第20話

 二人が演奏を始めだすと、おじさんはステージの袖へと歩きだした。


 おじさんの不自然な行動に賢人は演奏を一旦やめようとしたが、おじさんが"気にするな"という手の仕草によって、演奏を続けさせられた。


 ステージ袖にいってから十秒もしないうちに、おじさんは何やら手に持ってステージ袖から出てくると、賢人の後ろを通ってステージ中央へと向かっていく。


 ――このおじさんもしかして?


 横目でおじさんの行動を監視し続けていた賢人。このおじさんが何をしようとしているのか、すべて察しがついているが、ふらりと椅子に座った瞬間それが確定した。

 このおじさんがドラムを引けるとは思えない、所詮趣味素人の範疇から出ることのないドラマーかなにかだろう。賢人はおじさんの行動をあしらうように、ミオのペースに合わせて、自分のベースに集中した。


 一方ミオときたら、おじさんがステージに来たとも気づかずに、感情の思うがままにギターを奏で続けている。


 おじさんは、ストレッチがてらに首を回すと、いよいよドラムスティックをしっかりと握り、ドラムを叩きだす。


 おじさんが打ち出した第一音がステージの隅々までに渡ると、ミオはステージ後ろを見るように振り返る。周りが見えなくなるほどに自身に集中して、誰もいないはずだと思い込んでいる真後ろから、ドラムの音が打ち出されているのだから無理はない。


 ステージ上の音色には斯くも敏感なミオは、賢人より先に後ろを確認することになるのだが、後を追うように、3テンポくらい遅れて振り返った賢人とミオの目が合った。


 二人とも目を丸くして、もう一度ドラムの音が聞こえる方を振り向いて、奏者を確認するが、やはりドラムの音を放っているのは、さっきまで客席にいた、だらしのないおじさんであった。


 言葉にしなくても、二人の言いたいことは目線からテレパシーのように分かり合っていた。


 ――このおじさん、素人にしては上手すぎる。


 ミオは客席を背にして、おじさんの方へギターを弾きながらゆっくりと歩み寄っていく。賢人もこの状況が楽しくなったのか、ミオに倣うように近づき、ドラムを囲むようにして演奏を続ける。


 心なしかおじさんのドラマーとしてのパフォーマンスにも、楽しさと高揚感がにじみ出ていることを、二人はもう気づいている。

 おじさんの雰囲気に相乗して、見ず知らずの人との即興セッションは、盛り上がりを増していった。


 演奏に熱が入り、ここからが絶調を迎えそうな時、途端にドラムの音が急に鳴りやんだ。


 ミオを賢人も、弦を弾く手を止める。


 ドラムを叩いたからか、少し若返ったように見えるドラマーおじさんは、スティックを優しく置き、椅子から立ち上がった。


「疲れた。もう歳かのぅ~、下手なドラムですまんの~。」


「そんなことなかったですよ!」


 おじさんのボヤキに対してミオは、お世辞抜きの感想を贈る。

 賢人もそれには同意のようで、首を縦に振る。


「久々に誰かと一緒に演奏できたお礼や。寿司でも行くぞ」


 年齢にしては少しハードな運動をしたおじさんは、少し汗をかいたまま、地下の薄暗いホールを後にして、地上のエントランスに繋がる階段を駆け上がって行く。


 それに置いていかれないように、二人はおじさんの後を、若々しい足取りでついていく。


 ミオたちがホールを出たころには、おじさんはエントランスまで階段を上っていた。


「はよこんか。タダで食える寿司ほど、うまいものはねえぞ」


 おじさんを目の前にして、"タダで食える寿司"という単語に、ニヤけずにはいられない二人であった。

 タダより怖いものはないというが、ミオはそんなことお構いなしに、奢られる気全開の、タダという確証を得るための質問を、階段をのぼりながらおじさんに言った。


「奢ってくれるんですか~?」


「たりめぇーだろ」


 全員エントランスに集まると、三人は自動ドアを抜けてホテルから出る。

 ホテルの唯一の玄関である、自動ドアのカギを躊躇なくかけたおじさんは、しーんと静まり返っているホテルを後にする。


「あの……ホテル、店番とか何もしなくていいのです?」


 このホテルに来てから、二人は従業員らしき人も今まで誰一人見ていない。

 おじさんが外出すると、このホテルには宿泊客もとより、従業員さえも不在になる。そのための自動ドアの鍵なのだとミオは察し、おじさんの横を歩きながら、少し心配そうに尋ねる。


「どうせ誰も来ん。宿泊客は今のところ、お前らだけや。小一時間あれを閉めても誰も困らんし、変わりはいくらだってある。」


 自虐めいた答え方に、ミオは少し気まずそうに下を向きながら歩いた。


 ミオとおじさんの後ろから、ぶしつけな質問をしだす賢人。


「もしかしてこのホテル。昔は栄えていた?」


「そりゃもう、毎日満室で、ウハウハだったど」


 過去の栄華に懐かしみ、空を見るごとく体を上に反らしながら、鼻を高くして自慢げに話すおじさん。


「おっと、通り過ぎるとこやった。この店や」


 三人の目の前には、どう見ても古風なつくりの寿司屋が、厳粛な雰囲気を漂わせながら、客の入りを待っていた。

 おじさんのホテルは、ボロボロの古い建物なのに、同じ古いというジャンルでもこちらは味があるつくりの建物だった。


 おじさんは、厳粛さをぶち壊すように寿司屋のドアを豪快に開けると、寿司屋の大将の活きの良い声が店内に響き渡った。


「へい、いらっしゃい!!」


 寿司屋の大将はまるで定型文のような挨拶を、寿司を握りながらすると、入ってきたおじさんの方を見た。

 先陣を切るようにして店に入ったおじさんは、寿司屋の大将に軽く手を振った。

 すると大将は、握り終えた寿司を置いて、カウンター席を指さしながら、おじさんを案内した。


「ここ、開いてるよ」


 おじさんはこの寿司屋の常連のようで、ミオと賢人の前で行われた二人のやりとりは、いつものルーティンをやっているだけだったが、今日のおじさんはいつもと違う。


 そう、後ろに若い二人を連れているということだ。


 寿司屋の大将は、再び寿司を握りだすが、何か違和感を感じたのか、ドアの方をもう一度見る。


 大将の視線の先には……おじさんの後ろには、回らない寿司屋には似つかわしくない格好の若い男女。


 思わず、大将は寿司を握っている手を止めてしまい、口をポカーンと開けている。


 ミオと賢人を連れているおじさんは、カウンター席を通り過ぎ、テーブル席へと向かっていく。


「ごめん、今日連れがいるから、テーブル席でよろしく。」


 店の中を慣れた様子で移動するおじさん。三人はテーブル席へと座り、一分もしないうちに寿司屋の大将は、湯呑に入った湯気が立ち込める熱々のお茶を持ってきた。


 大将はテーブルの上に人数分の湯飲みを置き終えると、ホテルのおじさんに近づいて、他の人に聞かれないような至近距離で、目の前の若い二人について、疑問を投げた。


「なぁ、この二人。お前の連れ子か何かか?」


 突拍子のない質問におじさんは、笑いながら天井を見上げ、テーブルの向かいにいる若い二人に、大将がコソコソ聞いてきた内容を、大声で打ち明けた。


「この大将、お前らの事、俺の連れ子だって言ってるぞ。」


 若い彼らは、おじさんの言葉を聞くと一瞬見つめあい、賢人はこの茶番の主役をミオに渡して、傍観者のようにお茶をすすった。


 無言のバトンを受け取ったミオは、盛大な笑みをこぼしつつ、おじさんの横に立っている寿司屋の大将に、嘘の真実を伝えた。


「いやー私達そうなんですよ。ね?ぱぱ?」


 大将は目をぎょっとさせて驚くそぶりを必死に我慢して、平静を装っているが、仕掛け人であるテーブルに座っている三人は、笑いを堪えることができずに、目の前のテーブルに突っ伏してしまう。


 三人がテーブルに突っ伏した瞬間に、大将はミオの発言が嘘だと気づいたらしく、キレ芸のように、座っているおじさんの肩を持ち揺らす。


「変な嘘つくの、やめてくれよ」


 おじさんのちょっと腑抜けた声に、三人の笑いはエスカレートしていった。


 おじさんは体を起こし、横に立ったままの小恥ずかしそうにしている大将に向かって、笑いの尾を引きながら上辺だけの謝罪をする。


「ごめんごめん、悪かったって。」


 テーブルの若い二人も体を起こしたが、目線は下を向いたままだった。


「はぁー。んで、注文は?いつものでいいの?」


 ため息を混ぜつつ、寿司屋の店主の仕事を全うしていく大将。


「おう。」


 大将は手持ちのメモ帳のようなものに注文を書き記していく。

 おじさんの注文を書き終えると、大将の視線は若い二人の方へ向かった。


「あんたらはどうする?」


「私は~えーっと……」


 店内を見渡し、壁に貼られているお品書きを見つけて、食べたいものを選ぼうとするが、割って入るようにおじさんが、二人の注文を決めてしまう。


「俺と同じでええぞ。」


「本当にいいのかい?」


 大将は、ミオと賢人に向かって気を利かせるように、おじさんと一緒の"いつもの"注文で大丈夫なのかを聞いてくる。


 初めて訪れる店でお品書きだけでは判断が付きづらい彼らであり、且つ、奢られる立場の二人にそれに従わない理由がない。


 二人は首を縦に振り、大将は再び手に持っているメモ帳に、注文を書き記していく。


「ちょっとまってな。」


 大将は三人にそう言い残すと、カウンターの向こう側で、三人に出す寿司を作っていく。


 テーブルに残された三人は、ホテルでの先ほどの出来事である、即興セッションについての感想を含めた、会話を始める。


「あんたら、バンドか何かやってるのか?」


「一応バンドをやっています」


 おじさんの質問にミオは、ハキハキと答えていく。

 こういう時の発言者は、大体ミオである。カイトがいてもショウがいても、それは同じことである。


「この兄ちゃんのベースも上手かったが、一緒にか?」


 おじさんは賢人に指をさしながら、ミオに尋ねる。


「そうですよ。」


 賢人のことを褒められて、我が子のように嬉しくなるミオ。

 賢人にベースを教えたのは、ミオであるからして、我が子のように嬉しくなるのも無理はない。


「今度、あんたらのバンド全員の音楽を聴いてみたいものだね。」


「聴けますよ。」


「でもあんたら、九州の方から来たんでしょ?東京からあっちまで行くのは気が重い。」


 おじさんは、ホテルのチェックイン時に書いた二人の住所を覚えていた。客がほぼいないホテルだから、当然と言えば当然である。


「いや私たち、東京で活動しようと考えているんです」


でか?」


「はい、そのためのアパートを探しに、東京に来たんです。」


「それは、大変だな。よさげなアパートは見つかったかい?」


「今日、一件不動産屋さんにいったんですけど、ちょっとダメで……」


 隣にいる賢人は、ダメになった原因の出来事を思い出し、クスっと笑った。

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