね」

 私の象と重ならない黄薔薇を、少しだけ気に入ることができる言葉だった。友愛でもって情を交わす私には少し皮肉にもなるのだろうか。いずれにせよ、親友である彼女に言われると悪い気はしない。

 サイトをスクロールしていくと、薔薇には本数にも意味があるのだと書いてある。昔の人はどんな思いでここに意味を見出したのだろう。たとえば言葉に乗せられない思いを花に秘めようと願ったのなら、それはなにも言えない私にはピッタリだったのかもしれない。それともいざとなったら花弁のない花を突き出していたのだろうか。

 私が彼女に薔薇を渡すときは、100の花束から1を取り出して捧げようと思った。

「じゃーはい、今度はしーの番だよ!わたしはわたしは?」

「そうだなあ」

 わくわくときらめく彼女の視線に頭を悩ませる。

 サクノを花に喩えると。

 果てしなく無垢な彼女を、花とするのなら。

 なにも知らず、汚れなく、純真で。

 そして白くて、白い。

 私のそばでたったひとり笑っていた彼女を喩えるのなら、それは美しい花がいい。

 私の脳裏に、泥の中に咲く純白の一輪が浮かんだ。

「……サクノは、百合、かなあ」

「ユリ!なんかオシャレ!」

「純潔とか、凛々しさみたいな花言葉だったと思う」

「えぇっ、な、なんか照れる」

 てれてれと頬をかく彼女がどこまでも愛おしい。

 彼女を抱きしめ、ベッドの上に転がった。

 真新しいシーツの上を、彼女の白が席巻していく。

「サクノは、なんにも知らないよね」

「うん。わたしはなんにも知らないよ」

 どろどろと甘い白が私を染めていく。

 白々しく、染めていく。

 白を生み出せない私は、彼女からそれを受け取っている間だけ息ができた。

「愛してるよ、サクノ」

「私も愛してるよー。しー」

 白にまみれた百合を抱くいだく


 彼女が腕の中にいる間だけ生きていられる。


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 ―――

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