第19話

「眩しっ!!」


 ミオは、暗闇に慣れていた目に、強烈な光を浴びたせいで、声を上げる。同時に目を細め、照明ライトがある真上を向く。賢人はステージの袖から出てきて、頭上から眩しいほどに照らされた、ステージ全体を見渡す。


「うわっ、これ全部あるじゃん!!」


 二人が立っているステージの上には、今すぐバンド演奏ができるだけの、楽器と機材が、並んでいる。


「え?なにが。」


 目を細めたままの状態のミオは、かすむ視界であたりを見渡す。

 ミオにもようやく、少しセッティングすれば幕が上げられる状態の楽器が目に入る。それは少し年季が入っていて、彼らが知っている流行のものとは、少し異なる楽器や機材であった。


 ステージ上を歩きまわりながら、隅々までそこにあるすべてのものに目を通すミオ。

 賢人はミオの後ろを、子供を見守る保護者のようにゆっくりと歩きながら、彼女と同様に観察している様子である。


「ねぇ賢人、ちょっと古い?」


 屈みながら賢人がいる後ろを振り返りながら賢人に問うミオ。


「全体的に古いけど、安物ってわけではないと思うよ。20年くらい前のものじゃないかな。」


「なんか渋いね……」


 屈んだまま、目の前のアンプを指でなぞるミオは、現代のデザインとの歴史の変化に

 釘付けにされていく。


「ミオはこういう昔のやつも気になるの?」


「ちょっと地味かな。」


「これが分からないんじゃ…」


 賢人が、自己主張を言い終える前に、ミオは無言で立ち上がるが、何か嫌な気配を察した賢人は、そこで話をやめて、誰もいない観客席の方へ振り返った。

 観客席の方を向いて、スマホを取り出し時間を確認する賢人。

 スマホを見ている賢人の後ろから、ミオの声とともに、アンプに繋がれていないギターの弦を弾く、乾いた音が聞こえてくる。


「ねぇ、少し弾いてみない?」


「やめなって、ミオ。」


「いいじゃんいいじゃん、少しくらいなら。それとアンプつないでくれない?」


「はぁ……」


 賢人のため息がステージ上に響き終えると、召使いのようにミオの身支度を整える執事のように、コードをアンプやギターにつないでいった。


「いいよ、ミオ。くれぐれも静かにね。」


 ミオは視線を手元にやり、目を閉じる。そして、再び目を開けると大きく深呼吸して、5本の弦をストロークさせてギターを鳴らす。


「ミオ、もう終わりにし……」


 賢人の声を打ち消すように、途切れずに絶え間なくミオが奏でるギターの音色が、2人の周りに響き渡る。単音が幾度もなく重なり、ギターだけで曲と成している彼女の演奏は、ステージ上だけには収まり切れず、誰もいない客席までも響かせるようであった。


 賢人は、ふとステージから降りて先ほど自分たちが入ってきた扉の方へ、速足で向かう。


「扉少し空いてるじゃん」


 扉の前まで速足で向かった彼は小言をつぶやき、少し空いた扉の隙間を閉めようとした瞬間、ぼんやりと彼らがいるところより明るい扉の向こう側から、一つの"目"が…


「え……」


 言葉にならない小言をつぶやく賢人は、一歩下がる。


 賢人が一歩下がると、扉はその距離と同じくらい賢人の方へ開き、もはや隙間とは言えない扉の向こう側から人影が現れる。


 賢人たちがいる場所は暗く、向こう側の人影がいる方も暗い。


 誰かもわからずに、ただ空いた扉だけを見つめ続ける賢人。

 ただは、賢人たちのことを分かっていたかのように、落ち着いた口調で、一歩下がった少年に話しかけた。


「なんだ、お前たちか……」


 この二人の緊迫している状況にも関わらず、ミオのギターは鳴りやむ気配がない。


 バレてしまったっと言わんばかりに、少年は後ろを振り向きミオに無言の合図を視線で送る。


 無言の合図も虚しく、ミオは我が物顔でギターを弾き続けている。ミオを制止させようと、彼女に近づこうとする賢人だったが、扉の向こう側の人影は、賢人の背後に歩み寄りそっと肩を叩く。


「とめなくていい。」


 声のする方を、肩に乗せた手を追いながら振り向くと真後ろには、ホテルのカウンターにいたおじさんがいた。

 カウンターのおじさんは、ミオがいるステージから、少しも視線を動かすことなく、じっと見つめ何か感傷に浸っていた。それを察した賢人は、おじさんに話しかけるタイミングを見失ってしまった。


 ステージ上のミオは、気が済んだのか独壇場のギター演奏をやめて、ギターストラップを肩から降ろし、ギターを元ある場所に戻す。

 ギターを戻し終えたミオは、客席へと視線を移す。


「賢人~~部屋に戻ろー」


 能天気な声がステージ上から、客席へと渡り通る。ミオの声は例外なく、賢人とその背後にいる人物の耳にも入り、賢人の心情は真っ青なのは言うまでもない。


 この何を弁明しても覆せない状況で、ステージ上の彼女の声に答える余地すらもなく、ただただ状況を察してくれと願う賢人だが、それもまた虚しさだけで終わる。

 幾多にもステージ照明に照らされたステージ上から客席を見渡すことは、壇上の明るさに慣れてしまっている目では、不可能に近い。


 沈黙の状況に待っていられなくなったミオは、賢人の方へ地響きを鳴らしながら、賢人とおじさんがいるところへと歩く。


「ねぇ賢人、無視はひどくない?」


 目の前で文句を垂れるミオに、「俺の後ろを確認しろ」というように、アイコンタクトを試みる。

 さすがに、ミオも状況を察したのか、賢人の真後ろを見上げた。


「え……」


 ミオの小さくつぶやいた声で、状況の深刻さを飲み込めたことを、賢人は理解する。同時に、すでに犯行現場を押さえられている以上、後ろの人物に弁解のしようがないことも理解するしかなかった。


 頭の中が一瞬真っ白になったミオは、我に返り賢人の真後ろのいるおじさんに、最速で頭を下げる。


「勝手に使ってごめんなさい。」


 賢人もミオの横に移動して一緒に頭を下げた。


 おじさんは二人に一歩近づいて、頭を下げ続けている二人の頭を両方の手で掴むように頭の上に置き、話しかけてきた。

 賢人もミオもおじさんの口からは、怒号が発せられるものだと思って、潔く目を閉じた。


「……いやーもうね。この年にもなって……当時の懐かしさを思い出したよ……。」


 やや震えた声で、二人が頭を下げている頭上で感傷にふけるおじさん。


 二人は地面に向けるしかなかった視線を、お互いの方に向ける。もはや二人はこの状況に理解が追い付いていない。ミオより数段頭が回る賢人でさえ、おじさんの心情が分かっていない。


 当然二人は、この状況で起こりうることは一つしかないと思っていた。

 叱責や怒号を浴びせられるということを。それに、このホテルに来たときの、この目の前にいるおじさんの態度からして、普通の人よりそれらはひどいことも覚悟していた。


 とりあえず、当然で最悪の末路は避けられた二人は、そろそろ"くの字"を通り越した体を折り曲げた姿勢に限界が来る。


 ――いつまで頭押さえてんの?

 ――いつまで頭押さえてんの?


 先に我慢対決に負けたのはミオであった。


「あの~すみません、頭の上の…そのーー」


 おじさんの逆鱗に触れないように、言葉を濁しまくるミオ。


「おぅーすまんすまん。」


 おじさんは、二人の頭から手をどけて、一歩下がった。

 以外にも和やかな口調で話すおじさんに、胸を撫でおろす二人。


「勝手に入ってすみませんでした。」


 賢人は中学生らしい口調で、おじさんに向かって再び頭を下げる。


 大人のミオもそれに倣って頭を下げる。


 おじさんは笑みを浮かべて、二人の肩を持って頭を上げさせる。


「いやいや、いいんだよ。あんたらだったから、許してやるんだけどな。ははは。」


「逆に私たちじゃなかったら?」


 ミオは恐る恐る質問した。


「そりゃもう、そこの扉に鍵をかけてこの地下ホールに生き埋めだったかもな。」


「……」


 ――本当にやりそう。

 ――本当にやりそう。


 ミオはこれ以上関わるのはまずいと思ったのか、扉の方を見据え、逃げ道を確認した。実際にここにある機材を使っているのを見られたのは、ミオだけだったので、無理はない。


「楽器とかいろいろ勝手に使ってすみませんでした!!」


 賢人の手を取って、足早に扉の方へ向かおうとする。


 しかし、数歩進んだところでミオの足が止まってしまう。


「ちょっと待ちな。ギターの姉ちゃん」


 おじさんのたった一言で、立ち止まってしまうことになったミオは、今すぐ逃げたい本能からか、引き留めたおじさんの方へ向くことができない。


 足が棒になってしまったミオの横を通り過ぎる賢人。


「じゃあねミオ」


 通りざまに、おじさんに分からないように耳元へ小声でささやいた悪魔の少年は、一目散に出入口へ向かい、閉まりかかっている扉に手をかけた。


「そこの坊主もだぞ!」


 少し声を張り上げたおじさんに、ミオはさらに委縮する。


 おじさんは無言で賢人に手招きして、自分の方へ呼び寄せる。


「ギターの姉ちゃん。そこでぼーっとしないで、もう一回ギター弾いてくれんかね?」


「え……」


 ミオの根っからのギターへの思いと、今から弾ける喜びで、彼女の棒になった足は元に戻り、おじさんの方へ振り返る。


「私が弾くんですか?」


「他に誰が弾くって言うんだ?そこの兄ちゃんも弾けんの?」


 不意に流れ弾が飛んできた賢人は、無言に徹してこの場をやり過ごそうとしたが、ミオがそれを許さなかった。もちろん彼女の悪気があるわけはない。


「賢人……彼もギターは弾けますけど、本職はベースなんですよ」


 おじさんの口元が先ほどの倍近くに吊り上がったのを、賢人は見逃さなかった。

 すでに時遅し、賢人に飛び火するのは確定したようなものだ。


「じゃあ、そこの兄ちゃんも一緒に弾いてみなよ。」


「はぁ」


 賢人はため息をついて、いやいやステージの方へ向かいながら、おじさんに尋ねる。


「このベース使っていいんすか?」


「たらぼうよ」


 ミオもステージの方を指さして、おじさんに尋ねた。


「私もあのギター使っても?」


「ここにある楽器、ヴィンテージと言えば聞こえはいいけど、全部古いんや。あんたらがよければ、思うままに使えばええ。」


「ありがとうございます!!」


 小走りにステージを走るミオ。


 ミオがステージにたどり着くころには、おじさんから解放されたいがためか、早くホテルの自室に戻りたいからか、賢人の準備もほとんど終わっていた。


 弾く気満々でギターを持ったミオだが、猪突猛進でステージに立った後のことは何も考えていない。よって、ほそぼそと賢人に救援を求めた。


「で、どうすんの?」


「ミオに合わせるから、思い通りに弾いていいよ。」


「分かった。」


 先に自身の音色を轟かせたのはもちろんミオで、それに続くように賢人もベースを鳴らす。


 彼らの即興のアンサンブルは、客席にいるおじさんに届き、再び心を揺れ動かすことはできるのか?


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